6月自作 告白 「占いの館」前編
- カテゴリ:自作小説
- 2018/06/30 23:34:47
おや、こんばんは。こんな夜更けにお客さんとは。店仕舞いの看板が見えなかったかい? やっぱり入り口にランプを下げるべきかねえ。
まあまあ、せっかく入って来たんだ、そこに座るがいいさ、赤毛のお兄さん。
ずいぶんおどろおどろしい形の椅子だって? 怖がることはない、ただの木彫りだよ。骸骨も悪魔も、あんたに噛みつきゃしないさ。ただの彫り物だからね。サーカスの隣に建ってる場末の占い小屋で使うには、少々豪華すぎるかもしれないが。でも実のところ、そんなに高価なものじゃないのさ。ほら、ぜんぜん香りがしないだろう? 宮廷勤めの魔道師だったら、霊を引き寄せる香木を彫った椅子を、大理石の御堂に置くんだろうけどねえ。
「でも……この店、魔法の力が籠もってそうなものがたくさん……」
ふふっ、いかにもそれっぽいけどね。入り口の垂れ幕に下がっている小さな骸骨の環も、水晶玉を捧げ持つ骨の手も、鹿の角を削った作り物さ。単なる飾りにすぎないよ。
けれどこの水晶玉には、本物の魔力が宿っている。霊峰ビングロンムシューの鍾乳洞から切り出された、純度の高い石英だよ。その透き通った霊指で強大な霊を閉じ込めているっていう、相当なものさ。
さあ、お兄さん。いったい何を占ってほしいんだね?
「……いえ、その……未来は、分かっているので……あの……」
分かっている? なるほどねえ。その血の気のない蒼い顔。よれよれになった絹のシャツ。
お兄さん、あんたには大方、縛り首にされる未来でも待っていそうだねえ。ということは、あんたは道をお探しなのかね。右へいくか左へいくか。前へいくか後ろへいくか。どの道をたどれば生き延びられるか、探しているのかね。
「いえ……! 俺が見つけたいのは、逃げ道じゃなくて……そうじゃなくて……この小屋の看板に、書いてあったから……」
看板に? 灯りは下げてないはずだけれど。あんた、夜の宵闇の中で見えたのかね。
「ええ、見えました。『過去へ未来へ自由自在。いつの時間にも、ひとっ飛び。偉大なる占い師ティルエル・ファラーデが、あなたをお望みの時間へいざないます……」
看板の上に、閉店の札が架かってたはずだがね。それは都合良く、目に入らなかったというわけかい?
「その字もちゃんと視認しましたが、無視しました。すみません……」
そんなに切羽詰まっているとはね。相当お困りのようだが、つまりあんたが求めてるのは……
「望みの時間へ連れて行ってくれる……それは、本当ですか?」
ああ、本当さ。このティルエルに任せるがいい。この水晶玉に宿りしものが、あんたにあらゆるものを見せてくれる。過去も現在も未来も、すべて。見たいものがここに映る。
「み、見せてくださるだけでなく……実際にそこに……」
そこに?
「そこに、行けませんか……? つまりその、過去に……」
はあ? いったい何をお言いだね?
実際に過去へ行く? 眺めるだけじゃなく?
「はい……はい……行きたいんです。たぶんそんなにばかげた昔になってはいないと……塔はなかったですが、王宮は残ってましたから……とにかく、過去へ行きたいんです。どうしても……どうしても……!」
お兄さん。あんた、いったい何をやらかしたのかね。過去へどうしても戻りたいだなんて。ガクガク震えて目は腫れて真っ赤。椅子の肘掛けに載せた手がずいぶん震えているね?
ふむ……あんた……ずいぶんと恐ろしいことをしちまったわけかい? しかも今、それをひどく後悔しているどころか、哀しみの底にいる。起こしたことを、無かったことにしたいぐらい。
ああ、水晶玉を見なくとも分かるよ。
つまりあんたは……だれかを傷つけたんじゃないかね? おそらく、とても大事な人を。
たとえば母親。もしくは父親。それとも、あんたの子どもか……奥さんを。
ふむ。肩がびくりとしたね。なるほど、奥さんかい。
まさか犬も食わない夫婦げんかで、うっかり? ……いやいや、そんな単純なものではなさそうだね。
「ディーネは……俺をかばったんです……だから俺は、俺を殺せなかった……」
あんた、自殺でもしようとしたのかい?
「いいえ……俺がいっぱいやって来て……襲って来て……だから俺は、俺を排除しようと……でもディーネはこれは俺だからって……だから殺せないって……」
あんたがいっぱい? どういうことだい、それは。
「たくさんの俺は、別の国で作られた刺客……俺であって俺ではない……でもディーネは、あいつらも俺だと認識したんです……たぶん、匂いが……流れている血が同じだから、区別がつけられなかったんじゃないかと……」
つまり奥さんは、そのえたいのしれないあんたの分身のようなものをかばった、というわけかい?
「はい……俺は俺を殺そうと、思い切り剣を……振り下ろし……ました……俺をかばったディーネは……ディーネは……」
暖かい茶をどうかね、お兄さん。薬草をほんのり入れてやろう。それでまずは、気を落ち着けるといい。
「まさかとっさに彼女がそんなことをするなんて、思わなかった……俺以外の俺も、俺と同じように思うなんて……『俺』はこの世でひとりなのに……他の奴らは、あいつらはにせもの……違う、はずなのに……」
お兄さん、ほら。これをお飲み。あんたこの数日、ろくに寝てすらいないんじゃないかね?
「いえ、ね、寝ました……いや、正確には、眠らされました……。あの恐ろしいことを起こしてしまったあと、気づいたら俺……宮殿の隣に建ってる塔を登っていて……ウサギの部屋に駆け込んで、ガラクタを漁ってました。あそこには、ウサギが作った機械が……時間を越える泉をつくる機械があるって……聞いていたから……それとおぼしきものを見つけて、塔の麓の庭にそれを埋めて、俺はこんこん湧き出してきた泉に身を投げました……俺は、その機械で過去へいこうと思ったんです……恐ろしいことを俺がしないように……俺がディーネに剣を振り下ろさないように……止めたかった……」
は……ウサギの機械? 時間を越える泉?
そんなものが本当にあるのかね?
「はい……あります。ウサギは灰色の導師なんです。だからそういうものを作れるんです。でも俺が飛び込んだ泉は……時間を行き来するものじゃなくて……止めてしまうもの……だったようで……」
なんだって?
「飛び込んだ泉の水は、肌に触れたとたん、がちがちに固まってしまって、しかもずぶずぶ地の底へ沈んでいってしまいました……俺は慌ててもがいて、そこから出ようとしました。でも……泉についてる装置が……これから四百四十四年……し、シェルター機能を……発動すると、言ってきて……」
四百四十四年? シェルター?
「どうやら俺が使った泉みたいなものは……緊急避難用の、冬眠舟……とかいうものだった、ようです……固まった水は俺をかちかちにしました。俺はその中で眠らされました……おそらくその、たぶん、四百四十四年……」
この話を目の前で誰かから「ふんふん」と聞いたら
まず「こいつは頭おかしい」と思うでしょう
しかしこの世界は我々が住んでいる世界と少し違うようです
まずは時を飛ぶなどということは事実可能であるのか
続きが気になります
せっかく見つけた打開策が、
望んだ未来を引き寄せるための聖なる湖のはずが、
何もできないままの眠りに引きずり込む沼だったと
そう気づいた時の絶望はどれほどだったろうなぁ。
先にできた傷が癒えないうちに、新たな傷から血が噴き出す。
そうやって、かさぶたを引きはがし、裂傷を重ね、
元の肌がわからぬほどに醜く引き攣れてしまったのが
この赤毛君なのか