薔薇園へようこそ 「ティリンの竪琴」7
- カテゴリ:自作小説
- 2017/12/16 11:35:20
「ジェニス! 許して! お願い許して! ごめんなさい! ごめんなさいっ……!」
その瞬間。
師の腕がティリンの手を掴んで地に引き下ろし。黒い衣の胸の内に、泣きじゃくる子をうずめた。
光る蝶たちがパッと周囲に飛び散り、群れ成して空へどんどん昇っていく。
師は目を細め、ひどく嬉しげに少年の頭を撫でた。
「なぜ私に謝る?」
「だって……殺そうとしました! 前に僕は、あなたを、殺そうとしました……! ずっと前に……! 生まれる前に……!」
大きな吐息が落ちてきた。
喜び。
安堵。
そんな感情を匂わせるものが。
「やっと思い出したか。夢送りだけでなく精霊の手まで借りねばならないとは。手間のかかる子だ」
「ごめんなさい! ごめんなさい許して……お願い許して!」
「もう謝るな。それはお互い様だ。私も君を……殺したのだから」
ティリンは目を見開き、ぶるりと震えた。
今まで閉じられていた記憶の渦が心の奥底からどんどん湧きあがってくる。
降りる闇。
妖しくきらめく紫の石。
魔王に魅入られた師・セイリエンは、悪魔と化した。
策謀をめぐらし。導師たちを次々いわれなき罪に落とし。病の呪いを放って、寺院をいっとき闇で支配した。
五人の弟子たちはどうにか師を元に戻そうとしたけれど。
それは残念ながら叶わなかった。
殺さなければ。
師の命を摘まなければ。
きっともうそれしか、方法がない……
一番末の弟子サリスは意を決して、暴走する師を刺した。
弟子たちだけに特別に教えられた、師のまことの名前を呼んで。
『ジェニス。動かないで……』
まるで恋人のようにせつない声で呼んで。
卑怯にもかわせないようにして、刺した。
だが悪魔と化した師はすでに人智を越えた体を得ていた。
彼はただ、にいと笑っただけで――
「どう……して?」
胸が痛い。
そうだ。最期は胸を貫かれたのだった。
怯んだとたんに、師の手がずぶりと、胸の中に入ってきて。
殺されたのだ。
自分は殺されたのだ。
師であったこの人に……。
「君がいなくなったあと。殺したはずの最長老が復活してね。まあ……こてんぱんにやられたよ。それで私は地下に封印されたのだ」
「なぜ自分がここに戻ってきたのか……わかりません……!」
ティリンはぼろぼろ涙をこぼした。
胸が痛い。
胸が痛い。
でもこれは、心臓を潰された痛みではない。
「おそらく、ここに戻りたいと無意識に望んだんだろう。また私に会いたいとでも思ったんじゃないのか? そうだと嬉しいんだがな」
「そんな……! お師さまを刺すなんて、ひどいことしたのに! どんな顔をして、会えるっていうの?」
痛い。
痛い。
痛い。
でも、たぶん帰りたかったのだ。
だから導かれたのだ。ここに。
しゃくりあげながら泣き叫ぶ子の頭に、師はそっと口づけを落とした。
「なるほど。だから似ても似つかぬ子に生まれ変わったわけか。わざと遠くに生まれて。金の髪も白い肌も捨てて。しかも不具にまでなって。金髪の五体満足の子でなければ、私は君に気づかず、歯牙にもかけぬと踏んだか。まったく……私を試す気満々だな、この策士め! だが、小細工をしても無駄だ」
師はくつくつ笑い、ティリンを抱き上げて五つの薔薇の花壇の前に足を運んだ。
ぶつぶつと、あの有名なアスパシオンの歌の文句を楽しげにつぶやきながら。
「ひと目見ればそれと分かりぬ。
その子がそうだと魂が気づく。
心をば焦がす恋の炎。
その身をば焦がす聖なる炎 ……」
それから師は黒い衣にしがみついて嗚咽する子を優しく撫でながら、ひとつひとつ、並んでいる薔薇を左から順に眺めやった。
「ラデルとエルクは私を氷結封印から救おうとして、最長老レヴェラトールに容赦なく消された。
三番目のレイスは、最長老に恭順するふりをして、封印のほころびが直される瞬間に私と入れ替わり、この躯を譲ってくれた。
三人とも、今は君同様、大陸のどこかに転生しているはずだ。そしてジェリは……」
師は枝葉をあちこち好き勝手に伸ばしている四番目の薔薇を見て苦笑いした。
「今や大国を統べる覇王だ。手がつけられぬな。放っておいたらあれは大陸を統一するぞ。さすが私の子だ」
ティリンはぐすぐすと鼻をすすりあげ、師の黒き衣をぎゅうと握りしめた。
師は五番目の薔薇に目を移した。
「デウス・エクス・マキナの当たりクジを韻律で呼び寄せるなど、わけないことだった。カイレストスは導師になりたてだと、皆みくびっているからな。まさか長老級の力を持ち、魔法の気配を隠せるとは誰も思わぬ。ああ、ところで。君の抜け殻が地下の封印所に保存されている。やろうと思えば再生可能だが……もうそちらには戻りたくないんだろうな」
ティリンはこくりとうなずいた。
「この躯、好きです。だって……」
消え入りそうな声で少年は囁いた。
「お師様が、すぐ抱っこしてくれますから」
快活な笑いが師から漏れた。ティリンは思わず目を閉じた。
師の金の髪がまぶしかった。
本当に、この人の髪は獅子のたてがみのようだ。
こぼれる涙を、師の指が優しく掬い取ってくる。穏やかな花の香りが黄金に輝く躯から香ってくる……。
「そろそろ咲いてくれるか? 頑固な子」
ティリンはまたこくりとうなずいた。
「きっと、白いです……」
「だろうな。そんな気がする。君はえらく高潔で勇敢だったからな」
師が片手をそっと五番目の薔薇に伸ばす。
その手のひらに、小さな固まりが載った。
まだ青い、小さな小さな花の蕾が。
師は満面の笑みをその顔に浮かべた。
「ああ……最高の祝いだ」
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長老に就任して五年の後。
若き長老カイレストスは、捧げ子を選定しに西の果ての国へ出かけた先で消息不明となった。
それとほぼ同時に、彼の一番目にして唯一の弟子ティリンも、その不思議な竪琴とともに寺院から忽然と姿を消した。
ティリンが姿を消した場所と思われる寺院の岩間の花園には、かぐわしい香りを放つ白い薔薇が一面に咲いていたという。
花園の隅に咲く、赤い薔薇の花を覆いつくすほどに。
そのため後の世において、「カイレストスのティリンは師を失った悲しみのあまり、白い薔薇に変じた」とまことしやかに言い伝えられ。その伝説は、アスパシオンの歌とならぶ悲恋歌となった。
後世の歴史学者たちは、西の果てに一夜にして魔道王国を打ち建てた神王ジェニスラヴァと、そのしもべの四天王の一人である「白鳥の詩人」こそが、長老カイレストスとティリンではないかと推定した。しかしその真偽は、定かではない。
「獅子の申し子」と謳われた神王の魔道王国は、百年かけて岩窟の寺院を滅ぼし。スメルニアを征服し。南王国と大陸を二分する大帝国となるのであるが。
それはまた別の、長い長い物語である。
ティリンの竪琴 ――了――
西の果ての神王と白鳥詩人の飛び地が白薔薇なのでしょうか?
素敵な幻想でした^。^❤︎
過去と未来は何所か繋がっているかも知れませんね。
もぐもぐもぐ 涼やかな果実味かつハーバルアロマ。ミルキーな味わい。(もじくいがなんか言ってる
随所にみうみ氏の体感している思想をかいまみせて興味深い
面白かったな〜。
お師匠様がすぐ抱っこしてくれるこの躯が好きとか可愛すぎる!!
お師匠様はニマニマとだらしない顔をさらすといいのだ〜(# ̄ー ̄#)
セイリエンさんのことはとやかく言えない(遠い目
うん、懲りないって大事な資質だよね。うん。
また別のお話が語られる日を楽しみにしてますね。
お読み下さりありがとうございましたノω;`
はい、お互いに…というおそろしい師弟です。
セイリエンはこのあと転生した弟子を集めて国を建てて世界征服をめざしますが(全然こりてない)
一番弟子のラデルを取り戻すのにものすごく苦労します。
末っ子のサリスかわいいという感情と、はじめての子は特別という感情と。
えらく葛藤した末にあることを決行しますがそれはまた別のお話です。
五人弟子の中ではジェリが一番好きかもしれない。
勝手にずんずん我が道を行く子w(しかも覇道)
カイレストスとティリン/セイリエン(ジェニス)とサリスの結びつきも
なかなかに恐ろしいものがあるけれど、他の弟子たちも結構えぐいなぁ(褒め言葉)
成る程、犠牲者と聞いていたけれど、こういうことかぁ……。
ご馳走様でした。