Nicotto Town



1月自作 (雪) 「黒のトンネル」2

「それはちょっと、今すぐには無理ね」

  乙女はずっと以前から予想していたことに答えるように、淡々と返し、肩をすくめた。

 「私がエティアの王宮で見た記憶。国王が死んだときの、真実の光景。それをだれにも、口外されたくないのでしょう? 黒き衣のフリバトール」

 赤い双眸が男を射貫く。炎となって焼き尽くす。

 「一番簡単なのは、私を消すこと。そう思ってここに来たんでしょうけど。ごめんなさいね。私の心臓はこの体の中にはないの。エティアよりずっと遠く、大陸の果てにあるのよ。もちろん、誰からも隠されたところにね。あら、そんな困った顔をしないで。弟子の弟子のよしみで、記憶を渡してもよいわよ」

  乙女は目を細め、黒衣の男に茶を飲むよう促した。

 「私は耄碌した老婆で、忘れっぽいの。そう、忘れることが特技といってもよいわ。あなたがそれでよいと言うなら、たぶん五分後には、王宮で見たことをすっかり、忘れてしまうでしょうね」

「自ら、記憶を消去してくれるというのかい?」 

「正直、覚えていたいほど素敵な記憶ではなかったから。黒いトンネルからいきなり現れた黒衣の男が、親友を刺す場面なんて。絶対見間違い。老いて魔力が落ちたせいだと思ったから、赤毛の騎士にはこういったのよ。王は自殺したって」 

  黒衣の男の顔が安堵の喜びにほころぶ。それは人には分からぬほどかすかで抑えられたものだったが、乙女は見逃さなかった。

「弟子の弟子ですもの。かばってあげたくなるのは、当然でしょう? 黒き衣のフリバトール」

 母のような優しい声音で言うと、男はするっと真実を打ち明けた。

「命令されたんだ。寺院の長老たちに。知っての通り、岩窟の寺院の長老たちはほとんどが、スメルニア出身だ。本国の暗殺機関が再三しくじった末に、長老たちに泣きついてきたんだよ。それで黒衣の導師が派遣されたんだ。王の、かつての親友が……」 

「王の親友どの。あなたのトンネルは何歩なの?」

 小首をかしげて乙女が聞く。男は肩をすくめた。

「五百五十五歩。もっと縮めたいと思っているが、なかなかどうして、難しいものだね」

「縮地の距離は、魔力に比例するものね。縮めたかったら瞑想と修行を極めて魔力を高めるしかないわ」

「君は何歩なんだい?」

「私は、四百二十歩よ。ふふ、一年の日数と同じ数ね」

 本当は百歩だが、乙女は真実を明かさない。

 おのれの力がいかほどか、ばらすヘマはおかさない。

「さすがは師の師だ。私より短い」

「そうね。でも、大した差ではないわ」

 乙女は今の戸棚から赤い缶箱を出した。中には干した真紅の木の実がぎっしり詰まっていた。

「さあ、私はこれを食べるわ。それで今から一日前のことは、すべて忘れてしまうでしょう。ああでも、忘れる前に、浮き島を南へ動かしたいわ。寒いのは嫌。とても苦手なの」

「私がやってあげよう」 

「優しいのね」

「本当は……殺人なんてする柄じゃない。やりたくなかった。幼なじみを手にかけるなんて」

「分かるわ。でも岩窟の寺院の長老たちは、非情で冷酷で容赦ないのよね」

「そうなんだ。命令に従わないと、私が殺される。ジャルデにはもうしわけないことをした。本当に……」

 男が家の外に出て島の軌道をいじるのを見届けると、うら若き乙女はサッと木の実を口に入れた。そうしてソファに横たわり、目を閉じた。

 これから眠りにおちる。目覚めたとき、自分はすっかり、記憶を失っているだろう。

 そう伝えられた男は、茶をすすりながら乙女が眠りからさめるのを待った。

「ジャルデ……すまない、私は……」

 ソファに座り、両手で顔を覆い、目尻ににじんでくる涙を黒い衣の袖でこすりながら。

 

 

 眠り姫のごとき乙女は、三日三晩ののちに目を覚ました。

 ソファから起き上がり、あたりを見渡す。暖炉の火は消えていた。

 ぼんやりとする頭を振りながら、乙女は居間にころがっているものを見下ろした。

 胸に針のような剣を突き立てた男。

 乙女は悲しげに、自死した導師に声をかけた。 

「今日は何月何日? いずれにしろ、私が見た予知夢の通りになったのね」

 黒き衣のアドウィナは、偉大な導師。

 夢見の力。縮地の力。そして物の記憶を読み取る力。

 それぞれの力を三人の師から学び、師を越えるほどに極めた。

 だから乙女は未来を知っていた。もう、すでに過去になってしまったけれど。

「私はエティアに行っておそろしい記憶を見る。そのあと、私のもとにフリバトールがやってくる。私を殺しに。私は彼をかばったことを伝えて、忘却の薬を飲む……その通りに、なったの?」

 涙で腫れた男のまぶたをそっと手で覆い、乙女は男の目を閉じてやった。

「私の予知夢の通りなら、エティアの王は殺された。犯人は……」

 乙女は男の体を韻律で浮かせて、家の外に出した。

 さんさんと熱い太陽が照りつけてきたので、乙女は額に浮かんだ汗をぬぐった。

 緑の草原が乙女の足をくすぐった。

「弟子の弟子。私には孫のようなもの。だから、かばいたかったのに。黒き衣のフリバトール。あなたのトンネルは夢で見たとおり……」

 乙女はうるむ瞳を天へ向けた。

「五百五十五歩、だったのかしら」

  目尻からこぼれ落ちた涙が、陽の光を受けてきらりと光った。

 白く輝く金剛石のように。

 

 

――黒のトンネル 了――

 

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2021/02/06 15:16
挿絵です
http://ncode.syosetu.com/n4995gt/5/
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2021/02/06 02:15
凶器は針
プロの仕業ですね
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2021/02/04 19:19
スメルニアと寺院長老とのパイプは。あやしいですね
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2021/02/02 12:40
ファンタジー・ミステリ、おお!
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2021/02/02 09:37
王様、自死ではなく殺人。
逮捕は次回になりますね。
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2021/02/01 04:25
これ読んで解る事、寺院に敵対なすものはすべて消されると言う事かも知れませんね。




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