百の庭園 序歌 「イオニマスの虹」 1/3
- カテゴリ:自作小説
- 2019/06/22 21:56:22
黄昏の乙女の園は西の果てにありて
大地支える神を見下ろす楽園なり。
序歌 イオニマスの虹
燃えさかる名を持つ者よ。
声高らかに開闢を唄え。
今はもうどこにも居ない、あの人のために。
黄昏の光が、灰色の衣をまとう少年の手のひらを透かしてくる。
沈みゆく太陽が放つ金色の熱線は、怒れる竜の咆哮のよう。大きな円鏡の上に立つ少年を、じりじりと焼いていた。
「ほんと夕方って嫌だな。僕の髪、まるきり金髪に見えるんだもの」
鏡をちらと見下ろした少年は、いらいらとうなじを掻いて視線を空に向けた。足もとにある巨大な鏡は地に埋まっており、少年と雲ひとつない橙色の空を映している。
熱い夕刻の陽光が、少年の銀色の髪をまっ黄色に染めていた。くすんだ灰色の衣も赤みを帯びて、まるで王族がまとうローブのようだ。背負っていて見えないが、おそらくしろがね色の竪琴も金色になっているだろう。
「僕はただの庭師なのに。成金色に染まるなんて、これじゃどこかの、鼻持ちならない王族じゃないか」
派手派手しい色に染まった我が身を視界に入れるのは、どうにも嫌だった。
金色など、まったくもって好きな色ではないからだ。
永久不変。黄金はそんな素晴らしい特性を持っており、最も価値のある貴金属とされている。権威が永遠に続くことを願って、またはそうであることを主張するがため、どの国の王族も古来より、我が身と宮殿を黄金で飾ってきた。
だがそのまばゆい色は、今や世俗にまみれ、人の手垢に汚されて、すっかり神聖さを失ってしまった……陽光の輝きを目にするたび、少年は眉をひそめて、そんな風に思ってしまうのだった。
金色とは、人に愛されすぎて、堕落してしまった色だと。
派手派手しい。贅沢極まる。趣味が悪い。成金が好むもの。そんな印象ばかりが心の内に湧いてくる。
真に神々しいものは限りなく透明で澄んでいて、色など持たないはず。
しろがね色の髪の少年は、そう信じている。
だから神聖なるものは、目に見えないのだ。果てしなく澄んでいるから、人の目に映らないのだろう。
だから、いつかきっと……
少年は今日も心密かに誓うのだった。
(この庭にあるものをいつかきっと、混ざりけのない透明なものにしてみせる。この上なく神聖なものに。そうすればきっと――)
それにしても西日がきつい。今日はもう、作業を終わらせた方がいいだろうか。早めに天蓋を閉じようかと、少年はため息ひとつ。鏡の周囲を見渡した。
「ほんと、この時間って最悪!」
澄みきった池のごとき鏡の周りにあるのは、七色の虹。
鏡を囲むその大いなる光は、巨大な円環を成している。鏡のすぐ近くは緑に輝いているが、離れるにつれ徐々に黄色味を帯びていき、はるか遠くは、赤く燃えあがっているような光を放っている。赤光の帯はさらに遠くになると熱を失っていくように見え、地の果ては、完全に蒼い。
しかしてその七色の光も、鏡の上に立つ少年と同じだった。たそがれた空のせいで、全体的にうっすら黄色の膜がかかっているように見える。
少年にとっては、この時刻の虹の色は、実に不本意な色合いなのだった。
「どんなに色素を抜いても、色が付いて見えるんだよな」
すべての色帯が一望できる、見事な光輪。
よく見ればそれは、びっしりと植えられた、何千本もの低木である。
三百六十度、隙間なくひしめく木々の高さは、少年の腰のあたりまでしかない。葉や枝や幹の形はどれも同じで、すべて同一種に見える。豊かに茂る葉は白く縁取られた覆輪葉で、七色の発光色を気にしなかったら、これはイオニマスだと、植物に詳しい人は言うだろう。
低木一本一本は全く同じ種だ。どの木のどの葉も限りなく透明に近い。
虹色に見えるのは距離のせいである。陽光を吸って反射するこの低木は、見る者の近くでは普通に緑に発光するが、離れるに従って、その発光色が変化して見えるのだ。
虹色の円環はとても分厚く、葉が蒼く見える処は、まさしく世界の果てのように思える。だがしかし。実のところこの庭園は、半日も歩けば一周できる、小さな「島」にすぎない。
地平線に海はなく、境界の先にあるのは空だけだ。雲海は、はるか下にある。
この「島」は浮遊石を含む地層を内包しているらしく、それゆえに天空に浮かんでいるのである。
「いや。今は色をどうこう言ってる場合じゃない。もっと島を広げなきゃ。アレクトー!」
少年はサッと後ろを振り向いた。自分の真後ろの、葉が黄色にきらめくあたりに、独特の気配を感じたからだ。鋭い針でツンツンと刺されるような感覚。それはこちらを伺う視線に違いなかった。
背中で感じた通りに、澄んだ青い目が捉えたそこから、求めるものが現れた。白銀色のフクロウが、黄色に発光している低木の中から飛び出してくる。
「お呼びですか? ハーミズ」
「アレクトー、おまえ今、何してた?」
少年はいらいらと不機嫌な声を、自分の右腕にとまったフクロウにぶつけた。
「害虫駆除は世話鳥たちに任せろ。僕の守護鳥たるおまえがやることじゃないだろ」
「ですがハーミズ、この庭園は日々広がっておりますから、虫たちを喰らう嘴が足りないのです」
「明日の朝までに、世話鳥を十五羽仕上げて追加投入する。それまでは、今のままで我慢しろって、言ったじゃないか」
フクロウのアレクトーは、せわしない鳥だ。夜に狩りをする習性はすっかり忘れ去っており、昼夜を問わず、えんえんと働こうとする。気づけば世話鳥たちにまぎれて、この庭園の手入れをしている。
天に浮かぶ〈百の庭園〉の中で、最も美しく完璧なこの「島」を、完全無欠に維持しようとしてくれるのはよいのだが。常に自分のそばから居なくなるので、銀髪の少年は大いに不満なのだった。
「今までに僕が造った世話鳥は、二百七十七羽。全部ちゃんと動いてる。どうにかぎりぎり、この島全部の世話をできるはずだろ」
「はい。ですが本当にぎりぎりです。世話鳥たちは相当に無理をしております。機械鳥でなければ、疲労しきって死んでしまっているでしょう。そのような状況を、わたくしは許容できません」
「なんだよ許容できないって。どこかの園丁みたいに狭量だな。あのむっすり強面のドイツ人。序列七位の……」
「七位の園丁。エリザベス・テューダーですか? 彼女は英国人です、ハーミズ」
「あ、間違えた。ドイツ人はこないだひとつ、序列が上がったんだっけ。この前の新月の時に……」
「そしてあなたはひとつ、序列が下がりました。序列五位の園丁、誰よりも三倍偉大な錬金術師。ハーミズ・D・ケヒト」
「なんだよ、嫌みったらしいな。余計なことは言わなくていいよ!」
初めて会った時、このフクロウはろくに挨拶もしてこずに、こっくりこっくり、寝呆けていた。ぐうたら極まりないなど失礼千万。少しばかりネジを締めてやろう。そう思って少年は無理矢理、ある魔石を喉の奥にねじ込んでやった。その結果がこれである。
「ほんと、ネジを締め過ぎちゃったよな! 三倍偉大って、わけわかんないし」
「それは錬金術師に贈る、最大の賛辞です。トリスメギストスと言いまして、」
「黙れ。うんちくはいらない」
「ああ、暴力はいけません、ハーミズ」
フクロウさん、働きたいのを益々働きたくなると思いますね。