「もう会えない」Ⅲ-2
- カテゴリ:自作小説
- 2019/01/13 00:54:59
向かい合って座ったものの、お互い緊張してしばらくは無言だった。明るいところで、私は翔の顔をまともに見られなかった。
翔は、アイスラテを一気に飲み干すと、覚悟を決めたように話し始めた。
自分は高校生で、寮生活をしているということ。バドミントン部に入っていて、秋の遠征に行った帰りに、乗っていた学校のバスから私がオフィスビルを出て来たのを見たこと。ちらと見ただけなのに、どうしても忘れられなくて、会いにきたこと。寮生だから、当然門限がある。でも逆に消灯時間を過ぎてしまえば、抜け出す方法はいくらでもあるらしい。幸い年末で私は残業が続いていたため、消灯時間を過ぎて抜け出す方が楽だったという。
ずっと声を掛けようか迷った末、どうしても話がしたくて思い切って声を掛けたこと。そうしたら、ちゃんと自分に向き合ってくれて嬉しかったことなどを。
考え考え、ゆっくりと翔はこれまでのいきさつを話してくれた。
「何故そうまでして」
言ってしまってから、なんて馬鹿げた質問をしたんだろうと思った。
「…一目惚れしたからに決まってるじゃん」
照れて横を向いた彼の顔は、明るいところで見ると本当に見惚れる程綺麗だった。だから、翔の言葉の意味がすんなりと頭に入ってこなかった。
「黙らないでよ。すごい勇気出して言ったのに」
私はとても驚いた顔をしていたのだと思う。ぷっと翔が吹き出した。その姿に、私の緊張も解けてゆく。
「…だって、信じられると思う? 翔の倍近いのよ、年」
関係ある? と翔は答えた。
「それに、みゆきは優しい顔してる。とても綺麗だと思う」
天使の笑顔を持つ翔にそう言われても、困ってしまうのだけれど。この年頃は年上の女性に憧れるというから、ただそれだけのことなのだろう。そうとでも思わなければ、納得できない。
「あ、今、年上の女性だから、と思ったでしょう。ボク、そんなこと考えてないよ。男子校だから保健の女の先生に憧れる人もいるけど、ボクはちゃんとみゆきが好きなの」
真剣なこのまなざしを、どこまで信じていいんだろう。彼の素直さ、誠実さに、嘘はないと思う。毎日話をしていたから、それはわかる。でも、こんな綺麗な若い男の子に告白されて、私もよ、と答えられるわけがない。
「え、ちょっと待って。高校生なら犯罪になっちゃうじゃない」
一瞬きょとんとした後、翔は店内に響く程大爆笑した。
「一応、18歳だから。それに、何もしてないじゃない。頬に軽くキスしただけだよ」
いや、でも、条例がどうだったかと、私の頭の中で目まぐるしく色々なことがよぎった。
「あのさ、ボクのこと、嫌い? それとも好き?」
あまりに直球な質問に、私は絶句して赤面した。しばらく声も出なかったが、翔はじっと答えを待っている。我慢大会に負けた私は、小声で、好きよ、と答えた。
「やった。これで両思いだね」
両想いって、いくつなのよ、と突っ込みたくなって、相手が18歳の高校生だと思い出す。まあ、そういうことになるわね、と答えると、嬉しそうに彼は天使の笑顔で微笑んだ。全くもう、この笑顔に勝てる人はいるのかしら。
「じゃあLINE、交換しよ。連絡できなくてずっと困ってたんだ」
LINE、ね。やっぱり、高校生だわ。心の中で苦笑しながら、スマホを取り出す。これでいつでも話ができると喜ぶ翔に、仕事中は駄目よと念を押した。
「みゆきが仕事をしている間は、ボクは授業中です。そんな不良じゃないよ」
消灯後に、寮を抜け出す子がよく言うわ、と笑うと、翔はちょっとふてくされて、休み時間ならLINEできるよ、と言い返してきた。
「そういえば、呼び捨てになってない? え? いつから?」
「今頃気付く? まあ、さっきからなんだけどね」
連絡手段を得たことで、私は翔に約束をさせた。寮から勝手に抜け出さないこと、残業のある日は会社へ来ないこと。
替りに私も約束させられた。休みの日に逢ってくれること。彼の望みはそれだけだったけれど、私はそれに付け加えた。陽が落ちる前には帰ること、疑いをかけられるような場所には絶対に近づかないこと。
子どもじゃあるまいし、と翔は言ったけれど、陽が落ちてしまえば、どんな場所にいてもそれは駄目だと私は思う。それが守れないならば休みの日に逢うことはしない、そう言うと、翔は素直にわかった、と答えた。
こうして、私と翔は、知り合い以上恋人未満? という関係で、週に何度か逢うことになった。
この関係が始まってしばらく経つと、私の周りに小さな変化が訪れた。会社の後輩、男性社員が私によく質問をしに来るようになったのだ。最初は気づかなかった。単純に何かわからないことがあっただけだと思っていた。それに気づかされたのは、会社でよくある女子トイレでのことだった。
「ねえ、最近松本先輩って、よく男性社員に声掛けられてない?」
松本とういうのは、私の苗字である。
「そうそう。前はそんなことほとんどなかったよね」
私が個室にいるとは気づかずに後輩の女子社員たちが、化粧を直しながらおしゃべりをしていた。
「それに、なんか雰囲気変わったよね。なんか柔らかくなったって感じ?」
「男ができたんじゃない? しばらくいなかったよね」
「あー、やっぱそれかあ。相手、どんなだろ」
私と同世代の女子社員はほとんどが結婚している。独身だとどうしてもこういう話のタネになってしまうのだ。
「不倫、だったりして」
「えー、誰と?」
いえ、違います。すっごく綺麗な子です。コーコーセイですけど。
「ま、誰でもいいけどね。独身男性は持っていって欲しくないよね」
それが本音でしょうね、と私は心の中で呟いた。
かしましい女子社員たちが出ていくと、女子トイレはひっそりと静まり返った。個室が埋まっていることに気付いていないはずはなく、ひょとしたらわざと聞かせるために話していたのかもしれない。
けれども、私にはどうでもいいことだった。ただ、翔と逢っている時はもっと周りに気を付けなければ、そう思った出来事だった。
そして、それが、始まりだった。
続く