読書生活報告トピ 22
- 2025/06/03 20:19:36
投稿者:ヘルミーナ
読んだ本や著者、かんたんな感想や評価を書き込むトピです。
基本的には各自ブログで書き込むのですが、
ブログでは恥ずかしい方は感想もこちらへどうぞ。
本に関係する雑談などもこちらで好いかと思います。
思いっきり話題がそれまくりでなければふつうの雑談も好いかと。
(前トピが埋まったら使ってくださいね)
読んだ本や著者、かんたんな感想や評価を書き込むトピです。
基本的には各自ブログで書き込むのですが、
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本に関係する雑談などもこちらで好いかと思います。
思いっきり話題がそれまくりでなければふつうの雑談も好いかと。
(前トピが埋まったら使ってくださいね)
J.G.バラードの短編集、『時間の墓標』(創元推理文庫→現在は『終着の浜辺』とタイトルを変え、創元SF文庫刊)をXX年ぶりに読み返しました。
正直なところ、本書最後に収録されている『終着の浜辺』以外の作品は個人的にはそれほど評価しておりません。というより、『終着の浜辺』が圧倒的に素晴らしい。安直な自称「実験小説」とは破壊力が異なります。
なので、『終着の浜辺』のみレビューします。
舞台は核実験場でもあった、マーシャル諸島の一つ、エニウェトク環礁(北緯11度30分、東経162度20分)。
J.G.バラードはのちに「濃縮小説《コンデンスド・ノベル》」といって、時系列もばらばらな断片で構成された作品群をリリースしてますが(『残虐行為展覧会』工作舎刊)、『終着の浜辺』はそこそこ時系列で進んでいきます。ただ、やはり一ページにも満たない~せいぜいが三ページぐらいの断章で構成されており、断章にはゴチック体のサブタイトルがつけられています。
主人公トレーブンはモーターボートでろくに食糧すら持たずにエニウェトク環礁の核実験場跡にやって来て、ここを徘徊してます。
時は冷戦期まっただなか。本文から引用すると「いわば霊魂のアウシュヴィッツともいうべき遺跡で、いまだ死んではいない人々の大量虐殺の墳墓と名付けてもよいものかもしれない」
結論から書けば、トレーブンにとってエニウェトク環礁は未来から視た過去……核時代の……遺跡なのです。
なお、トレーブンは過去には軍のパイロットでした。ここらも「飛ぶこと」を強迫観念っぽく何度も書いたバラードっぽい(ちなみにバラード御本人もパイロット経験あり)。
また、トレーブンの家族、奥さんと六歳の息子は自動車事故で死亡。
とにかくコンクリートの建造物ばかり、放棄されたエニウェトク環礁の描写と、そこに込められた暗喩などが静かな狂気とでもいうような世界を作り上げているのです。そしてトレーブンにとってはそんなエニウェトク環礁こそが自分の居場所だという。
↓
たまたまエニウェトク環礁にやってきたオズボーンとの会話でもトレーブンはコンクリートに覆われた核実験場跡から離れようとはまったく思っておりません。
コンクリートの林立するブロックの中で、トレーブンは日本人研究者の死体を発見する……そして、トレーブンはヤスダ博士と名乗る《《死体》》と観念的な会話をします。
そうしてエンディング、トレーブンは妻子の幻影を視て、なおかつ彼の夢には、炎上する爆撃機の姿が浮かび、小説はここで終わります。
友成純一先生に『内臓幻想』(河出興産刊)という本がありますが、『終着の浜辺』はまさに混疑土《コンクリート》幻想と言えるでしょう。
『チリンの鈴』の映画を観て、
著者に興味を持ったので読んでみました。
語りおろしのインタビューを書籍化したもので、
非常に読みやすいです。
遅読のわたしが二時間くらいで読了しちゃいました。
やなせたかしさんは1919年生まれ。
アンパンマンがはじめて本になった70年代、
すでに五十代を迎えていたといいます。
わたしが興味深く読んだのは、
手塚治虫から電話でキャラクターデザインを依頼された話。
面識はあったけれど、特に親しくはなかったそうです。
手塚センセっていうと、
同業者への熾烈な嫉妬心で知られてるだけに……
電話で頼んできた話には驚かされました。
自分にないものを、
十歳年長のやなせさんが備えていると、
敏感に見抜いていたのかもしれません。
間近で見ると
「手塚治虫の天才っぷりは素晴らしかった」
のだそうです。
やなせさんの話に戻ると絵本やアニメに留まらず、
テレビや舞台の構成まで手がけた多才ぶりに驚かされます。
ちょっと類のない器用さに恵まれていたみたいです。
本業のマンガではヒットを出せず……と思っていたら、
アンパンマンが一大経済圏とまで評される定番に成長します。
いやはや数奇な人生!
河合隼雄、手塚治虫、水木しげるなど、
他の戦争経験者文化人にも共通した特徴として、
世俗的な「正しさ」への懐疑的な視線があります。
やなせさんは『チリンの鈴』に絡めて、
絶対的な悪人は存在しないのでは?と話していました。
「善」や「正義」が幅をきかせて、
きな臭くなるばかりの人類社会を見ていると重い発言ですね。