天守閣✲夜【オリチャ】
- 2016/02/28 20:00:58
投稿者:紅蓮狐 糾蝶
✲____________________✲
陽は傾き、妖怪たちは棲家へと戻る。
白日の下、隠し歩いていた艶やかな姿を晒して。
中国妖怪たちは天守閣に棲みつく。
超巨大な高層ビルは、夜の間だけ雅やかな楼閣になるのだ。
七子とその手下妖怪たちは、今日もまた賑やかに、盃を交わし合う。
✲____________________✲
☑オリチャ本編のトピックスになります。
オリチャは基本的に、切りの良いところで昼と夜が入れ替わります。
100コメを取った方が状況を見て夜と昼、入れ替えてください。
ちなみに昼の場合には、トピ名が天守閣ではなく「ヒトの街」となりますので、ご注意を。
☑トピ名が天守閣であろうとヒトの街であろうと、基本的にどこに居ていただいても構いません。
☑オリチャの際には、「w」「^^」「b」「v」や顔文字、「ゎ」などは全面的に禁止となっております。
「!」「?」は大文字でお願いします。
沈黙の台詞や描写には「…(三点リーダ)」を活用してください。
ロルは1行で構いません。
ただし、長くなる分にはいくら長くなっても構いません。
☑また、オリチャのスタイルは、
キャラ名「台詞」
ロル
というカタチで統一してください。
始終ふざけたような態度を崩さない偶戎王を飲み込まんと迫る水龍。
足場として、そして防護柵として張り巡らせていた硬い縄さえも力技で食い千切り押し進んでくるその様は、
さながら彗星の狂おしい程の怒りをそのまま具現化しているかのようだった。
朧月の形の良い唇がめくれ、もういい歳した大人は、新しい玩具を目の前にした子供の笑みを浮かべる。
……と、それは突然の、もしかしたら必然の事だった。
離れたところから凄まじい勢いで押し寄せてきたのは、目の前の水の牙が発するのとは違う、
ただひたすら純粋に破壊のみに特化した、あまりにも暴力的な力の津波。
想像していたよりも遥かに強く魂を揺さぶられる感覚。笑いながらも、少し苦しげに眉を顰めた。
うら若い女の柔肌を食い破る筈だった鋭い水面に、ぐにゃりと波紋が生じる。
いつの間にか伸ばされていた偶戎王の細い人差し指が、眼前の水龍の額にはたと触れた。
微かに漂う獣の匂い。
朧月「残念ながら、こうなってしまえば後はもう容易いのだよ」
指先をただ濡らす液体だった水が、確かに質感をもった有機物へと変化する。
触れた先からするすると止まることなく抜け落ちていくのは、水龍と同じ透明な青をした「糸」
豪奢な絨毯の綻びを指で引っ張ってダメにしてしまうかのように、巨大な体躯がみるみるうちに一本の細い糸へと解けていく。
最後の十五センチがふわりと板張りの床に落ちたとき、朧月は傍付きを見上げて屈託なく笑った。
「非常に盛り上がってきたところ悪いが、暫し休戦だ彗星」
お転婆な姉上がご乱心のようだよ。
とっくに硝子の吹き飛んだ「窓だったもの」から投げかけた視線は、
遥か遠くに浮かぶ雲の群れで立ち止まる。
肌が、または中国妖怪としての血が雪崩れ込んできた妖気の凶悪さを感じるより先に
彼の傍付きとしての第六感が、遠くの雲の上で起こっている事態をいち早く察知していた。
人目を憚らずに、まずは盛大に舌打ち。
もちろん自分の主にではなく、あの救いようのないバカに対してだ。
此処からでは遠すぎてよく見えないが、大方あいつの事だからどたばた慌てたりしているのだろう。
全てを押し潰さんとばかりに強くなっていく、小さな少女には有り余る力。
至って平気な振りをしていても、悪い意味で人を選ばない原始的かつ生理的な恐怖や畏怖は、
たとえ傍付きに対してでも 無意識のうちに冷たい汗をかかせるのには十分過ぎた。
一刻も早くどうにかしなければ、下区一帯が吹き飛んでも不思議ではない。
大きく広げた芭蕉扇に描かれた見事な燕子花を、中指と薬指で軽くなぞる。
「薫風吹きて翼と成し、風音鳴りて囀りとせよ」
途端、絵の中から剥がれるように、紫の花弁が一枚、二枚、はらりと宙に舞う。
ふうっと命を吹き込むように息を吐きかけると、折り紙のようにぱたぱたと折りたたまれたそれは、
やがて小さな濃い紫の鳥の形を成した。
そっと人差し指で弾いてやると、風切り音とも金切声ともつかない甲高い音を立てて、小鳥は一直線に飛来する。
もちろん、彼の主と七子いちのトラブルメーカーの元へ。
数秒もしないうちに目的地へと到着した鳥は、二人の乗る筋斗雲の上で一度旋回すると、
さも当然とでも言うように天威の肩へと降り立った。
直後、その嘴から発せられたのは 多少ノイズ交じりではあるものの、紛れもない怒れる羅刹女の声で。
『おい聞こえるか猿野郎、てめえの事をぶん殴るのは後でにしてやっから耳の穴かっぽじってよーく聞きやがれ』
小鳥の華奢かつ神秘的なオーラからは似ても似つかない粗暴な物言いが、それの創造主を物語っている。
玩具じみた角ばった仕草で、紫の風から生み出された小鳥は何の意味もなく首を傾げた。
『単刀直入に言う。まずどうにかして雲の気を逸らせ。不安定な精神状態から解放しろ』
薄気味悪そうに牛魔王の方を見つめた金角大王は、その力に思わず嘔吐く。
垂氷「氷麗兄さん、この上で吐いたらぜーったい霙先生に叱られるよ」
からかうような声で冗談を言うが、この距離でも分かる、これ以上は______まずい。
霙センセーこんなの聞いてないよ、と目を細めた。
と霙は漠然と思った。
それはそうだろう、いつも起こらないことが、こうも立て続けに襲ってきたら。
ただでさえ扱いの難しいじゃじゃ馬同然の娘であるのに、一瞬でも手を離す羽目になったのを後悔する。
全部あの馬鹿のせいだ。
いつもいつも、どうして言うことを利けない?
霙「…………ッ」
今ここに満ちているのとは、根本的に比較にならない程の妖気の波が肌を舐めると、原始的な恐怖が爪先から、頭のてっぺんまで突き抜けた。
何事かと思って周囲をキョロキョロと見渡す。念のため如意棒は小さくして懐に仕舞っておいた。
天威「………雲ちゃん?」
振り返ると彼女の姿が視界に入る。
具合が悪いのだろうかと心配そうに顔色を伺いーーその皮膚が突然盛り上がったのを見てギョッとした。
「どっ……どうしちゃったんスか!!?」
慌てて彼女の手を握ると、その歪な形と恐ろしいほど強い妖気に思わず鳥肌がたった。
ーー少しでも気を抜いたら飲み込まれる。
そう確信した。
気圧されそうな妖気の隙間で、ただただ痛烈な恐怖に貧弱な身体を震わせていた。
まとわり付く冷気は自覚できる範囲で確かに春風から温もりを攫った。
吐く息すら凍えそうだと思った。
悴んだ指先から、ヒタヒタと奪われた体温が滴り落ちてゆくのをぼんやりと感じていた。
喉の奥がキシキシと痛む。
ミシッ
ひび割れた手の甲が木の幹にも似た空隙を孕み、加速度的に白い皮膚を蝕み始めた。
うねる波濤を思わせる極寒の妖気が、その瞬間牛魔王から迸った。
その間兄は、少し先の雲の上で騒ぎたてる美猴王に表情一つ変えることなく、見つめていた。
数秒後、視線をやや下げたかと思えば、彼の傍で突っ立っている牛魔王に目を細め言葉を吐いた
氷麗「……世迷い言を」
呆れたような声は、酷く小さく、弟のみ聞こえていた。
そんな兄の言葉に何か言うわけでもなく、右足をぷらぷらさせながら、弟は天守閣の方を見つめていた。
兄弟の一連の動きに思わず震え上がった。
ここまで防がれてしまうともう涙目だ。
雲の上にいるのにも関わらず、大木のような如意棒をぶんぶんと振り回す。
子供のように地団駄を踏み始めた。
「何で俺たちのデートの邪魔するんスかー!」
ぎゃいぎゃい騒ぎながら抗議の声を上げる。
いつも彼と一緒に部屋に帰ってしまう。たまには独り占めしてもいいではないか。
霙さんばっかりズルいっスよー!と、ここには居ない実兄の名前を叫んだ。
金角大王はすぐさま剣を両手で中段に構えなおした。
変幻自在のあの棒を受け止める以外に、かわす術はなかった
渾身の力を込めて払いのけようとするも、フルスイングで襲いかかってきた其れに対抗できるわけでもない。
暫し防いでる間に、後ろで蹲っている弟に声を上げる
「サボんな、蹴れ」
顎で指図され弟は、のんびりとた動作で立ちあがり、小さく息を吐いた。
そして、後ろ蹴りの構えをとった。
右足に集まる妖力は目に見えて分かるほどで、足裏全体に銀色の鈍い光が煌く。
軸脚の力を利用して回転し、勢いよく七星剣を蹴り上げた。
はじき返すような音がして、剣は宙に舞う。
弟はそれをキャッチした兄を横目で見ながら思う。とりあえずのところ、即死は逃れたらしい。
返した声は、燭台の下の暗がりに消えていった。
鵬魔王を見送る黄金色の瞳とモノクルは、青い炎を反射して、ギラりと光る。
やがてその姿が廊下から消えたとき、また天守閣が揺れた。
まるで流星群のように降り注ぐ木片や硝子、ガラクタの山は、確かこの天守閣の住人たちの財産だったはずなのだが……まるでそんなこと、思わせないとでも言うように、銀河創世の如く衝突する無数の彗星が、星空のスクリーンにジャイアント・インパクトの訪れを描き出している。
そして真下から吹き上げる暴風が霙の首飾りと青紫の髪を容赦なく巻き上げて、バサバサと衣を攫っていく。
この大風を起こしたのは、十中八九あの羅刹女に違いない。
霙「全く、今度は何ですか」
大きめに放ったつもりの言葉すら風に打ち消され、眇めた視界に辛うじて映ったのは、対峙する金閣銀閣兄弟と美猴王、そして――――凄まじい勢いで伸びる大樹の如き如意棒だった。
口元では笑みを浮かべていたが、その額からは冷や汗が流れていった。
天威「…………雲ちゃん、ちょっと一人で我慢してて?」
腕の中の少女に微笑みながらそう告げると、如意棒を手にしたまま立ち上がった。
長さは野球に使うバットと同じくらいだろう。
こちらを睨みつける氷麗と目があうと、数分前と同じ悪戯っ子のような笑顔を見せた。
「そぉーーーーーれっ!!!」
金角銀角兄弟に向けて如意棒をフルスイング。
いつの間にかバットよりもはるかに長くなっており、太さも大木の幹のようになっていた。
霙の言葉にこくりと一つ頷いた。
楼翅 「ええ、大丈夫。…色々とご迷惑をお掛けしました」
彼がこの大騒ぎに加わると皆が知らないところできっと何かが起こるのだろう、
そんな予感が脳裏を掠めたが、楼翅にどうこう出来るほどの力は残っていない。
精々嫌みったらしく軽く謝罪の言葉を述べるとそっと横を通り過ぎて薄ら暗い廊下を
歩んでいった。
掴み寄せられた真火は潰れた爬虫類みたいな声を上げた。
風圧で目が開けられない。
必死になって縋り付いているのが彼の身体のどの部分なのかもわからない。
小さな身体は嵐に曝される木の葉のように吹き上げられ、白旗よろしく揺れている。
爆発、
大風、
咆哮、
何がなんだか分からない。
「――――――もう勘弁して!!!!」
力いっぱい叫んだ声は斯くして、無残にかき消されるのだった。
それは気の利いたジョークでも偽りでもない、心の底から、怒っているのだ。この主に!
彗星「――――いでよ、千都呑み込む激流の主(ぬし)よ」
刺すように呟く術が大気を静かに揺らしたとき、混天綾が禍々しい光を帯びる。
……青い霧。
モヤモヤと彗星の身体を包み込んだ霧が、渦潮の如く風を吸って大きな水の球を作り出す。
水柱。
彗星の周囲を取り囲み、5つの柱が渦を巻き、飛沫を撒き散らして真下から噴き上がる。それは――――その一つ一つが絡み合うように彗星の頭上でもう一つの大きな球となり、投げつけられるガラクタを全て取り込んで更に、更に大きくなっていく。
やがて彗星を包む水球のヴェールが頭上の球に全て吸い上げられ、消滅した瞬間。
咆哮。
耳を劈く大きな吼え声が、爆散した水球の中から上がった。
それは龍だ。
水で出来た巨大な龍が、その凶悪なあぎとを開き――――長い身体をくねらせて、偶戎王に向かっていく。
正真正銘、哪吒太子は怒っていた。
それはもう、これ以上無いというくらいに。
弟はすぐさま兄の背後に立ち、腰辺りを両腕で掴んでは、蹲る様にしゃがみ込んだ。
氷麗「おい、………チッ」
水浅葱色の髪が靡き、紫の一閃に目を細めた。
先刻、七星剣を振った際に巻きあがっていた妖気が晴れていく。
「霙様の邪魔する者は誰であろうが許さんぞ」
自らの妖気を拳の上に収束させ、強く握り直しては、暴風を受け止めるような構えをした。
其の構えにより、美猴王を追っていた兄弟だけがその風から〝鎮護〟されるかのように守られる。
「貴様、跪かせるぞ」
やがて、視界が晴れ、そこに現れたのは、見覚えのある顔だった。
弟はすぐさま兄の背後に立ち、腰辺りを両腕で掴んでは、蹲る様にしゃがみ込んだ。
氷麗「おい、………チッ」
兄弟の水浅葱色の髪が靡き、紫の一閃に目を細めた。
七星剣を振った際に巻きあがっていた妖気が晴れていく。
「霙様の邪魔する者は誰であろうが許さんぞ」
自らの妖気を拳の上に収束させ、強く握り直しては、暴風を受け止めるような構えをした。
其の構えにより、美猴王を追っていた兄弟だけがその風から〝鎮護〟されるかのように守られる。
「跪かせるぞ」
やがて、視界が晴れ、そこに現れたのは、見覚えのある顔だった。
それに負けないように張り上げたのは、驚愕でも落胆でも絶望でもなく、底抜けに明るい笑い声だった。
朧月「あっははははは!口が悪いぞ彗星!その調子じゃあ貰い手を探すのも一苦労だろう!」
全てに於いて一言も二言も多い。
寧ろもう何も喋るなとは今まで何度言われただろう。
心を読んだかのようなその発言が相手の気を逆撫でしまくるという事に、彼女は気が付いているのかいないのか。
ケタケタと狂ったように笑い続けている間も、恐ろしい早さと精密さで縄を操る手は止まらない。
荘厳かつ豪奢、精緻で美しい天守閣。私の家。
全てをこの手で壊す事は出来なくとも、真似事ならばその限りではない。
片腕の縄を力強区引っ張って高価そうな壷をふん縛り放り投げれば、
もう片方の腕を下方――今まさにそこへ向かって落下している最中の方へと向ける。
強い摩擦音を鳴らしながら袖口から稲妻の如く駆け出でた幾本ものの縄が、
蜘蛛の糸のように建物内のそこかしこにピンと張り巡らされた。
ぐるりと宙返りをし、足の裏に触れた一本にぐっと力を溜めて蹴り上げれば、反動を利用して再び鋭く跳躍。
「そんなに怖い顔をしていると、また怒っていると思われてもやむを得んな!」
上半身の捻りを上手く使い、今度は木片を手にした縄が唸りを上げる。
事実相手はかなり怒っているのだが、偶戎王は至って笑顔だ。
安心したように霙は言った。
笑みに崩した表情すら、どこか薄く見えてしまう。
「お部屋まで戻れますか?」
足元を睨みつける楼翅の頭に尋ね、長い袖に両手をしまった。
まだ春先、開け放しの大窓から吹き込んでくる風はまだ肌寒い。このままずっと夜風に当たっていたら、いくら妖と言えど風邪を引いてしまうだろう。
よく研がれた刃に反射する月光は、凶悪なようにも妖艶なようにも見える。
隣で何か声を上げた…ような気がした、真火の漢服の後襟を 獲物を持たない左手で掴んで引き寄せた。
こんなに軽い身体、気を抜けば直ぐに吹き飛んでしまうだろう。
今 風を繰って空を飛んで行っても、空の大混雑に拍車をかけるだけだ。…かくなる上は。
焔律「しっかり掴まってろよ」
つい先刻も、こんな言葉を吐いた気がする。
瞳は真っ直ぐ彼方を見据えたまま。右足を引いて扇を持つ右腕を引くと、凛、と合図のように鈴がなる。
溢れ出る妖気は既に紫の香を運ぶ微風となって周囲を漂い、鉄扇公主の長い前髪をふわりと舞い上げた。
紅紫の瞳が瞬く。望遠鏡のピントを合わせたかのように、徐々にクリアになっていく視界と思考。
怒りに任せて天威を吹き飛ばした所で、空飛ぶ雲の扱いに不慣れな主独りでは落下は免れないだろう。舌打ち。
雲に乗った二人に、そのまた後の雲に乗った二人は鬼気迫る勢で肉薄している。例の兄弟だ。
追われている理由は大方分かる。自分が一緒にいた時も、幾度と無くあのモノクル越しに引き渡せと命じられた。
追う者がいるから逃げる者がいる。
この混沌とした鬼事が終わる時が今宵の天守閣の夜が明ける頃なのだと、頭の片隅で誰かが囁いた。
「迅風天翔け万里が流る、我が紫血を以って繰るは神風!」
打ち払うような横向きの一仰ぎ、金地に映える紫が閃く。
扇より解き放った風圧の反動により、二人分の漢服の裾は猛り狂ったようにはためいた。
つい先程まで穏やかに凪いでいた夜闇から突如として生み出された 轟轟と獣のような唸り声をあげる疾風は、
大海原に浮かぶ船を丸々呑み込まんと顎を開く高波の如く、
天威と雲の背後に迫る二つ目の金斗雲に向かって横薙ぎに襲い掛かった。
上に立っていた。間違いなく一度は落ちたはずだが、霙が引き上げてくれたのだろう。どこに
そんな力が眠っていたのか不思議な、男性にしては華奢な腕が楼翅の腕を掴んでいた。
楼翅 「怪我は、ないわよ」
貴方が怪我をする前に、引き上げてくれたから。その言葉は続けられない、が。
落ち着くと多少意識がすっきりとしてきた。落下しかけたので随分と驚いたからだろう。
そうなるとやはりいやがおうにも思い出されるのは霙に助けてもらった、という事実で。
感謝の言葉を述べる場面だという事は間違いなく分かってはいるのだが、彼に対する
不信感が抵抗となってどうにも素直に言葉が出ない。合わせられた目線が本当に
自分のことを心配してくれているように見えるものだから、全く騙されそうになる。
─この男、誰に対してもこうなのかしら。それならもの凄く、寂しい人だわ。
「…ありがと」
斜め下、相当な値段はするのだろう絨毯の焦げ跡をにらみつけながら、どうにか感謝の言葉を述べた。
どうやら命令外の人物が動き出した様で、それと同時にこの逃亡劇が多くの妖怪が注目しているのに気付く。
垂氷「…あーあ。ま、やるしかないか」
数秒後、声が届く範囲に入った兄弟魔王は、背後まで追いついた。
身体の芯から来る本能的な悪寒は頭のてっぺんからつま先まで駆け抜けて、肌を粟立たせる。
耳慣れた金属音と、強く香る紫の花。
…………まさか。
真火「っ焔律おに……!」
きっとその言葉は最後まで間に合わなかった。
次の瞬間世界の終わりだと言われたら、この世界に住まうどれだけの人がそう思ったかも知れない無数の爆発が、背後から襲ってきた。
嫌味でもなんでもなく、そう返そうとした直後だった。
これではもはやガラスを取り替えるくらいでは済まない、修理業者になんと伝えればこの惨事を不審がらず直してもらえるだろう。うっかりマッチを落としてしまいましたでは誤魔化せようはずもない。
霙「おっと」
だなんて考え事をしながら大して慌てた様子もなく紳士ぶって声を漏らせば、流れるように膝を突き、伸ばした手で彼女の腕を掴む。男にしては華奢な腕をしているくせに、片腕だけで安安と宙ぶらりんになった楼翅を持ち上げ焼け焦げた絨毯の上に立たせた。
「お怪我はありませんか?」
少しだけ屈み、目線を合わせつつ心配そうに尋ねた。
そこにはただいつも通り、誰にでも温和な霙という青年が居るだけだった。
瞼を跳ね除けるようにぱちりぱちりと瞬きを繰り返す。体力が限界に近づくと、
眠くなるのだ。こんなになるまで能力を使ったのは久々で自分でも感情に任せて
やりすぎたことはわかっている。そんな楼翅の姿を感じ取ってかはわからないが、
霙はもはや此方に興味もなさそうに言葉を吐く。
楼翅 「…お休みになっては、ってどういうこと」
精一杯気丈に返すが、どう見ても眠いのは確かで、歩いてくる霙を目で追いながら、
頼りなげに自分も窓枠へ近づく。下を除けば、入り乱れてのおいかけっこはさながら
子供の遊びのよう。然しそこには純粋な気持ちで逃げ回る者もあり、忠誠心で追い
掛け回す者もあり、様々な思惑が渦巻いている。ぜったいに、彼をあそこへ下ろしてはならない。
眠気の所為で回りきらない頭でぼうと考え込んでいると、ミシリと窓枠が嫌な音を立てた。
先程じゅうぶんと燃えた窓は、かけられた霙の足と、寄りかかっていた楼翅の体重についぞ
耐えられなくなり悲鳴を上げたようだった。其の侭崩れてゆく窓枠に、重力に抵抗するだけの
力を持ち合わせていなかった楼翅は───まっさかさまに空を切って落ちていった。
飛びそうな意識を繋ぎとめておくのに必死で翅など役に立ちそうもない。
ため息を付いて肩を竦める。あとで胃薬でも差し入れしておいてやろう。
辛うじて残存した窓枠に片手を掛けて、真火と同じように下界を眺める。
力を持て余した吹き荒ぶ風の余波が、遥か離れた此処まで及んできそうだった。
硝子気を付けろよ、なんてさりげ無く隣に目をやってから、
宝石のような光を湛える瞳をすうっと細め、遠くを見、やがて舌打ちをした。
「あんの猿野郎…二人乗りでスピード出すなっつってんだろうがよ…」
猛スピードの中、自らの主――あの雲の事だから、固く目を瞑っているか震えているのが相場だろう。
眼下のそれとはまた別の、じっとりと重さを纏った微かな風が、焔律を中心として廻るように這う。
華奢で豪奢な容姿には見合わない、ドスの効いた声とはこのこと。今夜の天守閣はあちこちが殺気に満ちている。
金斗雲に速度制限を設けたところで、順守するバカはいないだろうが。
彼の女性的な細い指が、帯に指した鉄扇に伸びる。
一昔前までは、馬鹿みたいに風を呼び寄せるだけで 制御なんて効かない跳馬のようだったこの能力。
日課のように起こる騒動という社会の荒波に揉まれながら磨かれていっただなんて認めたくはないが、
今目の前で起こっているような事を何一つ信じていなかった昔よりは幾分かマシだろう。
「…それでも、毎日巻き込まれるこっちの身にもなれってんだ阿呆が」
響く、擦れる金属音。
月の光を反射する金色の扇に咲き乱れたのは、大輪の燕子花だった。
と彗星は思った。
見開いた目に映ったたくさんのガラクタ達は、誰が集めたとも知れない無為な小物の群れだったやも分からないけれど、反射的に頭の中に閃いたのは、〝怒られる!〟……たぶん、いろんな人に。
地を蹴ったのと同時に、灰色の地面に穿ったクレーターから剥がれた無数のコンクリート片を巻き上げて上昇を続ける。襲い来るガラクタは恐ろしい凶器となって哪吒太子に降り注ぎ――――
爆発。
青い炎を纏ったコンクリート片が、凄まじい音を立ててガラクタとぶつかり合う。
また来年?
このアマ!ふざけんな!
その心の暴言は先ほど自分自身で揶揄した通り、とても雪姫に聞かせられるようなものでは無かった。
そんな朧月の様子をぼんやりと見ていた雪姫が、やがて下界を射して再び あっ、と小さく声を上げる。
みるみるうちに小さくなり遂には豆粒大になったように見えた傍付きの姿が、
一コンマおいた次の瞬間、どんどん大きくなってきた。シトリンの瞳にくっきりと映るのは、
いっそ純粋なまでの殺意、殺気、狂気。
轟々という音すら聞こえてきそうな勢いで、彗星は確実に此方に迫ってきている。
先程までの高笑いはすっと姿を消し、至って真面目そうな表情で 長い袖をやけに仰々しく振って腕を組んだ。
コツコツと音を響かせて屋内へ歩いて行き、天守閣の最下階まで繋がる階段の欄干、その前で止まる。
瞬間、薄暗がりの中、半月が咲く。
…否、それはこの混沌に満ちた状況を心から楽しむ〈七子〉が一人の、愉悦に満ちた口元だった。
そう、そう、そう!そうでなくっちゃ。
そんな簡単に死ぬなんてさらさら思っていないし、死なれてはつまらない、
つまらないのだ。
「うぉっほん…それでは再見(サイツェン)また来年!あっでゅーー!」
くるりと振り返ったと思ったが最後、本体の動作を追ったその長髪が一回転の動きを終える前に
偶戎王は軽く床を蹴り、互い違いに入り組む階段と階段の隙間に 後ろ向きに華麗に身を投じた。
自由落下に身を任せながら、天に向って伸ばされる両の手は 自らを救おうと足掻いたものではない。
袖口から飛び出したのは、まるで意思を持ったように身悶えする 幾筋もの細い縄だった。
しゅるる、と強い摩擦音を響かせて 天井の梁に、上階の、下階の欄干に、窓枠に、よく分からない木彫の置物に…
つまりあらゆる場所に、そしてさながら蜘蛛の糸のように。縄鏢が素早く、強く巻き付いてゆく。
腕から無数の糸を生やした姿はまるでマリオネット。操るのは人形ではなく、『武器となり得る物すべて』
力強く幾つかの縄を引き、手繰り、弛ませれば、バキボキと耳障りな音の合奏が天守閣のあちこちから響いた。
…後で絶ッッ対に怒られるなんて、考えるまでもないから考えないようにしよう。
「…寡人からの贈物だ。受け取ってくれ給えよ」
浮かべたのは、先程とは打って変わって儚げな笑み。
引き剥がされ、捻切られ、無惨にもがれた骨董品やら木材やら金属棒やらが、天守閣の外へと放り投げられる。
建物自体を倒壊させかねない梁までもはもがなかったのがせめてもの詫びなのか、それとも。
雪姫「あでゅ…?」
こてん、と首を傾げた白娘子の頭の数ミリ隣を、鉄製の鎧兜が凄まじい勢で通過する。
その他無数のガラクタ達が 夜空を駆ける『彗星』に向かって吸い込まれていった。
ため息を付いて肩を竦める。あとで胃薬でも差し入れしておいてやろう。
辛うじて残存した窓枠に片手を掛けて、真火と同じように下界を眺める。
力を持て余した吹き荒ぶ風の余波が、遥か離れた此処まで及んできそうだった。
硝子気を付けろよ、なんてさりげ無く隣に目をやってから、
宝石のような光を湛える瞳をすうっと細め、遠くを見、やがて舌打ちをした。
「あんの猿野郎…二人乗りでスピード出すなっつってんだろうがよ…」
猛スピードの中、自らの主――あの雲の事だから、固く目を瞑っているか震えているのが相場だろう。
眼下のそれとはまた別の、じっとりと重さを纏った微かな風が、焔律を中心として廻るように這う。
華奢で豪奢な容姿には見合わない、ドスの効いた声とはこのこと。
性格、価値観共に妖怪というよりかは人間に近いと自他共に認める彼だが
知らず知らずのうちに纏い、溢れ出すのは 殺気と云う名の妖気だった。
金斗雲に速度制限を設けたところで、順守するバカはいないだろうが。
女性的な細い指が、帯に指した鉄扇に伸びる。
最初、地震でも起きているのかと思っていたけれどここは空の上、震えているのは自分だった。
柔らかい綿のような金雲が消えてしまいそうで、怖くて堪らない。
文字通りイマドキの若者よろしく繰り返される言葉を聞き流しながら、必死に縋り付く牛魔王の姿は滑稽にすら見えた。
美猴王を追う二つの金斗雲は、恐ろしい速さで距離を詰めてきている。
そして、風が裂けた。
金角大王は皮肉でも非難でもなく、心底からそう思っている様子でそう言った。
弟は一際目を鋭く細めて、声に僅かに嫌悪を含めて言葉を返す。
垂氷「…七天大聖なんて、大抵そんなもんでしょ」
一切の表情が消えたのは刹那、すぐに笑うと体操するように腕を伸ばしたり曲げたりを繰り返す。
兄は何も言わないで、抜き放った七星剣を片手で大上段に振りかぶった。
轟音
振り上げた刀を振り下ろす、そんな単純な行為でも、妖魔を慕わせるその刀の力は凄まじく
妖気を孕んだ風が前方を通り抜け、楼閣を駆け抜けて行く。
目を伏せ、呆れともとれるため息を吐くと、霙は歩き出した。
垂れ流される言葉一つひとつ、確かな意味を持ちもせずに。
地獄の業火よろしく燃えていた炎がすっかり虫の息になってしまえば、その窓枠に躊躇いもせず元牛魔王は足を寄せた。
そちらを見もせずに言うことには、
「今日はもうお休みになっては如何です?」
眼下にはどこまでも続く摩天楼と、追いかけっこが繰り広げられている。
何も映さないその眼差しにぶるりと悪寒がして、無意識にまた一歩後ろへと足を踏み出すと、
踵がかつりと壁に当たって、行き止まりを示す。主人を傷つける事はない炎はそろそろ
限界だというように、先程までの勢いは消え毒々しい色も失せ今では穏やかに橙がちりちり
と踊っている。こんなのでは駄目だと、拳を握りもう一度力を振り絞ったが、炎が再び
あの力を取り戻す事はなかった。もう楼翅の体力も限界に近づいてきているということだ。
楼翅 「嘘吐かないで…」
広げた羽を一つ扇がせ、一言だけそういうと恨めしげに霙を睨んだ。
ふと後ろを振り返ると、遠目に光る何かが見えた。
ただ天威にとっては嫌なほど見慣れたものだった。一気に顔が青ざめる。
今は距離が開いているが、あの兄弟なら何が何でも捕まえに来るだろう。兄の方は特に。
再び前を向いて雲を抱え直す。
全身に力を込めて金斗雲のスピードを上げると同時に、念のためにと懐から如意棒を取り出した。
柔和な笑みを浮かべながら、声に出したのは硬質な声。
杏「どうか、したんですか?楼翅様に霙様?」
緊迫した雰囲気というのはどうも苦手だ。
やだやだ、霙様が怖いなんていつものことじゃないかとひとりごちる。
杏「やだなあ、楼翅様。知らなかったんですかぁ?
霙様は蓬莱の国の人造人間から「永久不可侵の心の壁」っていう仙術を教わってんですよ?
これは霙様が三歳の時にワオキツネザルに襲われて、あんまり大きな声で泣け叫ぶものだから
遠い蓬莱のマザコン野郎が「頼むから」ってことで直々に教わったとかいう…、さっすが霙サマ!」
この時点で杏はどうしても霙の顔を見ることが出来なかった。
後退る彼女を追いもせず、そこに佇む牛の精は問いかけに、キョトンとして瞬きをした。
霙「何か?」
それから、またあの笑みを浮かべる。底の見えない薄っぺらな笑顔。
全て見ているようでいて、何も映してなどいない空っぽの眼差し。
ギラりと輝く黄金色の瞳は、真っ直ぐに、何もかも見透かすように楼翅だけを見つめている。
「――――わたしは、何もしていませんよ」
霙は言う。
広過ぎるホールの真ん中で、小さな声は耳元で囁いたように鮮明に鼓膜を揺らす。
後退る彼女を追いもせず、そこに佇む牛の精は問いかけに、キョトンとして瞬きをした。
霙「何か?」
それから、またあの笑みを浮かべる。底の見えない薄っぺらな笑顔。
全て見ているようでいて、何も映してなどいない空っぽの眼差し。
「――――わたしは、何もしていませんよ」
霙は言う。
広過ぎるホールの真ん中で、小さな声は耳元で囁いたように鮮明に鼓膜を揺らす。
打った感触もあったのに、気づけば触れていたのは霙の頬ではなく、
見えないけれど確かにそこにある何か。まるで空で止まっているかのように見える
自分の手だけが見えている。おかしい、おかしい、こんなのおかしい。
眉を顰めたまま微かに首をかしげ見上げた霙の顔は、尚笑っている。
彼の言葉を聴いて反射的にぞっと鳥肌が立ち、そうっとあげていた右手を戻す。
楼翅 「いま、何したの…?」
恐る恐るという様子で口を開く。角度によってか周縁が青紫に見える瞳に見られて、
言い知れぬ危機感を抱くとじりじりと後ずさった。
その度に地団駄踏みたいほど彼女に腹を立てるのに、今日に限ってこの手はどうにも届かない。
ゾワゾワと背中を蝕む自由落下の恐怖は身体の内側に潜り込み、芯をあっという間に冷やしていった。
……どうしよう。死ぬかも。
為すすべもなく落ちていきながら、空中でバタバタと大暴れする。靡くマフラーの下で上げる声なき悲鳴はびゅうびゅうと吹き付ける無慈悲な向かい風にかき消されてしまう。
遥か彼方で揺れる白い何かの正体も分からないまま、本気で死を覚悟しかけた時、何故だか風がだんだんと緩やかになってくる。
見開いた目が真横のビルの窓を見れば、優雅に宙を舞う混天綾がパラシュートのように大きく広がっていたのだった。半べそかいた情けない顔。冗談、こんな阿呆丸出しの死に方、きっと死んでも死にきれない。
あとセーブデータ消したのも絶対に許さない。
やがて落下が止まったとき、降り立った地上にバレリーナのようにつま先で立って、聳え立つ天守閣をキッと見上げた。
視線の先にはただひとり、燃えるような殺意が彗星の身体を包み込めば次の瞬間、文字通りその痩身は青いオーラを身に纏い、彗星となって激しく、強く、コンクリートを蹴った。
*
その手は迷わずに空を切り、音高く霙の頬を叩いた。
乾いた音が木霊する。
霙は驚いた顔をしていた。
落ちたモノクルが絨毯の上で弾む。
見開いた目が、呆然と楼翅を見つめていた。
――――否、時計が戻る。
腕を引かれた霙はよろけ、不思議そうな顔をして振り向く。
そして、
パァァァン!
と、甲高い音が広がった。
それは、ヒトの頬を手のひらで打ち据えた音によく似ている。
燃え盛る紫炎が黄金色の瞳に反射していた。
霙はそこに佇んでいる。宙を掻いた楼翅の手は、〝見えない何か〟に遮られている。
霙はゆったりと微笑み、居住まいを正す。
霙「おやおや…………いけない子ですねぇ、楼翅」
まるで世界の終わりみたいな顔をする焔律の隣で、比較的深刻そうな声色で尋ねてくる小魔王は、長い袖に覆われた両手を硝子片の撒かれた床に突いて深い摩天楼を見下ろした。
すぐ下では金閣銀閣兄弟が霙の金斗雲に乗っていた。
ぼそぼそと小さな声で会話が聞こえてくるが、次の瞬間視界を灼いた光に息を呑む。
その反対側の窓で彗星が落下していったことには当然のように気付かなかった。
存命、それもまだ若いうちに退座させられることなどきっとそうあることではない。
それも後継者はあの雲、だ─表情には出さず素早くそこまで考えると、
少しだけ哀切な色を瞳に灯し、霙の言葉につられて計四人が飛び降りた窓を見つめる。
瞬間どこからか高い音─そうまるでガラスが割れるかのような─が響き、銀色が宵闇をかける。
広い窓は下界のみならず空までも一望でき、今日なんかはあちこちから怒号が聞こえ人が落ちる。
嗚呼、愉快だ。きっと普段ならそう笑って真っ先に喧騒に飛び込んでいく楼翅も、今ばかりは
欠片も笑みなど零れ落ちてこなかった。それどころか遂に気づいてしまった事実に、今まで
怒りだけで動いてきた身体はふっと行き場をなくす。
怒りと、憐れみ。相反する二つの感情が心の中でせめぎあって、結論を出した。
細い指先ですっと背後の窓枠をなぞると、手品のようにそこから炎が生まれる。
苦しげに少し長い瞬きをすると、一気に窓枠が燃え盛った。普通の炎とはどこか違っているようで、
まるで生き物のように揺らめいて、橙に緑に、果ては紫まで色を変え煌々と窓を包む。
無論、何のためかというと霙を外へ逃がさないためだ。
そうして体力を消費しながら、足早に此方に背を向けている霙に近づくと、大きく右手を振り上げる。
左手は彼の腕へと伸びていて─つまり、彼を引き寄せ此方へと向けさせると同時に横っ面を
引っ叩いてやろうというのだ。
迷いない右手は高く、高く伸びていた。
金斗雲の上に無事着地した銀角大王は面倒臭そうに目を細めた。
急カーブを描いて反対側へ飛んでいく二人の姿が小さくなっていくのを眺めてる。
一方の金角大王は命令に忠実で、ぐぐっと長袍の首元を緩め、九尾の絵の赤い刺青に触れた。
「氷麗兄さん、まさか抜く気じゃないですよね?」
上空にいる霙を探すかのように、一瞬、天を仰ぎ、本当に面倒臭そうな声で、弟は言う。
兄は何も返事をしない。
氷麗「……九尾狐、人を喰ろう能(し)て、哭け」
刺青の場所から水の波紋のような揺れが生じ、瞬く間に体内から剣を取り出した。
浅葱色の長い長い髪の毛が、目にも鮮やかな緑の漢服の裾が、吹き抜けるビル風夜風に従ってぶわりとはためいた。
爛々と光る黄色い宝石の瞳は、その中心に 夜闇の中みるみる小さくなってゆく傍付きの姿を確かに捉えていて。
黙っていれば形の良い唇が、横一直線、勝ち誇ったような笑顔の形に にまーっと歪められる。
朧月
「クックック…抜かったな彗星、まさか子(し)もカモがネギ背負ってやってくるとは思わなんだろう!
しかーし!獅子は子供を敢えて谷底に突き落とすと云う!ならば寡人もそれに倣おうではないか!
子を想っての愛の鞭ゆえ悪く思うな!あとさっき間違って彗星のセーブデータ消しちゃったごめんねーー!」
口から生まれたとはこの事、ぺらぺらとよく喋る上に鋭く通る声は、騒がしい摩天楼の夜に更なる騒音をプラスした。
態度を一変させ、てへっと照れ笑いながら述べた最後の情報を最後にもってきたのには悪意しか見えない。
…いや違う、徹夜のレベリング後で画面がボヤけてたのが悪いのだ。よくあるよくある。
その隣からちょこんと顔を出した白娘子は、片方の蛇に自らの披帛の端を摘まませて ぱたぱた旗のように振りながら
遅くなる前に帰って来るんだよー、と遊びに行く子供を見送る母の笑顔を浮かべていた。
浅葱色の長い長い髪の毛が、目にも鮮やかな緑の漢服の裾が、吹き抜けるビル風夜風に従ってぶわりとはためいた。
爛々と光る黄色い宝石の瞳は、その中心に 夜闇の中みるみる小さくなってゆく傍付きの姿を確かに捕らえていた。
黙っていれば形の良い唇が、横一直線、勝ち誇ったような笑顔の形に にまーっと歪められる。
朧月
「クックック…抜かったな彗星、まさか子(し)もカモがネギ背負ってやってくるとは思わなんだろう!
しかーし!獅子は子供を敢えて谷底に突き落とすと云う!ならば寡人もそれに倣おうではないか!
子を想っての愛の鞭ゆえ悪く思うな!あとさっき間違って彗星のセーブデータ消しちゃったごめんねーー!」
口から生まれたとはこの事、ぺらぺらとよく喋る上に鋭く通る声は、騒がしい摩天楼の夜に更なる騒音をプラスした。
態度を一変させ、てへっと照れ笑いながら述べた最後の情報を最後にもってきたのには悪意しか見えない。
…いや違う、徹夜のレベリング後で画面がボヤけてたのが悪いのだ。よくあるよくある。
その隣からちょこんと顔を出した白娘子は、片方の蛇に自らの披帛の端を摘まませて ぱたぱた旗のように振りながら
遅くなる前に帰って来るんだよー、と遊びに行く子供を見送る母の笑顔を浮かべていた。
まるで子供みたいにはしゃぐ彼女は、良い意味で年齢を感じさせない。
そんな折、不意に言葉を切った彼女の視線の先へ首を巡らせようとして……〝嫌な予感〟がした。
彗星「ほぅあ――!?」
悪寒という名の電撃がビリっと背筋に走る。あの悪夢のような緑を視界に映した瞬間、もう半ば分かりかけていた〝彼女〟の声は、傍付きを漫画みたいに震え上がらせた。
形容しがたい悲鳴を上げて、彗星の怯えを汲み取り波打った混天綾に引っ張られるようにして浮き上がった身体は欄干に片足を載せたが最後、わたわたと両手を振り回し、くるっとバランスを崩して――――真っ逆さまに光り輝く摩天楼の海へと落ちていった。
まるで子供みたいにはしゃぐ彼女は、良い意味で年齢を感じさせない。
そんな折、不意に言葉を切った彼女の視線の先へ首を巡らせようとして……〝嫌な予感〟がした。
彗星「ほぅあ――!?」
悪寒という名の電撃がビリっと背筋に走る。あの悪夢のような緑を視界に映した瞬間、もう半ば分かりかけていた〝彼女〟の声は、傍付きを漫画みたいに震え上がらせた。
形容しがたい悲鳴を上げて、混天綾に引っ張られるようにして浮き上がった身体は欄干に片足を載せたが最後、わたわたと両手を振り回し、くるっとバランスを崩して――――真っ逆さまに光り輝く摩天楼の海へと落ちていった。
はしゃぐ天威とは裏腹に、半泣きになって縮こまる雲はぶるぶると可哀想なほど震えていた。
雲「……っ天威、」
天から微かに聞こえた兄と焔律の声。視界に飛び込む追っ手。
天威の胸板に顔を埋めるようにしてぎゅっと縋り付きながら、目まぐるしく変わる景色に追いつけなくなって固く目を瞑った。
*
弾け飛ぶ無数の煌きを背に、黒いシルエットは再び命綱無しのバンジージャンプをする。
まだ春先、頬を打つ夜風は冷たい。
地上に向かって真っ直ぐ落ちていった二人が金斗雲に抱きとめられると、黑暗も同じように空中で腰を捻り、向かいのビルを蹴って向きを変えた。
しかし金斗雲を使う相手にちょっとやそっとで追いつけるはずもなく、投擲した錫杖が翳した右手に戻ってくると、黑暗はこのあと書かされるであろう始末書の山に早くも胃を痛めていた。
半泣きになって縮こまる雲はぶるぶると可哀想なほど震えていた。
雲「……っ天威、」
天から微かに聞こえた兄と焔律の声。視界に飛び込む追っ手。
天威の胸板に顔を埋めるようにしてぎゅっと縋り付きながら、目まぐるしく変わる景色に追いつけなくなって固く目を瞑った。
*
弾け飛ぶ無数の煌きを背に、黒いシルエットは再び命綱無しのバンジージャンプをする。
まだ春先、頬を打つ夜風は冷たい。
金斗雲を使う相手にちょっとやそっとで追いつけるはずもなく、投擲した錫杖が翳した右手に戻ってくると、黑暗はこのあと書かされるであろう始末書の山に早くも胃を痛めていた。
もし少しでも動いていたらまず間違いなく串刺しにされていたであろう銀の閃光が、彼の赤紫の髪の毛を数本切り飛ばした。
焔律「っ………!!」
月光を反射してきらきらと氷の欠片のように舞う砕け散った硝子の破片は、冷たい夜闇の中でやけに幻想的だった。
長い袖で咄嗟に視界を守っていた焔律は、隣で楽しげに飛び跳ねる真火の無事を横目で確認すると
ふるふると水に濡れた猫のように頭を振って硝子の粉を払い、やがて澱んだ目をして深い溜息を吐くのだった。
「6枚目、だ………」
生まれ変わったら窓ガラスだけにはなりたくない。
∴
雪姫「あっはは、みんな楽しそうだねぇ…!」
楼閣が揺れる程に響いた誰かの絶叫、少し遅れて聞こえた硝子の割れる音。
流れ星か何かのように、上から人影がまぁ落ちてくるわ落ちてくるわ。
まさか違う階で同じ様にはしゃいでいる子供が居るとも知らず、きゃっきゃと手を叩く姿は心底愉快そうで。
「ねーえ、彗星ちゃんもおいでよ。あっほらほら金斗雲!
雲ちゃんもあれくらい上手くなれれば良いん……あっ、」
遠い目をして――実際遠くを見ているのだが――孫か子のように可愛がっている若者達が戯れあうのを眺め、
この状況に少し呆れ気味な隣の哪吒太子に構わず 笑顔であれはこれはと指差してみせる。
…が、不意に言葉が切れ、一瞬…ほんの一瞬、白娘子の赤い瞳がピントを変えてすっと室内へ向けられる。
今度は二匹の蛇よりも先に彼女が気付いた。でも、なんで、こんなに近付くまで全く気が付かなかった。
視界の端で 鮮やか過ぎる緑色が揺れる。
朧月「さああぁぁ…ぁぁあああっっっぷらぁぁぁあああいず!!!」
地の底を這うような重低音から、壊れたラジオのような大絶叫まで音域は恐ろしい程幅広い。
こっそりと背後から忍び寄って耳元で大声を上げるという酷く古典的かつ幼稚な手法は
足音、呼気、妖気、そして気配を消すことによって ある意味で狂気、またの名を凶器と化す。
恐らくたった一人で独房にでも閉じ込められていれば物静かな性格で通す事が出来るのだろう偶戎王は
こんな大騒動が巻き起こる楼閣に住まう以上、特等席を確保する為にはプリズンブレイクすらも辞さない。
もし少しでも動いていたらまず間違いなく串刺しにされていたであろう銀の閃光が、彼の赤紫の髪の毛を数本切り飛ばした。
焔律「っ………!!」
月光を反射してきらきらと氷の欠片のように舞う砕け散った硝子の破片は、冷たい夜闇の中でやけに幻想的だった。
長い袖で咄嗟に視界を守っていた焔律は、隣で楽しげに飛び跳ねる真火の無事を横目で確認すると
ふるふると水に濡れた猫のように頭を振って硝子の粉を払い、やがて澱んだ目をして深い溜息を吐くのだった。
「6枚目、だ………」
生まれ変わったら窓ガラスだけにはなりたくない。
∴
雪姫「あっはは、みんな楽しそうだねぇ…!」
楼閣が揺れる程に響いた誰かの絶叫、少し遅れて聞こえた硝子の割れる音。
流れ星か何かのように、上から人影がまぁ落ちてくるわ落ちてくるわ。
まさか違う階で同じ様にはしゃいでいる子供が居るとも知らず、きゃっきゃと手を叩く姿は心底愉快そうで。
「ねーえ、彗星ちゃんもおいでよ。あっほらほら金斗雲!
雲ちゃんもあれくらい上手くなれれば良いん……あっ、」
遠い目をして――実際遠くを見ているのだが――孫か子のように可愛がっている若者達が戯れあうのを眺め、
この状況に少し呆れ気味な隣の哪吒太子に構わず 笑顔であれはこれはと指差してみせる。
…が、不意に言葉が切れ、一瞬…ほんの一瞬、白娘子の赤い瞳がピントを変えてすっと室内へ向けられる。
今度は二匹の蛇よりも先に彼女が気付いた 新たな人影があった。
視界の端で 鮮やか過ぎる緑色が揺れる。
朧月「さああぁぁ…ぁぁあああっっっぷらぁぁぁあああいず!!!」
地の底を這うような重低音から、壊れたラジオのような大絶叫まで音域は恐ろしい程幅広い。
こっそりと背後から忍び寄って耳元で大声を上げるという酷く古典的かつ幼稚な手法は
足音、呼気、妖気、そして気配を消すことによって ある意味で狂気、またの名を凶器と化す。
恐らくたった一人で独房にでも閉じ込められていれば物静かな性格で通す事が出来るのだろう偶戎王は
こんな大騒動が巻き起こる楼閣に住まう以上、特等席を確保する為にはプリズンブレイクすらも辞さない。
彼女を抱きしめる腕の力を強めると、右手の親指と人差し指で輪っかを作る。
それを唇で挟んで思いっきり息を吹けば、指笛の高い音が夜空に響き渡った。
ーー"それ"は何処からともなく現れた。
空中を落下し続けていた彼らを掬いあげるように飛来する。
ぼふっ、と音を立てて二人が落ちたのは、天威が呼び出した金斗雲だった。
天威「いや〜楽しかったっスね!!」
ごろんと寝転がりながら子供のように笑う。
相当な高さから飛び降りたのに、恐怖というものは全く感じなかった。
……寧ろ怖いのは彼らの方だった。
「げっ………!!」
視界の先にある3つの影。
どの人物も嫌なほど見覚えがあった。
僅かに顔色を悪くしながら表情を歪めると、再び彼女を抱え直して膝をつく。
金斗雲に触れる手に力を込めれば、急カーブを描いて飛び出した窓の反対側に回った。
投げられた銀の槍。音速で焔律の傍を通り抜けた煌きは、下界を見下ろす窓ガラスを真っ直ぐに貫いた。
蜘蛛の巣が少しずつ広がっていくように、夜空にヒビが侵食していく。
音高く絨毯を穿つ足音が迫った。
真火は咄嗟に顔にの前に両腕をかざす。
靡く混天綾を置き去りにしそうな黒い弾丸は、そのまま罅割れた窓ガラスを突き破って、新たな追っ手に加わるのだった。
真火「うわーっ!ぼくしーらない!」
顔を上げた紅孩児は恐る恐る焔律の傍に歩み寄ってそろっと地上を覗き込めば、妖怪大戦争もあわやの自体と化した久々の大捕物にわざとらしい声を上げ、楽しそうに跳ね回っていた。
今頃上では大捕物が始まっているに違いない。見なかったフリをしたいところだが、彼女はそれを良しとするだろうか?
些か時代錯誤的な発言をする雪姫は、マイペースにこの状況を楽しんでいるようだった。
口を開こうとした瞬間、割れんばかりの階下の怒号がテラスにまで吹き上がってきて、哪吒太子はひょいと肩をすくめるのだった。
*
霙「困りましたねェ……わたしたち、何か誤解があるようです」
形の良い眉を下げ、指甲套を嵌めた指を軽く組み合わせる。
細められた黄金色の瞳は、夜空に浮かぶ月よりももっと毒々しく煌めいていた。
「今日は窓を開けていて良かったですねぇ、今月に入ってもう取り替えるのは5枚目ですから。ほとんどあの馬鹿のせいですけれど」
楼翅に背を向け、霙は長い袖を引き摺るようにしてゆったりと歩き出す。
鵬魔王が何かに気付いたのには気付かない。
表情を変えないまま、黒鳶色の瞳で睨みあげる。赤い縁取りが迫力を加え、
燃え上がる感情を体現している。
楼翅 「いつも通り?……本当、最ッ低」
返す言葉も見つからず珍しく崩れた口調で吐き捨てる。こいつは良い兄、なんかじゃない。
雲が怯えたのにも、天威が飛び降りたのにも、何か理由があるはずだ。
そして間違いなくその根底にあるのはこの男だ。睨みつけるうちに
霙の頬に刻まれた〝黒〟の文字が目に飛び込んできて─ああそうかと、納得した。
自分もすぐさま追おうと踏み出した脚は阻まれる。
怒りに歪めていた顔を困ったような苦笑に変えて、霙は反しておっとりした口調で言った。
仄かな光を灯す瞳は、まるで子を嗜める親のようだった。
「いつも通りじゃないですか」
天威が騒ぎを起こして、兄がそれを叱る。
いつもと変わらない。
……ただひとつを除いては。
誤算だ。
迂闊だった。
雲が怯え始めていることくらい分かっていた、けれどいつものことだと思って、つい人前で雲を連れ出す真似をしてしまった。
――面倒だな、と思った。
いっそここで〝始末〟するか……?
誰かの怒号が鳴り響き、二人の傍つきがあっという間に下に消える。
楼翅もつられるようにして窓の淵により、一瞬の後に翅を広げたが
空中を浮遊する人数を見て自分が急いで行く必要は無い事を承知し。
そのままくるりと、取り残されたもうひとりを振り返る。
先程の雲の怯えたような様子、雲とともに飛び降りた天威、
激昂した霙…全てが一つに繋がって、楼翅は肩を怒らせて口を開く。
楼翅 「あんた、雲お姉さまに何をしているの?」
普段なら絶対に使わない粗暴な二人称は、真っ直ぐに黄金色の瞳に注がれていて。
逃がすものかと広げた翅で彼を囲う。
目を見開き、すぐさま窓の方へ走り出す。
舌打ちを零したのは弟の方で、ゆっくり笑いながら彼女の頭に触れた。
垂氷「ごめん、また今度ね」
ごめん、だけ彼女にだけ聞こえる声でそう言うと、機敏な動きで立ち上がり窓へと駆け走る。
既に兄は窓の淵に居て、何の躊躇いもなく飛ぶ。追いかけるように弟も飛んだ
ガッ、と音が鳴るほど床を蹴り、勢い良く窓際の欄干を掴んで 高速落下していった影が消えた下界を睨んだ。
こんな時でもいつも通りに揺れる 顔の半分を覆い隠す髪と髪飾りを、そろそろ煩わしいと思う間もない。
視界の端に光った、玉虫色とフリルの渦。
…と、それを抱える『ヤツ』の姿。
凛としたアルトの声が、割れんばかりにこだまする。
焔律「あんの…ばっっっか野郎ーーー!!」
後日になって分かったことだが、
この時の彼の叫び声は 天守閣の麓にまで届いていたらしい。
∴
深いため息を付いた彗星を見とめると、それ程まで主を探す仕事に骨を折っていたのかと労ると同時に
上司に対して敬意を持って職務に取り組んでいる(ように雪姫には見える)彼女に深く感心した。
頑張り過ぎは身体に毒だよ?と微笑み口にすれば、後で甘いものでも奢ってやろうと密かに決意する。
雪姫「さぁて、まずはどこから探……およ?」
とうとう折れたようだった彼女を満足そうに見つめ、ぱちんと手を打って仕切りなおそうとした…その時。
右側の蛇がやけに引っ張るので振り向いてみれば、刹那、黒い何かが高欄の向こうを縦に通り過ぎて行った。
「はぁーー…『なう』な『やんぐ』は空中で『らんでぶぅ』するのかい?ハイカラだねぇ…」
イマドキの言葉を使っているつもりらしいが、惜しいことに数十年ほど時代感を間違っている。
楽しそうな事への関心と若さ故の破天荒な行動への感心とが綯い交ぜになった溜息を吐き出すと、
まるで動物園に来た幼い子供みたいに、彗星も観に来るようにと笑顔でちょいちょいと手招きした。
僅か一瞬の出来事。しかし、長い人生に平和とほんの少しの刺激を求める白い老婆は、最近少し老眼気味といえど
それらが誰であるかを見逃すなんて失態は犯す筈がない。
「全く、あの子は本当に御先祖様にそっくりだよ」
この手が宙を掴んだとき、確かにあの横顔に笑みを見た。今まで何度も目に焼き付けた、憎い弟の得意気な顔。
霙「天威――っ!!」
反射的に叫んだ、振り返ったとき首飾りが、ジャラりと音を立てた。
窓の淵から二人の姿が消えた瞬間、霙は我に返る。
そして、
「お前たち!なにをグズグズしているのです!?早くあの二人を捕まえなさい!」
自らにも言い聞かせるように、元牛魔王は激昂した。
ひゅっと透明な夜空のスクリーンを上から下に落ちていった何かに当然、見覚えがある。
キョトンとして数秒、目を見開いたのは紅孩児、青ざめたのは玄奘だった。
*
雲「っ……!?」
連れ去るように肩を抱き、腕を掴んだ霙の横顔をよく知っていた。
幾度となくそうして兄は妹を部屋へと閉じ込めた。
見開いた青紫の瞳に映る悪戯な笑み。
すり抜けた霙から離れた瞬間、確かに安心していた。
「あっ、う……」
ふわりと身体が持ち上がると、反射的に天威の首もとにしがみつく。
掛け声に嫌な予感が背筋を駆け上った。
斯くして――視界が傾ぐ。
風を受けてなびく髪とリボンが重力に逆らって天へと向いた。
情けない声はついぞハッキリとした言葉を形作ることなく、音なき悲鳴となって雲の喉から迸ることになった。
驚いたように霙の背中を見つめる。
吹き込まれたセリフを頭の中で繰り返し、首を傾げた。
ーー自分が大人しくできないのは、この人が一番知っているではないか。
天威「……はい!10秒経った!」
突然声を上げたかと思うと、彼らの方に駆け寄って雲の手をぎゅっと握る。
そのまま思いっきり腕を引き、先ほどと同じようにすっぽりと腕の中へ閉じ込めた。
浮かべる笑顔は悪戯っ子のそれに似ている。
「というわけで!雲ちゃんは返してもらうっス!」
……少しだけ、と言ったのは彼だ。
にしし、と悪そうな笑みを浮かべながら少女を抱き上げ、何を思ったのか大きく開かれた窓の淵に立った。
自分たちの下には見慣れた街が広がっている。
「行くっスよー……!」
雲に言い聞かせるように小さく声をかけると、何の迷いもなく淵を蹴る。
彼女を抱きしめた体勢のままーー彼らは、真っ直ぐ地上に向かって落ちていった。
驚いたように霙の背中を見つめる。
吹き込まれたセリフを頭の中で繰り返し、首を傾げた。
ーー自分が大人しくできないのは、この人が一番知っているではないか。
天威「……はい!10秒経った!」
突然声を上げたかと思うと、彼らの方に駆け寄って雲の手をぎゅっと握る。
そのまま思いっきり腕を引き、先ほどと同じようにすっぽりと腕の中へ閉じ込めた。
浮かべる笑顔は悪戯っ子のそれに似ている。
「というわけで!雲ちゃんは返してもらうっスよ!」
……少しだけ、と言ったのは彼だ。
にしし、と悪そうな笑みを浮かべながら少女を抱き上げ、何を思ったのか大きく開かれた窓の淵に立った。
自分たちの下には見慣れた街が広がっている。
「行くっスよー……!」
雲に言い聞かせるように小さく声をかけると、何の迷いもなく淵を蹴る。
彼女を抱きしめた体勢のままーー彼らは、真っ直ぐ地上に向かって落ちていった。
と、釣れない態度で返すとちらりと他の人たちの動向を見る。集まりすぎた人々は
多分解散へと向かっている。
横目に雲、霙、氷麗、天威のやりとりを見ていると、そっと手が伸びてきて
顔の横に垂らしていた横髪が耳に掛けられて、少しだけ赤みがかった尖った耳が顕になった。
つ、と滑るように視線を垂氷に戻すとしゃがみ込んだ彼の頭が丁度同じくらいの
高さになっていて、少しだけ驚いた。目を合わせたまま彼の言葉を聴き、
先程自分が挑戦的に放った言葉を思い出した。─〝まだオシゴトが終わっていないものね〟
嫌な予感が背筋を駆け上がるのに知らないふりをして、おずおずと口を開く。
「…へえ、だから?」
と、釣れない態度で返すとちらりと他の人たちの動向を見る。集まりすぎた人々は
多分解散へと向かっている。
横目に雲、霙、氷麗、天威のやりとりを見ていると、そっと手が伸びてきて
顔の横に垂らしていた横髪が耳に掛けられて、少しだけ赤みがかった尖った耳が顕になった。
つ、と滑るように視線を垂氷に戻すとしゃがみ込んだ彼の頭が丁度同じくらいの
高さになっていて、少しだけ驚いた。目を合わせたまま彼の言葉を聴いたけれど、
何が言いたいのかよく分からない。そんな情報いらないけれど、と思いながら
首をかしげて口を開く。
「へえ、そうなの。確かに残業なんてしたいものではないわね」
はい。と小さく頷いた。翡翠色の瞳は周囲の状況に興味がないのか、指示された方向以外は見てはおらず、
早々とその場を去ろうとしている。
一方、弟の方は相も変わらず、鵬魔王に笑みを向けていた。
垂氷「楼翅サマみたいな可愛い人には、何でも、教えてあげますよ」
そう言って視線を下に落とす。睨むような上目遣いが可愛らしく静かに微笑んだ。
彼女の顎まで伸びる顔横の髪の毛を耳にかけて、顔を合わせようと、しゃがみこんだ。
「それに僕、残業しない主義ですから」
其の言葉も引っ込んだ。物悲しく揺れる瞳は彼の本心を映しているのかもしれない。
いや、それさえも嘘かもしれない。返答に迷って長い睫毛をぼうと眺めていると、
先程の反省が頭を過ぎった。─よく知りもしないのに決め付けるのは、良くない。
楼翅 「……嫌いになるほど、貴方の事知らないわよ」
綯い交ぜになった感情は向かうところを知らず、それらを少しだけ零すように
小さく吐いた溜息を混ぜて返す。
ああ、溜息を吐くと幸せが逃げるのだった。全く、どうしてくれる。
関係ないことを考えて気を紛らわせながら、少しだけ翡翠色の瞳をにらんでみる。
カチャり、と擦れた指甲套が鳴る。
口の端を吊り上げて兄は笑った。ほんの少しだけ、邪に犬歯を覗かせて。
離された雲の腕を掴み、引き寄せて肩を抱く。
「氷麗、エレベーターのボタンを押して来てください」
そして、楼翅と話をしている垂氷を通り越した視線は、金閣大王の上で止まって細められた。
霙はまたゆったりと歩き出す。
不貞腐れた天威の傍を通りがかる瞬間、薄い唇は弟にしか聞こえない声でそっと、優しく、囁くのだ。
「……貴方は大人しくしていれば良いんです」
カチャり、と擦れた指甲套が鳴る。
口の端を吊り上げて兄は笑った。ほんの少しだけ、邪に犬歯を覗かせて。
離された雲の腕を掴み、引き寄せて肩を抱く。
「氷麗、エレベーターのボタンを押して来てください」
そして、楼翅と話をしている垂氷を通り越した視線は、金閣大王の上で止まって細められた。
霙はまたゆったりと歩き出す。
不貞腐れた天威の傍を通りがかる瞬間、薄い唇は弟にしか聞こえない声でそっと、優しく、呟くのだ。
「……貴方は大人しくしていれば良いんです」
納得いかないというようにそっぽを向く。
が、腕の中の少女の体に緊張が走ったのがわかった。
……そうだ、このままだと彼女にも迷惑をかけてしまう。
天威「……しょうがないっスね!」
少しだけ、という彼の言葉を信じよう。降参するようにパッと手を上げた。
マフラーの下で浮かべているであろう、引きつった顔を見せずに済んで良かった。
そんな風に笑われては、断るものも断れない。
彗星「はぁ……」
消え入りそうにに紡いだ声は、押し流される川の小石のようだ。
うねうねと揺れる蛇たちは、きっとこちらの考えもお見通しなのだろう。
大きな黒鳶色の瞳を見つめ、笑みを絶やさないままその台詞に否定も、肯定もしなかった。
垂氷「嫌いになりそう?」
紡がれたのは返事では無かった。
手慣れた台詞に感じるのは、きっと自分が節操のない人物だからだ。
何もかも憂うように伏せられた睫毛から覗く翡翠色の瞳は、切なそうに揺らめいた。
また負けたというように苦々しさをはらんだ表情になった。
ああもう、またそういうことを言う。本当、いけ好かない。
斜めに傾けた顔も、さらりと流れる水浅葱の髪の毛も、わざとらしく視線を逸らすのも、
彼に似合ってしまうから、何故だか気恥ずかしく感じてしまうからいけ好かない。
少しだけ意識して呼吸をすると、どうにか態勢を整えて負けじと反駁する。
楼翅 「ふうん、そうなの?女性の家を転々としているって聞いた事があるけれど、
貴方にも恥じらいってあるのね」
言葉だけだと冷たい印象を感じさせるが、眦を吊り上げた表情や噛み付くような口調は
全く子供らしく、年相応で─それも嫉妬しているかのよう。
尤も本人は全くそんなつもりはないのだが。
畳みかけるように自然に腰でも抱こうかとした瞬間、細められた赤い縁取りの目
不遜な笑みを浮かべて愛らしい唇から紡がれた言葉は、予想外の台詞だった。
垂氷「可愛いこと言いますね」
彼女が距離を計って上目使いで見るその表情は、物凄く魅力的だ。
右目元の紋様を意識しながら顔を斜めに傾ける。
「大胆な誘い方に、恥じらいぐらいあるんですよ」
わざとらしく視線を外して、小声で笑った。
小声で翡翠色の瞳に言い返す。
楼翅 「別にデートしてたわけじゃな、」
そこまで言いかけて気づく、目元に刻まれた唐花文が銀色であることに。つまりこちらは弟。
昼間には人間の女性の家を渡り歩いているらしい、という噂を小耳に挟んだこともある。
そう考えて途端ムッと腹が立った。からかわれたのだろうか。全く─いけ好かない。
そうして今度は口元に不遜な笑みをたたえると瞳を細め、皮肉っぽく口を開いた。
「それにしても、女性を誘うのに〝今度〟っていうのはないんじゃないの?まだ夜は長いわよ。
ああ、でも─」
そこでこてんと首をかしげながら一歩垂氷に近づく。それは身体にしみこんだ、
お互いのパーソナルスペースを割らないような距離で。上目遣いに自分より幾らか高い位置に
ある顔を見上げると挑戦的に笑った。
「まだオシゴトが終わっていないものね。残念だわ?」
そう言って勝ち誇ったように笑う。まるで花が咲いたようだった。
先を促す言葉を掛けようとしたとき 天真爛漫な声が一瞬早くそれを遮った。
焔律「わ、ちょっ…引っ張るなって!」
先ほど自分は直前で思い出して彼の潔癖症を気遣ったが、
ゴーイングマイウェイの具現化のような小魔王にそういった期待をしてはいけない。
真火に容赦なくむんずと手を掴まれた黑暗に対して心の中で静かに合掌しつつ、
男二人をぐいぐいと引っ張る見た目より強い力に、段に躓いて転んでしまわないよう付いて行った。
∴
この楼閣において、相手の気持ちを察しない人物は一人ではない。
慌てて遠慮した(ように雪姫には見えた)生真面目な彼女を見ると、安心させるように笑う。
雪姫「だーいじょうぶ大丈夫、若い人が困ってるのを見過ごす訳にはいかないよぉ」
正直来ない方が都合が良い、そんな彗星の心中を『のほほん』とした白娘子が知る由もなく、
口元で両手の平をぱちんと合わせれば、追い打ちをかけるように屈託なく笑った。
これが万が一ワザとならば相当タチが悪い。
二匹の蛇は本当の事を知っているのか、しかし細長い身体を揺らして 雪姫とは別の意味で笑っているように見えた。
相変わらず真面目な顔の兄に対し、弟は僅かに表情を緩めた。
営業スマイルを向ける鵬魔王にゆっくり近づいていくと、赤金色の髪に目を細めた。
そして少し屈んで、静かに耳打ちした。
垂氷「ねぇ、今度は僕ともデートしてよね。楼翅サマ」
楼翅にバレてしまっただろうかと浅はかな行動を後悔し、同時に早鐘を打ち始めた鼓動が彼に伝わってしまっていないだろうかと焦りに胸を焦がす。
振りほどいて逃げることは出来なかった。
彼を傷つける勇気が無かった。
分かりやすい作り笑顔を浮かべる彼女に、元牛魔王は改めて答えた。
駄々をこねる弟に向けた視線には呆れが混じる。
嗜めるように告げれば、こちらも雲の肩を掴む手に少しだけ力を込めた。
「少しだけですから」
我慢してください。
良いところだったのに、と霙に不服そうな目を向ける。
せめてもの抵抗なのか抱きしめる腕の力を強めた。
その様子は駄々をこねる小さな子供とあまり変わらない。
が、垂氷に声をかけられると、途端に表情を緩ませた。
「へへ、そうっスかね〜?」
モテモテと言われたのが嬉しかったのか、少し照れたようにヘラヘラと笑った。
良いところだったのに、と霙に不服そうな目を向ける。
せめてもの抵抗なのか抱きしめる腕の力を強めた。
その様子は駄々をこねる小さな子供とあまり変わらない。
が、垂氷に声をかけられると、途端に表情を緩ませた。
「へへ、そうっスか〜?」
モテモテと言われたのが嬉しかったのか、少し照れたようにヘラヘラと笑った。
尤も二人の立場はまるで逆、なのだが。
ぼんやりとそんなことを考えていると、天威から問いかけられ、自分が提案した癖に具体的な
ことを考えていなかったと思い当たる。そうねえ、と独白のように零した時、彼はやってきた。
その時、雲が怯えた様に息を呑んだのを丁度目に留めたがその理由は分からず。
まさかこの接しやすそうな彼が、実際はそんな事ないだなんて知る由もない楼翅は
不審に思いながらも流してしまうのだが。
人当たりの良い笑みを浮かべる彼─霙、に次いでさらに二人、傍つきもやってきたので
楼翅もつい癖で営業スマイルを浮かべ軽く会釈する。
楼翅 「どうもこんばんは、お三方。」
片方は主以外を視界には映しておらず、表情も硬い。
もう片方は小さく口元を緩めながら、楼翅に視線を映して軽く会釈をした。
そして、天威と目を合わせれば、からかうような声で笑った。
垂氷「モテモテだね、妬けちゃうなぁ」
片方は主以外を視界には映しておらず、表情も
もう片方は小さく口元を緩めながら、楼翅に視線を映して軽く会釈をした。
そして、天威と目を合わせれば、からかうような声で笑った。
垂氷「モテモテだね、優男」
普段無表情ばかりが目立つが、意外にも表情豊からしい。
真火「じゃあみんなで行こー」
言うやいなや、真火は二人の手を取って歩き出した。
黑暗が悲鳴のような何かを上げるがそんなのはお構いなしで、階段を跳ねるように降りていく。
*
その声が聞こえたとき。
ぞわりと背筋が粟立った。つま先から、頭の天辺まで。
小さく息を飲んだ。そして瞬いた瞳に、微かな怯えが反射した。
探していたんですよ、の一言に固まる。
けれど、俯いた顔を上げることは無かった。
正直に言うと一人の方が何かと都合が良い……主に主人に対して、他所には見せられないような扱いを……いや、そんなことは断じて。断じてない。
彗星「い、いや、それは、申し訳なく……」
咄嗟に口を突いて出た台詞と共に、顔の前で両手を振るが効果は見込めそうにない。
なぜなら1度やる気になった彼女がそう簡単に引き下がってはくれないことを、彗星は良く知っていたからだ。
つー、と、暑くもないのに冷や汗が頬を伝う。
*
霙「――――あぁ、ここに居ましたか」
その時。
よく通るアルトの声は近づいて来た。
人懐こく、触りの良い笑顔。
長い袖が翻れば、甘く脳をかき乱すような、香の匂いがふわりと舞った。
「天威、ご迷惑をかけていませんか?」
絨毯に靴の底が擦れる。
モノクルの奥で彼らを見る青紫色の瞳は、分厚いレンズに遮られ何を映しているのか分からない。
「探していたんですよ、雲。戻りましょう――お邪魔してしまってすみません。また遊んでやってくださいね」
突然やって来た霙は、そう言って妹の肩に手を乗せた。チラと視線を向けた楼翅にゆったりと微笑むと、指甲套の輝く左手を無造作に上げる。
それは背後に控える二人の傍付きへの撤退の合図だった。
続いて楼翅の方を見ると、少し顔が赤くなっているように見える。
不思議そうに首を傾げながらも、これからどうしようか尋ねてみた。
天威「二人はどこに行きたいっスか?」
女の子ならゆっくりくつろげる所が良さそうだ。
……どちらかの自室になるなら自分は退散しよう。流石に年頃の女性の部屋に入るわけにはいかない。
真火の言葉に対して、五行山の岩もかくやといった重々しい表情を浮かべる黑暗に口を噤む他なかった。
焔律「あぁ…なるほど…」
そして察する。これ以上は何も言うまい。
深く言及しようものなら、目の前の悩める傍付きの脳内回線がそろそろ爆発してもおかしくない。
「俺も今ウチのを探してたとこなんだけど…もしかしたら一緒にいるかもな」
先ほどまで小魔王を背負っていた肩を労うように手を当てて、やれやれと言った風に竦めてみせれば
自分達が今から向かおうとしていた、見知った妖気が集まる廊下の方角をちらりと見やる。
もうすっかり子守が習慣になっているように見えてならないが 残念な事に本人の気付くところではない。
∴
彗星のいつもより五割ほど湿度が増しているような視線に気付けば、あらあらと困ったように眉を寄せる。
若者の元気がないのを見ると、何かしてあげたいと思ってしまうのが老人―――もとい彼女の性だ。
顎に手を当て、ちょっとばかし考え込むポーズをした雪姫を 白蛇達は両側から不思議そうに見つめていた。
雪姫
「…あぁそうだ!私も一緒に探してあげようか。
なぁに気を遣わなくていいよぉ、私が好きでやるコトさ」
やがて、表情を明るくしてポンと手を叩くという使い古されたアクションを寸分違わず踏襲すれば、
純粋な善意に満ちた――しかしそれ以上に脳天気な彼女が仕事に関わるというリスクを考慮しない――言葉を掛ける。
相手の返事を待つ前にもうすっかりその気になった白蛇の精は、
自身の小さな白い手をぎゅっと握りしめ、赤い瞳にやる気を漲らせていた。
こくりと頷きかすかに肩を竦める。
既に何時間か探し回ってきたあとなのだろう、どんよりした眼差しには疲労の色が濃く見られた。
まだ小童ほどの歳月しか過ごしていない自分からすれば、文字通り彼女は師匠のようでも、母親のようでも、姉のようでもある。
こちらを見据える二匹の蛇に鼻先を齧られぬよう、彗星は口許にかかるマフラーを指先でちょいと引き上げた。
とにかく険しい顔つきをそのままに、身体を起こし震える手で錫杖を床に突く。どう考えてもどう見ても、問題ありまくりなのだが、黑暗がそれ以上口を開くことは無かった。
真火「あ、そう言えば今週って天威おにいが<七子>の番だったよね?」
すると焔律の背中から飛び降りて、ふわりと踊り場に着地しながら真火が言う。黑暗は重々しく、苦々しく頷く。
ところでこれがいわゆる〝苦虫を噛み潰した顔〟というものなのだろうが、一体どこの誰が〝苦虫〟とやらを噛み潰してみたのだろう。
なんとも形容しがたい雰囲気を充満させる踊り場に、苦笑とも困惑ともつかない表情を浮かべ
残りの段数を降りながら、果たしてこの状況をどう対処したものかと思案する。
「あー……怪我してないか?…ってわりぃ、こういうのダメなんだっけ」
床の上に倒れてぷるぷる震えている黑暗と同じ場所まで降り立てば思わず手を差し出すが、
相手がいわゆる潔癖症だったことを突然思い出し、苦笑しながら少し気まずそうにその手を引っ込めた。
一体全体何が、冷静沈着を絵に描いたような彼をこのような状況に追い込んだのかは知らないが 根源は粗方察しがつく。
七子いちのトラブルメーカーである『あいつ』の傍付きともなれば、それなりの苦労が伴うのは自明のことだろう。
∴
雪姫
「はぁいはい、おはようございます。彗星ちゃんは今日も可愛いねぇ」
目を細め、まるで孫か子供でも見るかのような愛おしげな視線を彗星に向けると
するりと体の向きを変え高欄からすとんと降り立てば、ひらひらした薄桃色の披帛が後を追うように翻る。
二匹の蛇は大人しい振りをして、赤い舌をが覗かせながら低い姿勢から彼女を見上げていた。
「また主さんを探してるのかい?傍付きさんは大変だぁねぇ…」
ずり落ちた披帛を直しながら紡がれたその言葉には何処を見ても嫌味や皮肉はなく、
白娘子はただ純粋に 彼女の労をねぎらっているようだった。
雪姫も良く知る、“自由人過ぎる”彼女の主を思い浮かべると やれやれと苦笑して肩を竦める
一刻前に移動しないかと受けた提案を流してしまったのを今更のように申し訳なく思いながら、小さくこくりと頷いた。
天守閣に少しずつ活気が出てくると、青白い炎は煌々と燃え上がった。
忍び寄る闇がヒトの世と妖の世界がようやく二つに分てば、窓の外には鬼火が舞い、龍が踊るのだった。
久しぶりであった。少しだけ驚いたように目を見開くと照れたように下唇を噛む。
そしてふと視線を上げると丁度此方を見た雲と絡み合う。
瞳は薄暗い中でもよく分かる程には水気を含んでいて、何か声を掛けようかと
思ったがそれが零れてしまう事を恐れて慌てて天威を見上げた。
わざわざ泣かせたいと思うほど雲を嫌っているわけではなく、只よく知らないだけなのだ。
──多分お互いに。
楼翅 「良い子じゃないわよ、別に。 雲…お姉さまも何もしないからお泣きにならないで」
そっと付け足した一言で伝わっただろうか。
目を見開き、余韻の如く逆立つ白い髪が猫を連想させる。
放心状態から約2秒程度で復活すると、即座に居住まいを正して彼女に頭を下げた。
まあそれなりに、生きてはいるが彼女には到底及びはしない。
彗星「…………おはようございます」
マフラー越しのごく小さな声がそう挨拶した。
しかしその手は自分に届くことなく引っ込められる。
雲「んん……」
年不相応に幼い態度。
長い睫毛が雫を弾く。赤くなった頬が彼の手で顕になると、その時チラと彼女を見た玉虫色の瞳は瑞々しい涙の膜にしっとりと濡れていた。
*
かくして、その踊り場にバンジージャンプ(命綱無し)した人物は仰向けに転がっていた。
祈るように腹の上で両手に握った錫杖がわなわなと震える。それに合わせて鳴る涼やかな音が、その人物の正体を顕にした。
黑暗「……………………っ」
今にも泣き出しそうな、怒り出しそうな、何かが爆発寸前まで膨れ上がった感情という名の妖気が十万している。
一体全体どうしてそんな珍妙なポーズのまま固まっているのか、普段の氷のような無表情はどこへ行ったのか、疑問は尽きないが、唯一察することがあるとすれば、この寡黙な従者の頭痛の種が何かしでかしたからに違いなかった。
おずおずと尋ねてくる真火の声。焔律自身も丁度同じことを考えていたようで怪訝そうに眉を顰めると、
下階へ続く階段を見つめながら徐ろに口を開いた。
焔律「さぁ……?」
言うが早いか ヒールを物ともせずに軽やかに階段を降りると、踊り場を抜け、また数段のステップを降りて
幾らか近付いたと思ったとき、階段と階段の隙間から 物音のした方を見下ろした。
「おーい、大丈夫か?」
手摺に片手を掛け、何とは無しにそう声をかける。此処に棲まう奴等の事は、大体は知っているつもりだ。
∴
ヒールが鳴らす硬質な音にまず反応したのは、酷く呑気な彼女ではなく それに付属する二匹の白蛇だった。
鎌首をもたげたまま音の鳴る方へ、ぐりんと体を捻ると、何を思ったか微かに首を傾げたように見えた。
雪姫「あらあらぁ…彗星ちゃんじゃない、おいでませ〜」
次いで、だいぶ遅れて彼女の本体が、気の抜けるような挨拶というオマケ付きでゆるりと振り返る。
笑顔の形にきゅっと細められた血のように紅い目は、月明かりの逆光の中でそこだけ光って見えるようだった。
袖で口元を隠して屈託無く微笑む姿は、目の前の少女とテンションの差はあれど、大して変わらない年齢のように見えた。
声の調子や仕草から彼女の心遣いが伝わってくる。
ーーほら、やっぱり優しい子だ。
天威「楼翅ちゃんはいい子っスね〜」
偉いっス!と腕を伸ばして彼女の頭をぽんぽんと撫でた。
それとは対照的に、腕の中の少女は未だに泣いている。
目元を覆っている袖をそっと退かすと、両頬に手をあてて上を向かせた。
「雲ちゃんは泣き虫さんっス!」
そこが可愛いんスけどね〜、とケラケラ笑いながら、目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。
それが降りてきたのは、ちょうど〝彼女〟の居る広いテラスだった。
げんなりとした眉に瞳は怒気を混ぜ、複雑な表情を蒼白な横顔に映し出す。
そこに誰かが居ると思って姿を現したわけではないらしい少女は、きっかり斜め45度に視線を下げて床を睨みつけながら、長い袖と混天綾を翻しイライラと歩みを進めていた。
髪飾りから手を離し、素直に彼に従えば、紅孩児はやけに上機嫌にニコニコと笑っていた。
しかし問題は待ってはくれぬようで、次の瞬間階下へと伸びる階段付近でドタバタと騒々しい音が響いた。言うなればそう……人がひとり階段から転げ落ちたような。
「……誰かな?」
しばしの間目を丸くし、ややあって控えめに焔律に尋ねる。
とは言えここに住む者、同じ妖である身だからたかが階段を転げ落ちたくらいでは骨も折らないだろうが、逆に言えばそう安安と足を踏み外したりしないものだ。よほど具合が悪くない限りは。
その次に適当に放たれたように見えた言葉を無碍にする事はなかった。
焔律「下ー?…あぁ、なるほどな」
妖力の気配を辿ると、確かに下階に複数の気配がある。
耳元で聞こえる沙羅沙羅という音から髪飾りが背中の少年の遊び道具になっていることを知るが、大して気に留めなかった。
また他所へうろちょろされる前に見つけなければならない。
何かに巻き込まれて、もしくは誰かに絡まれて半泣きにさせられてないことを願うばかりだが
多分もう無理だろうという確信に近い何かが、此方にはあった。
視界の端に現れた階段に一瞥をくれると、やれやれと言うように肩を竦める。
「落ちねぇように掴まってろよ、それが嫌なら自分で歩け」
ぶっきらぼうな物言いだが、少し腰を浮かせて背負い直す辺り やはりそれなりに相手を思っての事なのだろう。
やはり楼翅もそこは気になるようで、少しばかり早足に二人に近づくと黒鳶色の瞳で
窺うように雲を見つめる。
零れ落ちそうになった涙を袖でぎゅっと拭った雲に少しの罪悪感と愛おしさを覚え、
─楼翅は彼女の〝妹〟にあたるのだが─これまで少なからず疎んでいた
不出来な〝姉〟のことを何も知らなかったのだな、と少しだけ反省し。
楼翅 「泣かせるつもりはなかったの、少しキツかったわね…ごめんなさい」
抑えた声で呟いた謝罪の言葉は廊下の影に黒い気持ちと共に落ちた。
そして暗い気持ちを振り払うように少しわざとらしいほど明るい声を出す。
「こんな所にいてもしょうがないし、移動しない?…良かったら、ですけれど」
最後に付け加えた言葉は明らかに雲を意識しての事で、そう言いながらも
おずおずと右手を雲の頭上に持って行く。小さな頭を撫でようとして、やめた。
彼女もまた人付き合いが滅法得意という訳ではなく、まだ模索途中なのだ。
特にこの姉に対しては。
と頬を膨らませながらすかさず言い返す。
まさかそういう意図で付けられたものではあるまいに、袖の鈴はペットに付けられる首輪のようである。静かな廊下にシャラシャラと音色を響かせるそれは、機嫌良さそうに見えた。
「んー?下に居るんじゃない?」
能天気な小魔王はそう言うと、指で彼の髪飾りを触って弄る。小さな手には厳つい装飾である。
焔律が探しているのであろう人物も、きっと一緒に居るのだろうと適当なことを考えていた。
雲の自室を覗き、ぽつり。
どこか不満げにも聞こえたその一言きり、男は口を閉ざした。
いつの間にか、階下に妖力が集まってきている。さてはそこに自らの妹も混じっているのだろうか。
極度の引きこもり……なお今風に言えばパニック障害、だっただろうか?に近いものを面倒なことに患っているらしい。
だと言うのに、勝手に一人で歩き回るものだから始末が悪い。
少しくらい大人しくしていられないものなのだろうか。
……まあいい。
哀れな妹を救い出してやるのもまた兄の勤め。
願わくば〝余計なの〟が居ないことを祈るばかりだが――後の祭りであった。
容赦なく背中に飛び掛ってきた衝撃に小さく呻き声をあげて微かに蹌踉めくも、
決して落としたりせず そのままおんぶの要領で抱え直すあたり流石だと言えよう。
「そーだよ。なに、あいつが何処に居るか知ってんの?」
淡い期待を抱いて背中の少年に問いかけながらも、見据えるのは廊下の向こう。
各人がもつ妖力の差異と、道標のように点在する、辛うじて感じ取れるそれらの残滓を頼りに進んでゆく。
なんだって二児の母みたいな事をしてるんだろうという思考は頭の中から追い出した。
その勢いのまま彼の背中に抱き付いた、迷惑とか鬱陶しいだとか、全く考えないのがこの小魔王である。
甘ったるい声で囁けば、さも知っているかのような口ぶりで首を傾げた。
機嫌良さそうに笑みを浮かべる口元に、形の良い大きな目。袖から覗く白い手首はむっちりしていて肉付きが良い。
どれを取っても冗談みたいに整って見えるのは、一重にその祖先の与えたものなのだろうか。
*
その問いに易々と答えられるのなら、最初から人見知りなどしていないし、言葉に詰まって黙り込むことも無い。
いつしか歪み出した視界には、重ねた手と長い裾だけが映っている。
一刻も早く逃げ出したい。
もはやそれだけが凄まじい勢いで頭の中を巡っていた。
雲「ん……ぅ、」
こぼれてしまう前に袖で擦った目元がじわりと赤く染まる。
ケラケラ笑うと、腕の中にいる彼女へ視線を下ろした。
青くグラデーションのかかった後ろ髪が揺れる。
「何でそんなにビビってるんスか?」
楼翅の考えを代弁するように尋ねた声は明るい。
怒りや呆れという雰囲気は一切なく、単純に疑問に思っているようだった。
確かに楼翅は言動だけ見るとキツイ性格に見える。が、本当は不器用なだけの優しい子だというの知っている。
雲がもう少し社交的になれば仲良くなれる気がするのだが。
まあこの王の性格からしてまず間違いなく前者だろう─それを分かっていて
からかいたくなるのは紛うことなく、愛あるからこそ、なのだがどうやらそれは伝わってはいないようで。
どうするべきかとやはり楼翅も困っていれば、現れたのは美猴王。
楼翅 「やだ、人聞きの悪い事言わないでくれる? ちょっと話しかけただけよ、
雲がやたら怯えているだけで。」
楼翅が弁明とも取れる言葉を紡ぐ間に二人はなにやら手を重ねており。
( なんで私、雲に怯えられているのかしら? )
ふっとわいた疑問は心の裏側をちくりと刺した。
大方、部屋でじっとしているのに飽きたとか誰かをからかいに来たとか、そんなところだろう。
はぁ…と小さく溜息を吐くが無視するわけでもなく 背後に伸びる廊下の向こう、音の鳴る方へ律儀に声をかける。
焔律「どーしたガキんちょ、悪いが俺は今忙しくてだな…」
微かに身じろぎして振り向いただけでも視界の端で揺れる長い前髪を、
鬱陶しい、女らしくて嫌だと思う事にすら慣れてしまった自分が憎い。
∴
巨大な天守閣の、そこは一体何段目なのだろうか。
冷たい夜闇に向かって迫り出した、豪華な高欄付きの周り縁に腰掛ける、頭のてっぺんから爪先まで白が目立つ女性。
金色の擬宝珠に掛けられた白く張りのある柔い手は、手持ち無沙汰にそれを撫ぜていた。
雪姫
「今日も今日とて平和だったねぇ〜…私は嬉しいよ。
そりゃあ、幾つか物騒な事もあったかもしれないけれど、昔に比べたら十分さ」
誰に言うとでもなさそうで、誰かに語り掛けているような言葉は夜風に消える。
彼女の額横で鎌首をもたげる二匹の蛇さえ何も言わず、ただ真っ赤な舌をチロチロと覗かせるだけだった。
背中から伝わる衝撃。そして体温。
驚いて声も出せないまま、青紫の双眸を見開いた。
顔を上げる。と、そこに居るのは見知った人、唯一自分を〝友達〟と言ってくれた青年。
氷が熱で溶かされるように震えが収まってくると、おずおずといった感じで彼の手に手袋をした自分の手を重ねた。
一方こちら、天守閣最上階。
展望台から眼下に広がる消えない街の光を眺めるのは、玉虫のように色を変えて輝く青紫の瞳。
白い頭髪はサラサラしているようで、あちこちに落ち着きなく跳ねている。
真火「飽きた」
不意に、ぽつりと丹花の唇は言葉をこぼす。
長い唐装を翻し、景色を眺めることをものの数秒で投げ出した小魔王は、階下へと駆け出しピョンピョンと跳ねるようにして――〝彼〟の居る廊下へと向かっていった。
黒く冷たい廊下の床から数センチも高いヒールがコツコツと音を立て、その人物が忙しなく歩いているのだと分かる。
揺れる灯火が壁に映し出すのは、明らかに女性のシルエット…
焔律「ったく……一人でふらふらすっと危ねぇって言ったのに…」
な、筈なだった。
女性のものにしては少し低めだが凛とした張りのある、言うならばよく通るアルトの声。
整った眉を寄せ、がしがしと頭を掻くと 派手に飾られた花々の髪飾りが沙羅沙羅と揺れた。
鉄扇公主の血を引く『彼』は、現在主を捜索中。
苛々しているように見えるかもしれないが、実は心配で仕方がないだけという 非常に分かりにくい傍付きである。
声の主はニコニコと明るい笑顔を浮かべた青年。
ーー斉天大聖美猴王の子孫、天威。
天威「雲ちゃんに楼翅ちゃんじゃないっスか!」
ぱたぱたと駆け寄ると、雲に背後から思いっきり抱きつく。
どもっス!と二人に挨拶をすると、腕の中の彼女が微かに震えてるのがわかった。
「もしかして楼翅ちゃん、雲ちゃんに何か言ったんスかー?」
喧嘩はダメっスよ、と頬を膨らませる仕草は子供っぽい。
雲「ぁ、その……」
その声も震えていた。
今にも泣き出しそうな顔をして、指の欠けた手でぎゅっと着物の裾を握る。
例え王であろうとも、自分の立っていられるスペースはあまりにも狭い。何故なら雲は、あまりにも王に相応しくないのであった。
一人では何も出来ない、王たる者の子孫として振る舞うことすらも。
そんな小さき王に楼翅の放つ光は眩しすぎた。
じり、と下がり、俯く。
玉虫色をした髪が揺れ、豊かなヘッドドレスのフリルが怯える顔を隠す。
無心に、そして一切の表情を浮かべずに太陽の如き髪を持つ彼女が歩くと、
闇にきらりきらりと反射する。それは髪を結う金糸であったり、彼女の服を彩る銀糸であったり。
瞬間、誰かがぼそりと呟いた。小さな、今にも闇に溶け込んでしまいそうな声で。
( 誰かしら )
小さな疑問はすぐに解決した。燭台に火が灯ると10mほど前方にその人物はいた。
──牛魔王、雲
姿を認めるとすぐに、無表情だった顔ににたりと、底意地の悪そうな笑みが舞う。
楼翅 「雲、何しているの? 独り?」
影。
暗い廊下の上を、フラフラと歩む小さな姿。
厳つい二本の白亜のツノは、頼りない痩身にはいっそ目を覆いたくなるほどに不釣り合いだった。
靡く長い袖が柔らかい絨毯を舐めていく。
消え入りそうなソプラノの声があの傍付きを呼んでいた。
やがて、
――――膨(ぼう)!
と火が灯る。
明るい蒼炎が、ドミノ倒しのように次々と空っぽの燭台に輝き出す。
ゆらり、と揺れた焔の影が、抜けるように白い頬を透かし、踊る。