1月自作 (雪) 「黒のトンネル」2
- カテゴリ:自作小説
- 2021/02/01 00:00:24
「それはちょっと、今すぐには無理ね」
乙女はずっと以前から予想していたことに答えるように、淡々と返し、肩をすくめた。
「私がエティアの王宮で見た記憶。国王が死んだときの、真実の光景。それをだれにも、口外されたくないのでしょう? 黒き衣のフリバトール」
赤い双眸が男を射貫く。炎となって焼き尽くす。
「一番簡単なのは、私を消すこと。そう思ってここに来たんでしょうけど。ごめんなさいね。私の心臓はこの体の中にはないの。エティアよりずっと遠く、大陸の果てにあるのよ。もちろん、誰からも隠されたところにね。あら、そんな困った顔をしないで。弟子の弟子のよしみで、記憶を渡してもよいわよ」
乙女は目を細め、黒衣の男に茶を飲むよう促した。
「私は耄碌した老婆で、忘れっぽいの。そう、忘れることが特技といってもよいわ。あなたがそれでよいと言うなら、たぶん五分後には、王宮で見たことをすっかり、忘れてしまうでしょうね」
「自ら、記憶を消去してくれるというのかい?」
「正直、覚えていたいほど素敵な記憶ではなかったから。黒いトンネルからいきなり現れた黒衣の男が、親友を刺す場面なんて。絶対見間違い。老いて魔力が落ちたせいだと思ったから、赤毛の騎士にはこういったのよ。王は自殺したって」
黒衣の男の顔が安堵の喜びにほころぶ。それは人には分からぬほどかすかで抑えられたものだったが、乙女は見逃さなかった。
「弟子の弟子ですもの。かばってあげたくなるのは、当然でしょう? 黒き衣のフリバトール」
母のような優しい声音で言うと、男はするっと真実を打ち明けた。
「命令されたんだ。寺院の長老たちに。知っての通り、岩窟の寺院の長老たちはほとんどが、スメルニア出身だ。本国の暗殺機関が再三しくじった末に、長老たちに泣きついてきたんだよ。それで黒衣の導師が派遣されたんだ。王の、かつての親友が……」
「王の親友どの。あなたのトンネルは何歩なの?」
小首をかしげて乙女が聞く。男は肩をすくめた。
「五百五十五歩。もっと縮めたいと思っているが、なかなかどうして、難しいものだね」
「縮地の距離は、魔力に比例するものね。縮めたかったら瞑想と修行を極めて魔力を高めるしかないわ」
「君は何歩なんだい?」
「私は、四百二十歩よ。ふふ、一年の日数と同じ数ね」
本当は百歩だが、乙女は真実を明かさない。
おのれの力がいかほどか、ばらすヘマはおかさない。
「さすがは師の師だ。私より短い」
「そうね。でも、大した差ではないわ」
乙女は今の戸棚から赤い缶箱を出した。中には干した真紅の木の実がぎっしり詰まっていた。
「さあ、私はこれを食べるわ。それで今から一日前のことは、すべて忘れてしまうでしょう。ああでも、忘れる前に、浮き島を南へ動かしたいわ。寒いのは嫌。とても苦手なの」
「私がやってあげよう」
「優しいのね」
「本当は……殺人なんてする柄じゃない。やりたくなかった。幼なじみを手にかけるなんて」
「分かるわ。でも岩窟の寺院の長老たちは、非情で冷酷で容赦ないのよね」
「そうなんだ。命令に従わないと、私が殺される。ジャルデにはもうしわけないことをした。本当に……」
男が家の外に出て島の軌道をいじるのを見届けると、うら若き乙女はサッと木の実を口に入れた。そうしてソファに横たわり、目を閉じた。
これから眠りにおちる。目覚めたとき、自分はすっかり、記憶を失っているだろう。
そう伝えられた男は、茶をすすりながら乙女が眠りからさめるのを待った。
「ジャルデ……すまない、私は……」
ソファに座り、両手で顔を覆い、目尻ににじんでくる涙を黒い衣の袖でこすりながら。
眠り姫のごとき乙女は、三日三晩ののちに目を覚ました。
ソファから起き上がり、あたりを見渡す。暖炉の火は消えていた。
ぼんやりとする頭を振りながら、乙女は居間にころがっているものを見下ろした。
胸に針のような剣を突き立てた男。
乙女は悲しげに、自死した導師に声をかけた。
「今日は何月何日? いずれにしろ、私が見た予知夢の通りになったのね」
黒き衣のアドウィナは、偉大な導師。
夢見の力。縮地の力。そして物の記憶を読み取る力。
それぞれの力を三人の師から学び、師を越えるほどに極めた。
だから乙女は未来を知っていた。もう、すでに過去になってしまったけれど。
「私はエティアに行っておそろしい記憶を見る。そのあと、私のもとにフリバトールがやってくる。私を殺しに。私は彼をかばったことを伝えて、忘却の薬を飲む……その通りに、なったの?」
涙で腫れた男のまぶたをそっと手で覆い、乙女は男の目を閉じてやった。
「私の予知夢の通りなら、エティアの王は殺された。犯人は……」
乙女は男の体を韻律で浮かせて、家の外に出した。
さんさんと熱い太陽が照りつけてきたので、乙女は額に浮かんだ汗をぬぐった。
緑の草原が乙女の足をくすぐった。
「弟子の弟子。私には孫のようなもの。だから、かばいたかったのに。黒き衣のフリバトール。あなたのトンネルは夢で見たとおり……」
乙女はうるむ瞳を天へ向けた。
「五百五十五歩、だったのかしら」
目尻からこぼれ落ちた涙が、陽の光を受けてきらりと光った。
白く輝く金剛石のように。
――黒のトンネル 了――
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プロの仕業ですね
逮捕は次回になりますね。