侵食
- カテゴリ:日記
- 2022/10/15 19:46:04
私の趣味は手紙を書くこと。
だったというべきかな。私自身は相変わらず手紙や葉書を書くという行為が好きだけれど。
メール、ショートメール、Line、Skype、Messengerつながるためのツールは日に日に増えていく。virtualでアバターなんてもうすぐ近くだろうと思う。
年賀状くらいしか書いたことがないなんて人はきっとごろごろいる。50円切手を貼った封書を持ってこられると、お前はいつの人間だと言いたくなる。
知ってますか、郵便料金。
会議だってTeamsとかZoomで顔を合わせない打合せなんていくらでもある。私の日々はとっくに0と1のデジタルに侵食されている。便利だけれど、そこに呼吸や匂いは感じない。隠せるのが便利ともいう。繋いで相手のエリアを私のテリトリーに書き換えるなんて楽々。紐を付けるなんて造作もない。
けれどそれは私がやりたいことではないんだ。
別に相手の顔が必要なんじゃない。手の皴とか、目の下の隈とか、貧乏ゆすりが見たいわけじゃない。最低限顔色を読むくらいはできるだろうか。声だけで、また画像付きで。移動の為の時間も不要。コストパフォーマンスだって高い。会いたくない相手なら、直で無いだけずいぶんましかもしれない。
こんな状態だから、アナログを得意とする職種は悪戦苦闘している。アナログでしか出来ない仕事をする人に負荷がかかる。選んでいるのか選ばされているのかは窺い知れないけれど。
毎回話題がズレる。これがつらつら書ける文章の気楽さだ。
アナログに、筆記用具を整えて、紙に向かう。便箋であり、葉書であり、ノートであったり。思い出せない漢字に悪戦苦闘し、忘れた言葉に当惑する。消せるペンは大流行だが、アナログに書いているそれは、control+a、deleteですべてが消えたりはしない。たぶん、消しきれないことに意味があるんだ。
以前は喫茶店で、家で、図書館で、ファミレスで、駅の電車を待つ間にも手紙を書いていた。書くという行為が好きだった。けれど、手紙というものは「書きたいと思う相手」が必須だ。書きたくもない相手、あるいは思い出すこともない相手に手紙を書くことは無い。そこに言葉はない。書きたくない相手に恨み言を書くほど暇ではない。時間など割かない。
伝えたいことがある。伝えたい相手がいる。単純でしかし難しい条件だ。
自分だけでは成り立たない。私は、相手が読むことは期待していない。それは一方的な押し付けだからだ。あくまで私本位の遊びだ。
けれど、押し付けではなく、私が私の為だけに書く楽しみがある。
単純なことだ、私は、私宛に葉書を出す。
スペイン、ガウディのカサミラの上で、ヴェネチアの教皇おわす、建物の屋上で。
カナダのレイクウィーズをみながら。パリのドヴォール空港で。
私は私宛の記憶を送る。
ここに居たのだと、記憶を掘り返せ、と贈る。
ロマンチストだと時に思う。
それでも、その場所からスマホでメールを送って何になるだろう。
写真を撮ることが好きだ。絵を描くことも、歌うことも好きだ。トルコの居酒屋で、歌って踊って…すべて大好きだ。
けれど、それはメールで書くものではない。無いのだと思っている。
10年後、virtualの世界が構築され、美しいアバターが私を語ったとしても。
私は皴だらけの手で、葉書を書くだろう。
私の書きたいと思わせてくれる誰かと、私自身に。
ホテルで出してください(もちろん切手代は払ってよ)は届かないことも多かったな。
日本の郵便のシステムって偉大だと思う。
誰かと一緒に出掛けた時は、書く時間を捻出するのが大変。
そろそろ、出かけたいです。
旅行先から自分宛てっていいね!
きっと身体の方が先に帰国してるから
日常が戻ったタイミングで届くんだろうな
なんだか旅先にいる過去の自分が今現在に実在する人物のように感じられそう