6月29日「佃煮の日」
- カテゴリ:ニコリーあつめ
- 2025/06/29 06:21:16
芋虫を保護しました。

保護した場所 | 大きさ | レア度 |
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ヒツジ学園 | 6.09cm | ![]() |
今日は「佃煮の日」。
全国調理食品工業協同組合が制定。
日付は、佃煮の発祥の地である東京・佃島(中央区佃)の守り神である住吉神社が創建されたのが1646年(正保3年)6月29日であることから。
魚介類・昆布・豆・牛肉など種類も多く、不足しがちな栄養素も豊富な佃煮をもっとPRすることが目的。記念日は2004年(平成16年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
佃煮とは、醤油・みりん・砂糖などで甘辛く煮付けた食べ物。現在では全国各地に佃煮の産地がある。香川県の小豆島は、醤油の産地でもあり佃煮が多く作られており、特に昆布の佃煮が有名である。他にも、静岡県焼津市のマグロ、カツオの佃煮などがよく知られている。
佃煮の名前は、江戸時代に佃島で作り始めたことに由来する。1582年(天正10年)6月2日に京都で起きた「本能寺の変」がきっかけで佃煮が生まれたとされる。
1582年、戦国武将・織田信長が明智光秀の謀反によって生涯を閉じた『本能寺の変』が起こりました。『本能寺』は京都にある寺ですが、このとき織田信長の盟友・徳川家康は、大阪・堺に滞在中でした。本能寺で信長が討たれたことを知った家康は、次は自分が命を狙われる…と身の危険を感じて、自分の城がある、三河(現・愛知県)の岡崎城に戻ることにしました。
ところが家康一行が帰る道は、光秀の部下が待ち伏せしていたため、逆の方向に進むことになりました。そして大阪北部を流れる『神崎川』にやって来ましたが、川を渡るための船がなかったため、足止め状態になってしまいました。それを知った大阪の佃村(現・西淀川区佃)の庄屋、森孫右衛門さんと漁師たちが、船を提供してくれました。
そのとき、船と一緒に差し出したのが“小魚を煮たもの”でした。この“小魚を煮たもの”は日持ちが良くて、さらに栄養価にも優れていたこともあって、それを食べながら家康は無事に岡崎城へと帰ることができました。家康は佃村の人々にとても感謝し、それ以来、佃村の人々と結び付きを深めて行きます。