青い薔薇の魔法(4)
- カテゴリ:自作小説
- 2019/05/25 01:45:19
師に事情を話してから一週間後、エルクは師から眼鏡をもらった。
鍛冶工房にいる黒き衣のゼクシスに、特注で作ってもらったものだ。
近視になったからだとラデルには説明したけれど、ギヤマンのレンズには特殊な膜が貼られている。
(幽霊だけ見えなくなるなんて、すごい!)
眼鏡をはずすと、回廊にはゆらめく人影がずらり。自分たちと同じように笑いさざめいたり、ひそひそ話をしながら歩いている。半透明の人と普通の人が入り乱れて、なんとも異様で不気味な光景だ。
でも大丈夫。眼鏡をかければ、怖いものはすっかりいなくなる。
いつでも消せる――
安心が、恐怖を蹴散らした。
なんだか生まれ変わったというか、自分がものすごく強くなったような気がした。
だから、眼鏡をとりあげそうな勢いでからかってきた弟子たちにも、そこで兄弟子をアルセニウスの子と呼んだやつらにも、思ったことをちゃんと言えた。
なぜか大きな声がすんなり出てきた。
「兄さまは、セイリエンの子だぞ! アルセニウスさまの子じゃないっ!」
そう怒鳴ったら、みんなびっくりして、からかうのをぴたりと止めてくれた。
――「見え具合はどうかな」
「かんぺきです! お師さま、ありがとうございます!」
けれどある日、師が眼鏡の枠を調整してくれたとき。エルクは、はっきり見てしまった。
(あ……やっぱり、にらんでくる)
眼鏡ができてからは、ずっと見えないようにしていたけれど。部屋の隅にうずくまっているものはまだそこにいて、エルクをじいっと睨んでいた。
こわくて目をつぶろうとした瞬間、円窓からさしこむ陽の光に、きらりと、その人の髪がきらめくのが見えた。
それは、目の覚めるような、金の髪――
(あれっ……?!)
エルクはハッとして、うずくまっているその人をじっと見つめた。
大人ではない。自分とさほど変わらないぐらいの子どもで、蒼い衣をまとっている……
(うそでしょ……)
「ネジを締めて枠を少し詰めたよ。これでぴったりだ。はは、ずいぶん賢そうに見えるぞ」
エルクに眼鏡をつけてやった師は、狭い岩窟で瞑想をするために、部屋から出て行った。部屋を掃除するよう命じられたエルクは、急いで仕事を済ませたあと、深呼吸して眼鏡を外した。
やはり、まちがいない……
もういちど深呼吸して、エルクは部屋の隅に近づき、うずくまる子にそっと聞いてみた。
「ねえ、どうしてぼくのこと、にらむの? ぼくのこと、ほんとはきらいなの?」
するとその子は悲しげに首を横に振ってきて、それからすっと、師の本が入っている岩棚を指さした。
「あ……えっと……もしかして、本が好きなの?」
読んで
囁きが聞こえた気がした。
岩棚に走り寄って、ずらりと並んだ本の題名を次々言うと、美しい絵本のところで大きくうなずかれた。
エルクはその本を出して、うずくまる子の隣に座った。
「じゃあ読んであげる。ぼく、いっぱい文字覚えたんだよ。ラデル兄さまが、毎日読んでくれるから」
エルクは一所懸命本を読んだ。たどたどしくて何度もつっかえたけれど、うずくまる子は、みるみるニコニコ顔になった。
エルクは嬉しくなって、自分のことや兄弟子のことを話した。
自分が好きなもののことや、兄弟子がどんなに優しいか。どんなに苦しんでいるかを。
「でもね、いつかきっと、兄さまの呪いは解けると思う。お師さまがそう言ってたよ。だから、心配しないで……」
エルクはじっと、金髪のその子を見つめた。
「大好きだよ、ぼくの兄さま。セイリエンの、ランジャディール」
名前を呼ぶと、その子は甘い甘いお菓子をたっぷり食べたような顔をして、光の粒のようなものを放ちながら消えていった。
きらきらさらさら、岩壁に当たって散っていく陽の光のように。
――「エルク! セイリエンのエルク、中にいるの?」
部屋の外から、兄弟子の呼び声が聴こえてきた。
「兄さま!」
エルクは岩棚に絵本を片付けると、眼鏡をかけて師の部屋から出た。金の髪まぶしいラデルがにっこり微笑んでくる。
「お師様の瞑想、そろそろ終わるよ。お迎えに行って」
「兄さまもいっしょにきて」
「いや俺は……」
「お師さまを見ちゃだめっていうなら、ぼくのことだけ見てればいいじゃない」
「えっ?」
エルクは兄弟子の手を取って引っ張った。
(兄さまはお師さまが大好きなんだ。ぼくにやきもち焼くぐらい。自分でもしらないうちに、生霊を飛ばしちゃうぐらい好きなんだ……)
(でもぼくは、兄さまが大好きだ。お師様よりもずっと。ずっと)
(だから。だから……)
指先を眼鏡のバラの印にそっとつけて、エルクは願った。
「ぼく、兄さまとずっと、ずっと、いっしょにいたいんだ」
ラデルは一瞬きょとんとして。それから、おいしいお菓子をお腹いっぱい食べたような顔をしてうなずいた。
「ありがとう、エルク……ずっと、仲良しでいようね」
エルクが眼鏡をかけるようになってまもなく、黒き衣のアルセニウスは病で急死した。
エルクの師、黒き衣のセイリエンは、彼の後を継いで長老のひとりとなり、金獅子家の後見人となった。
師は長老の葬儀で喪主を務め、さめざめと泣いて哀悼の意を示し、殉死しようとした。だから、セイリエンがアルセニウスを呪い殺したとか、毒を盛ったとか、そんな言いがかりをつけたり疑ったりする者はほとんどいなかった。
エルクは、師がアルセニウスの死を願ったことを、誰にも喋らなかった。
アルセニウスが倒れた晩、兄弟子が呪いの命令を破って師の部屋に入り、ごうごう燃える手に毒薬の瓶を包み込んで持ち出したのを見たけれど、そのことも固く口を閉ざして黙っていた。
残念なことに、アルセニウスが死んでも、兄弟子の呪いは解けなかった。
一番弟子を取り戻せなかったセイリエンの心は荒れ狂い、ついにはたくさんの人を殺して寺院を支配するに至った。
なれども。
師と兄弟子は正義を成したのだと、眼鏡の子は、死ぬまで信じて疑わなかった。
泣きじゃくりながら師をかばう兄弟子と一緒に、最長老が放った裁きの炎に焼かれるまで。
師を信じて殺された弟子たちは、生まれ変わりて再び出会い、大いなる覇道を歩むのであるが。
そしてラデルの呪いは、幾度もの転生の果てに、やっと解かれるのであるが。
それはまた別の、長い長い物語である。
お読み下さってありがとうございます><
生き霊は純粋な思念の塊で
仰る通り生きてますから力も強いですよね。
エルクに実害がなかったのは彼の想いを
ラデルが感じていたからなのだと思います。
ラデルの呪いは転生しても記憶が残るものなので
実に大変な思いをするのですが
そのサイクルによって彼が犯した罪の
贖罪がなされることになるのでした。
お読み下さってありがとうございます><
なにせ黒き衣ですので、こわいこわい寺院なのです・ω・
おっしゃる通り、最長老に転生阻止される人など
絶対いるのではないかと思います。
お読み下さってありがとうございます><
六条の御息所みたいな実害がエルクに降りかからなかったのは
エルクが解呪を試したり兄さま大好きであることを
ラデルが察しているからなのかなと思います。
某長編に生まれ変わってからの二人のお話を書いてますが、
そのやりとりが実は大好きだったり。
お読み下さってありがとうございます><
暗い暗い寺院の雰囲気を感じてくださってありがとうございます。
生霊は本当に厄介です。
なんたって、生身の体からエネルギーを供給されるので
そのへんの幽霊とは違って生き生きしています^^
感謝や尊敬の思念からできる生霊は良いのですが
恨みや呪いからできる生霊が制御不能、あるいは制御しないことになったら・・・
青いバラのインク、本当にあったなら・・・
この星にはなくても別の星ではありふれたものかも・・・
寺院で繰り返される命のサイクル
悲しい方のサイクル。
楽しいお話をありがとうございます♪
最長老に処刑された場合、すんなりと転生はさせてもらえず、
地下に閉じ込められ、使い魔になるような気がしてなりません。
肉体は部屋には入れないならせめて、と。
本を読んで貰っていたエルクが、逆に本を読んであげる。
すてきな光景ですね。
呪いは解けずとも、少しは救えたのでは無いでしょうか。
長く人々の、どす黒い何かが有るのかも知れませんね。