自作8月 精霊流し「夏の夜のお茶」2/2
- カテゴリ:自作小説
- 2020/08/30 23:24:31
シノブの両親はこの世にいない。母はシノブが生まれてすぐに亡くなり、父は小学生のころ、海外へ仕事に行って事故で死んだ。
母は家に籍を入れる前に鬼籍に入ってしまったので、この家の、「お盆に帰ってくるシステム」に加わることができなかった。それでもたまに、ふらっと会いに来てくれる。しかし父親はついぞ、やって来たことはない。
家を継がなかったから、ご先祖様の誰かが敷居をまたぐのを阻止しているんだと、眼鏡青年は言う。けれどシノブは、それは嘘だと察している。
祖母が何度かぽろっとぼやいたことからすると、父親はどうも、新しい恋人を作り、家と子供を捨てて、海外へ移住しようとしたらしい。だからここに帰ってくる気はまったくないのだ。
家に帰ってくる白黒写真の面々は、どの人たちもにこやかでおおらかで優しくて。シノブのことをみんな、えらくかわいがってくれる。冷たい目を向けたり、邪険な物言いをする人はひとりもいない。みんな気を使って、シノブの親のことは口には出さないようにしてくれている。とてもありがたい、ご先祖様たちである。
「そんで、あんたはいつ帰るの? 夏休みはとっくに終わってんですけど?」
「まあまあ。ご飯はともかく、他の家事は手伝ってるんだから、大目にみてやってよ」
たしかに眼鏡青年は自分で茶を淹れるし、ラムネを冷やしておいてもくれる。スイカ割りしようと勝手にセッティングすることもあるし、どこからか竹馬を取り出して遊ぼうと誘ってくる。
でもそれは、気がむいたときだけだとシノブは思っている。普段は開かずの部屋に引きこもり、壁一面に積み上げられたかび臭い本を読んでいる――というのが、青年のお決まりのスタイルだ。
毎年いの一番にやって来て、お盆を過ぎても残っていることが多い。長くても一週間ぐらいで先祖代々のお墓に帰るのだが。なぜか今年は、ずっと居る。
「ケンジのところもケンゾウのところも、今年は帰省してこなくてさびしかったねえ」
青年は茶色い急須をもちあげて、とぷとぷと香り良いお茶を淹れた。
「仕方ないよ、今年はコロナで大変なんだから。ばあちゃんが帰って来るなって言ったからね」
「パソコンのズームでやりとりって、なんか新鮮だったなあ」
祖母はその年代では珍しく、現代の機器に明るい。数年に一度ノートパソコンを買い替えて、農作業の合間にソリティアやチャットで遊んでいる。そんなわけで祖母は今年の春から、遠方に住む次男と三男家族とズームで時折やりとりするようになった。コロナウィルスの感染予防のために、県外へは極力出ないと決めたからだ。
「今年もお盆は相変わらずじゃわー」
なんて言いながら、ご先祖さまのどんちゃん騒ぎをパソコンに映して送信した次第である。
ちなみにご先祖さまの御墓にもノートパソコンを持って行ってズームで映し、帰省できない組に遠隔墓参りをしてもらったりもした。川辺で行われた町の精霊流しの様子も、しっかり送った。祖父の名前を書いた赤いぼんぼりをよくよく画面に映して見せてから、祖母はそうっと川に流した。
「三番茶の茶摘みは、またぞろバイトさん雇うから、大丈夫だで」
笑顔で心配ないと伝えたものの、ご先祖さまの世話だけは、バイト任せにはできない。
祖母とシノブは世間の大多数が盆休みでゆたりと休んでいるときに、想像を絶するほどの、目の回る忙しさというものを体験したのだった。
「そういやミチコさん、今日はずいぶん早く部屋に引っ込んじゃったね」
「茶摘みで疲れたからでしょ。カテキンパワーで大丈夫とか言ってるけど、今日もめちゃくちゃ暑かったもん」
「そろそろ今年の茶摘みも終わりかな」
「あんたもちょっとは手伝ってよね」
「まあまあ、僕は病弱だからね。家事手伝いだけで、大目にみてやってよ」
眼鏡青年はいつもそんな言い訳をして、畑仕事はやってくれない。しかし人一倍、お茶は飲む。うちのが一番だと調子よく持ち上げながら。
「それじゃあ僕もそろそろ、部屋に引き上げるかな。シノブさんも夜更かしはしないで早く寝るんだよ。美容に悪いからねえ。タクミさんとラインしてて気づいたら朝―とか、ないようにねえ」
「大きなお世話!」
スマホの電源は切ってしまった。今夜はもう、タクミと話す気はない。
「あいつは、カノジョと話すので忙しいでしょ。こっちにかまけてるひまなんか、ないんだから」
「そうなの?」
「そーなの!」
急須と湯呑を持って立ち上がり、台所に行きかけた青年の鼻先で、シノブは思い切り、がたつく戸を絞めてやった。
がたがたびしゃーん。
ああまるで、稲光が落ちたよう。ひどい音だと思いながら、シノブは肩を怒らせ、二階へ上がった。ふすまを開け、ぼすんと我が身をベッドに投げ込む。
「あーもう。早く帰れ、眼鏡幽霊!」
寝よう寝よう、もう寝よう。大の字になる。スマホはべちゃっと枕元に置いた。
でも気になって、手が伸びる。
電源ボタンを押そうとして、止めて。黒い画面をじいっと見つめた。
「……タクミのばか」
囁いて、スマホを枕元に投げて。シノブはぎゅっと目を閉じた。
中学三年。今年は大変な年だ。学校は六月に入ってやっと始まった。
今年の受験、どうなるんだろう。タクミはどこの高校に行くんだろう。
ああでもまずは。
何の絵を描いたらいいだろう――
続編を楽しみにしております。
今回は、コロナで上手く行かない家が多いですからね。
今回のお盆は、規制を控えた家が多いのではないですかね。