Nicotto Town



銀の狐 金の蛇 12話「国主」(後編)

 急いで支度を始める師を、弟子が手際よく手伝ってくれた。
 否、実のところ師はほとんど何もせず、なされるがまま。弟子はてきぱき師の髪を撫でとかし、濡れた布で師の顔や手足を拭き、黒き衣をかぶせてくれたりと、いたれりつくせり。
 帯を締められ、寝台に座して靴紐を結んでもらうなり。
『 靴紐は、師が弟子に結ばせるものですよ』
 ソムニウスの脳裏に、夢で見た若かりし親友の姿が浮かんだ。
『足元にかがんだ姿勢の弟子の頭を撫でてやると、それはもう、幸せな気持ちになれますね』
(ああ、そうだなテスタメノス。とても幸せだ)
 弟子の巻き毛の感触は、えもいわれぬほど良いものだ。
 指を入れて撫でてやれば、艶やかな微笑が返ってくる。
「手袋を」
 革の手袋は、手にぴったりだった。師の手の大きさを覚えていて、よく吟味してくれたのだろう。
 指のないところにはなんと、綿がきちきちに詰められている。
「おお。五本ちゃんとそろってるように見える。さすがすぎるぞ、カディヤ!」
 細やかな気配りに深く感じ入りながら、ソムニウスは杖をもって小部屋を出た。
 階段でおのれを呼びにきた奉りびととすれ違い、その慌て顔に見送られて礼拝堂へと降りていくと――

「今すぐ、ハオを引き出しや!」

 その場は、雷鳴のごとき怒鳴り声に包まれていた。
 祭壇の前に置かれているのは、細い舟の形をした棺。エティア全域で使われているものと同じく、舟を模した木棺だ。そこに大勢の人が集まり、さめざめと涙をこぼしている。全身を投げ出すようにして泣きすがっている女性は、若君の奥方だろうか。それとも姉妹だろうか。
 場に満ちた哀しみと怒りの空気に、ソムニウスは胸が痛んだ。

 死したものは名をとられ、白い装束に身を包まれ、船に乗せられて送り出される。その行き先は天の河。
 しばしそこでたゆたった魂は、星のしずくとなって地にふりそそぐ。そうしてまた、大地に芽吹く。
 だがそれはあたらしい名前でのあたらしい生。
 魂には、生前の記憶はかけらも残らない。
 「人生」は一度きり。
 死者は、残された者の中で思い出されるだけの存在なのだ。

(不幸な若者。どうか、涙した者の心に永く在るように……)
 礼拝堂の入り口は、なんとも異様な雰囲気だった。なんと人垣ができている。そこにいる者たちは皆痛ましい顔で中をうかがっているのだが、木の棒をもった男たちが、中に入ってこないよう寸止めしている。数は、礼拝堂の中に集まっている人々とちょうど同じぐらいだろうか。
 どうやら中にいるのは銀狐の一族。入り口で寸止めされているのは金蛇の一族のようだ。
「国主さま、ご令息を殺めたは、ハオ婆ではありませぬ」
「どうか蛇の者たちも、ミドウに入るのをお許しくださりませ」
 かしこみ宥めるロフ神官と中年の神官。その真正面に、群を抜く背の高さの女性が仁王立ちになっている。その姿にソムニウスは一瞬たじろいだ。
(銀髪……!)
 その人の頭髪は、不老のメニスを思わせる白銀。
 とはいえよく見れば顔には深い皺がきざまれており、つりあがった狐目は空のように青い。たぶん年を重ねたゆえの髪色だろう。スメルニア風の装束に肩からはおった銀狐の毛皮、といういでたちの、なんともすらりとした体型である。
 その狐目は、今にもあの老婆を斬り捨てそうな、怒り猛る色にそまっている。女だてらに腰に帯びた剣の柄を握りしめ、ぎりぎりと歯軋りしているところをみると、剣は相当使い慣れているらしい。
 婆を出せと怒鳴っていたのは、まさしくこの老婦。この人こそユインの国主、ティン・フーリその人であった。
「ロフよ、おぬしは再三、あのハオをかばうてきたな。わらわも今までお前の言葉を信じ、呪いなど迷信と思っていた。しかしこうなっては、もはや看過できぬわえ!」
 最年長の神官が槍玉にあげられると、横からあの毛皮美男が煽ってきた。
「ええ、そうです。若さまは真実、呪いの犠牲にならしゃったのです。現場を確認してまいりましたが、若さまはまったく、呪いの歌の通りの身罷られ方であらしゃりました」
 こたびのことは婆の呪いのしわざ――大声でそう言い切るさまは、まるで周囲に宣言するがごとくだ。 
「両手を切り落とされ、木から吊るされていたのはケガミのしわざでございましょう。ハオの婆がクラミチから、あのおそろしきものを召喚したにちがいありません。かの獣の邪神は、若さまの両腕を食いちぎり、あとでゆっくり食べようと木に乗せたのです」
 棺にすがる女性の泣き声がうわっと大きくなる。
(わざと大声で……嫌なやり方だ)
 ソムニウスは眉をひそめた。周囲の怒りと哀しみを増幅させて、おのが主張に加勢させる。これは寺院で長老たちがよく使う、賛同喚起の手段だ。このままでは国主は即刻、この場で老婆を処刑しかねない。
 それにしても「ケガミ」とは、どこかで聞いた覚えがある。たしか……
(ああ、母子が言っていたものだな。トゥーというモノノケが、変化してなるものだとか)
「で、ですが国主さま、ハオの婆には、人を呪い殺すような力はございませぬ」
 ロフ神官が国主の剣幕に身震いしながらも、おずおずと訴えたとき。
「ロフ殿のおっしゃる通りだ!」
 ソムニウスは朗々と声を響かせ、杖をかつかつと突いて、国主の前に出た。
 景気づけに、だん、とひと突き杖を床に突く。息を大きく吸い込み、礼拝堂に轟けと、夢見の導師は少し高めの音域で言葉を放った。毛皮神官の声よりも、響き渡るように。
「岩窟の寺院にてあらゆる呪術を会得した黒き衣のソムニウスが、ロフ殿の言葉を証明する! あの老婆には、呪いを放つ力など一切ない!」
「ひっ! クラミチの使いじゃ」
「く、黒い衣の! ひいい」
 とたんに、礼拝堂に集まる人々から恐れのどよめきがあがった。
 ソムニウスの周囲から、あからさまに人々の塊がざざっと退く。
「よって、若君の死は呪いによるものでないことは、確実。呪いにみせかけた殺人であろうと思われる」
「これは……後見人殿。お越しになられていると、聞き及んでおったが」
「失礼をした。まずはお悔やみを申し上げるべきだったな。こたびはまことに……心中いかばかりかと察する」
 いたましい想いをしのばせたソムニウスの挨拶に、国主はきっちり四十五度の会釈を返してきた。
(本当に狐のような顔の御仁だな)
 夢見の導師はおごそかに最長老の親書を手渡したが、吊り上がった国主の目は、深い懐疑の色に染まっている。若い神官とは違って社交辞令のなんたるかをちゃんと心得ているらしいが、その心中は他の者と同じ。導師には、悪い印象しか持っていないようだ。

――「の、呪いじゃないだと? そそそそんなこと、ありえんっ!」

 国主が悔やみの言葉に返礼を述べようとした、そのとき。
 ソムニウスを遠巻く狐の人々の中から突如、声があがった。
「俺ぁ若さまのいたましいお姿を見たぞ! 若さまは、婆がこうなれと呪っとった格好で、お亡くなりになった。あれは、絶対呪いだ。嘘じゃない。呪いが、本当になったんだ。こ、これは……」
 その声は、ソムニウスが内心、ひそかに恐れていたことを叫びたてた。
 
「これはこの国に……クラミチの使いが来なさったせいだ!!」


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2017/06/07 07:02
よいとらさま

お読みくださりありがとうございます><
大陸各地違いはあれど、輪廻転生は広く信じられているみたいです。
おっしゃるとおり、ユインの宗教は輪廻を魂の修行的にはとらえてないようですよね。
かなり自然信仰に近いのかなと思います・ω・
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2017/06/07 06:59
カズマサさま

お読みくださり、ありがとうございます><
呪い……宗教などで教えられると信じてしまうもののようですが、
基本実在しないと私も思います・ω・
迷信深いということはすなわち信心深いということなのかなと感じます・ω・


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2017/05/21 11:28
おはようございます♪

魂の再生。
パターン1:カルマ清算型
一生を終え、天界や霊界で生きていた間の善悪を差し引きしたとき、
カルマが残っているようなら記憶を封印した上で新しい生を受け、
カルマ清算のために艱難辛苦に立ち向かう。

パターン2:完全リセット型
一生終えた魂は霊の海に還って溶け込み、そこで記憶も消えてしまう。
霊の海は雫を生み出し、新たな生命に宿らせる。

この国ではパターン2に近いものが採用されているようですね^^
こっちのほうがわかりやすくて好きです。


お百度参り方式で積み上げた心願がいくら強力でも物理的な効力はないので
心願を引き受けたあの世この世の者たちが動くことになりますね。
導師さんが有力な容疑者になりつつありますが・・・^^;

続きが楽しみです♪
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2017/05/17 22:46
この世に呪いなど存在はしないのですが、人間は何故迷信を信じるのですかね。




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