Nicotto Town



自作5月菖蒲 「ねこま憑き」前編

 一つ下の条《じょう》にお住いの若君が、ねこま憑きにならはった。

 という噂が舎人《とねり》から舞い込んだもので、うちの姫さまは本日、ころころ笑い転げはっております。

 畳台に扇をバシバシ、何ともはしたないご様子にて、乳母《めのと》さまも、女中のうちも、呆れ顔。せやけどまあ、いたしかたございません。姫さまは齢十七、箸が転げても笑ってまうお年頃なのです。

 「五郎さまったら、ほんに、いとをかしいわ。こないだ一家総出で鬼退治しはったとかしないとか、えらいムキになって、うそぶいてはりましたけど。もしかして、お仕事失敗しはったん? きゃははは!」 

 五郎という幼名であらした若君は、うちの姫さまより三つ年下。今をときめく新興の貴族、武家と称するお家の五男坊。元服しはって、左京一条に住まう姫さまの父君にお仕えし始めるやいなや、姫さまの熱心な求婚者とあいなり、丸一年になろうかというところです。

 最近の若者よろしく、姫さまを射止めんと、まあこつこつ、色々がんばってはります。実に初々しいというか、いじらしいというか、なんとも心苦しうて邪険にできへんというか、まあとりあえずにっこり愛想笑いを浮かべて、ひらひら手を振って励ましている、今日この頃でございます。

「ねこま憑きってことはもしかしてほら、耳がねこ耳になってはるとか? 手が肉球つきのもっふもふになってはるとか? ふふふふ……ぷぷぷぷ!」

「姫さま、笑いすぎですやろ」

「だって、あの五郎さまがねこまになるやなんて、なにそれ、お茶吹いてまうやないの」

「まあ、たしかに……」

「きっとねえ、いとうつくしい、白いねこまなんやわ。もふもふで、ふわふわで、いとおかしいイキモノになってるんやわー」

「はあ、白のねこまですか」

「ええ、きっときっと、この世で一番うつくしいものになってるにちがいないわ」

 五郎さまは、そのご容姿といいい、御振る舞いといい、およそ勇猛な武人には程遠い。

 肌は白くて、ひょろひょろの細身。女顔のおちょぼ口。美少年というより、美少女。うちの姫さまより、はるかに美少女。普通に歩いていても、なぜかいきなりすっ転ぶ。虫は嫌いださわれないと、長い棒でトンボをつつく。街を歩けば、のら犬やのらねこを必ず拾ってくる――

 こんな有様で、将来、朝敵を撃つ勇猛な将軍になれますのやろか。ご本人はサカノウエのなにがしやらいう、神話に出てくる大将軍にあこがれていて、いつか護国の英雄になってみせると、姫さまにいつも、のたもうてはるのですが。いやはや、無理ですやろなあ。

「五郎さまったら、街の見回りのときにいつも、ねこを拾ってきはるもんやから……きっとそのせいやわ。それで、けったいなメスねこに懸想されはったんやわ。ほんに、お気の毒。ぷぷぷぷ」

 姫さまは扇をひろげて、くすくすにんまり。

 五郎さまは許嫁でも何でもあらしまへん御方にて、姫さまは露ほども恋心をお持ちではないのですが。しかも姫さまを入内させると、父君さまがこの上もない嫁ぎ先をお決めにならはりましたので、姫さまは、公達や武士らとのお遊びを極力控えるようにならはったのですが……今日ばかりは、ずいぶんと興を引かれたようです。きらきらとその茶色い瞳を輝かせ、まるで恋煩ひにどっぷり浸かっていはる乙女のごとくに、かくおっしゃったのでございました。

「ねえ佳紫子(よしこ)、ねこま憑きの五郎さまに会いたいわ。今すぐ会いたいわ。はよう呼んできてちょうだい」

 

 

 普段なら、ほぼほぼ毎日朝一番に、五郎さまから文が届くのでございますが……

 本日は昼を過ぎましても、まだ届いておりまへん。

 やはり噂は、本当なのやろか。五郎さまは、ねこ耳を生やしてしまいはって、お家に籠って、悩んでいはるのやろうか。こんな姿では、姫さまに求婚できないと、もふもふな頭を抱えてはるのやろか。そないなことを考えつつ、うちは舎人をちょいと呼びつけ、命じました。

「忙しいとこ悪いんやけれど。源家の五郎様のご様子、見てきてくれまへんか」

 手土産に、落雁(らくがん)をひと箱。表向きは、毎日の文やお伺いのお礼を届けるという、ごくごく自然な用向き。待つこと一刻、陽が傾き始めた昼下がり、舎人は実に神妙な顔をして戻ってまいりました。

「お噂はやはり、本当のようで。五郎さまのお部屋から、いとかなしひ、ネコの鳴き声がいたします。か細く、今にも息が詰まりそうな異様な声でして。部屋にはぐるりと、魔よけのためのものらしき、注連縄が……」

 あらまあ。ということは姫さまの推測通り? 

「鬼退治のせいではないようです。のらねこをたくさん拾ってきはったのが、原因のようです」

 ふむ、そっちの方でしたか。

「どこぞに腕の良い祈祷師はいはらへんかと、ご当主がバタバタしてはりました」

 報告を終えると、舎人はうちにどさりと、文を渡してまいりました。

 諸所の公達がしたためた、姫さま宛のものです。ついでに他の殿方の家にも回ってきたようですね。ええ、これもあれもそれも。ああこれは……右大臣の若君からきたもんは、うち宛てですね。これはまあその、寝る前にちらっと、目を通しておきましょう。さあ、姫様に報告です。

「なんですって? 家にお籠りしてはるの?」

「姫さま、笑い事ではあらしまへんようです。まこと、五郎さまはお困りのようで。笑い声をたてるんは、不謹慎ですわ」

「えええ……なんやのそれ。五郎さまに、会えないなんて」

 姫さまは、たちまちションボリ。なれども、うちの女主人は転んだままではあらしまへん。すぐにキッと顔を上げて、それじゃあお見舞いの品を送ってほしいと、うちに命じてきはりました。

「あたくしの文とたくさんのお菓子を、我が家お抱えの絵師に持たせて」

「絵師に? ちょ……姫さま、それは……」

「絵師はねえ、絵師ですって名乗らせてはだめ。うちで雇った、超一流の祈祷師ってことにしてちょうだい」

「ひーめーさーまー」

「お、鬼やわ……」

 部屋の隅でお香を焚いてはった乳母さまが、あちゃあと両手で顔を覆ってはります。まったくもう。うちの姫さまはほんに、容赦ないというかえげつないというか、いといわけない(こどもっぽい)というか。

「ひとでなしー」

「なんとでも言うたらよろしいわ。とにかくあたくしの言うとおりにして。でないと、右大臣の若君がおまえにご執心なこと、お父(もう)さまにばらしますわ」

「う」

「ふふふふ。お父さまが知ったら、おまえもまつりごとのための、あわれな駒になりますわ。ふふふふっ」

 右大臣の若君は、なぜかうちにご執心。決して悪い御方ではないのやけれど、うちは乳母さまといっしょに長年、姫様の面倒を見てきましたもので……姫さまのいない生活なんて、まったく想像できまへん。ましてや、姫さまの父君に、いいように利用されるなんぞ冗談ではございまへん。

 うちは、入内なさる姫さまを万敵から守りたいと思っております。我が天命と信ずるそれを阻まれるのは、遺憾以外のなにものでもない……。

 うちは恨めしげに、姫さまにぼやきました。

「ひとでなしー」

 

 

 

アバター
2020/06/01 05:11
これは、人でなしですね。




Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.