銀の狐 金の蛇 11話 「口づけ」(後編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/05/06 22:29:06
夢の中のソムニウスの反応に、親友はくるくるとせわしなく、からめた両の指を回転させた。どうやら、呆れているらしい。
『やっぱりですか……。夜伽はさせない、泊めてもなにもなし。サイアクですね』
『ちょ、ちょ、ちょっと待て! み、未成年に耳たぶ齧るなんて、やっていいのか?! ていうかなぜに、そんな恋人扱いしなきゃならん?!』
『つまりソムニウス、あなたはあなたの子の頭以外のところに、口づけをしたことがないと?』
『ない! い、いやその!』
したくないわけではないと、夢の中のおのれが慌てて言いつくろう。今は単にごく普通の、父親のつもりでいたと。たしかにあの赤い服の子は運命の子ではあるが、このまま変わらず、親子のような関係でいてもよいと。
すると親友は、それではだめだと大いに首を横に振った。
『父親として接するのはだめですよ、ソムニウス。それは敗北の道です』
『え? 敗北? こ、これって勝負ごとなのか? か、勝ち負けなのか?!』
『それ以外のなんだというのですか。単なる保護者のままでは、あなたは永遠にあの服に……あの子の母親に勝てません。あなたは、もっと別のものにならなければなりません』
親友の細い指がくるくる回り、それからぴしっとこちらを指してくる。
『我々は弟子の庇護者なれども、その存在を生みだした者ではありません。親としては絶対に、実の親にはかなわないのです。
それゆえに我々導師は、自らをもっと特別な存在と成さねばならぬのです。
生みの親という、あの絶対的な存在に勝利するがために』
迷いなき言葉。信念に満ちたまなざしが、射抜いてくる――。
『あの子の恋人におなりなさい、ソムニウス。これこそ、我々が勝利者となる唯一の方法です。
そのゆるぎない心の臓が、|昏《くら》き道を照らすでしょう』
一年間ずっと、見守ってきた。ただの一度も、服を脱げといわなかった。
それだけでずいぶんと弟子の信頼を勝ち得たように感じていたが。
まさか最強の亡霊に勝てる方法があるとは、思いもしなかった。
(恋人になれ……)
(そうだ。このときはっきり)
(こいつにいわれたんだ。しかし、|昏《くら》き道だと?)
(これは事実と違う。そんなことはいわれなかった)
(|昏《くら》き道……二度目だ……)
現実ではいわれなかった言葉。まごうことなくこれは啓示だ。
(きっと試練はこれからやってくる? この子が命の危険に晒されることが、これから起こるのか?)
二度も同じ言葉で啓示が出てくるとは。
これほど強調されるとは、不自然である。
(現実では)
(このあとどうなったんだったかな?)
(たしかこのあと……)
(このあと……)
あのとき。時の神はきまぐれにも、その恩恵を与えてくれた。
異様に暑かった夏。
一年すぎた、あの夏。
恋人になれと親友にいわれた、あの日。
なんと時宜良くも、道を切り開く好機がやってきたのだ……。
『ソムニウスさま! カディヤが中庭で泣きじゃくってます!』
テスタメノスのミメルが息を切らせて伝えにきてくれたので、ソムニウスは夢の中の寺院を駆けた。
中庭に幼い弟子がいる。畑の前でしゃがみこんで泣いている。
なにやらわめいていて半狂乱だ。
年上の弟子と小競り合いして、赤い服の袖をひどくひっぱられたらしい。袖の付け根が破れてしまっている。
ソムニウスは弟子を抱き上げて私室に戻った。慣れない手つきで脱がせぬまま、肩の破れた部分に、針を通した。なんとか応急的にかがって補修してやったが、縫い目は惨憺たるもの。
泣きはらして目が真っ赤な弟子に睨まれるも、めげずにだっこして抱きしめてやった。
『な、直ったとはいいがたいが、いちおうひっついたよ?』
すると弟子はしゃくりあげながら、両手で顔を覆った。
その重い口は、師が頭のてっぺんに落とした口づけで決壊した。
『いやっ!』
弟子はソムニウスの腕を押しのけ、その膝からはじけるように降りた。
『そ、ソムニウスは、どうして、服を修理してくれるの? カディヤはお勉強して結界をはれるようになったんだから、服がなくても死神なんか撃退できるだろって、みんないうんだよ? ひっぱってきたあいつも、いいかげんに蒼い服をきろって、いますぐ脱げって、カディヤに怒鳴ったのに。ソムニウスは、どうしていわないの?』
『私はそなたの母親ではないが……その人と同じぐらい、カディヤのことが好きだ。だから、カディヤが嫌がることはしたくない』
『母さまと同じぐらい、好きなの?』
『そうだよ。いや、その人よりもっともっと好……』
『わかんない!』
『う?』
『ソムニウスがどのぐらい、カディヤのことを好きかわかんない。母さまはこのぐらい、カディヤのことが好きだったけど。ソムニウスは、どんぐらいかわかんない!』
弟子は涙をこらえるような、しかし挑むような顔でぐるりとその場をひとまわり。赤い服を誇示して見せた。かなりきゅうくつになって、手首がだいぶ見えている服を。
(あのとき)
(ああ、あのとき)
母親が赤い服を仕立てたことを自慢したのだと、夢の中の――過去のソムニウスは単純に思ったが。
この昔の光景をおのが内から眺めている現在のソムニウスは、そこでハッとした。
たぶんこれは。
あの時弟子は。
花の刺繍が一個もついていないことを、教えたかったのではなかろうか?
『ええとその。私はこのぐらい、好きかな』
夢の中のソムニウスはまさに親友に言われたことを成すときだとばかり、弟子の薔薇色の唇に吸いついた。そっと優しく。さりげなく。
親友にいわれたことを思い出しながら、父親としてではなく恋人のつもりで口づけてやった。
わずか数秒の、その甘美な接触のあとに。
『ここに、ソムニウスはカディヤが大好きだっていう証拠を、つけてあげようね』
細い手首を強く吸って、所有の印をつけてやった。
ちいさく赤い、花のような印を――。
『……もっとつけて』
すると。
美しい子の反応は予想だにしないもので、劇的だった。
『つけて! つけて! もっとつけて!』
まるで火がついたように弟子は眼をらんらんとさせた。
『つけてっ!!』
異様なぐらいせがまれて、夢の中のソムニウスはたじろいだ。
『もっとお花つけて! カディヤにつけて!!』
弟子は狂ったように叫んだ。何度も何度もせがんできた。
一個や二個ではあきたらず、もっともっとと、ねだり倒してきた。
(ああ、なつかしいな……)
(この思い出を夢に見るとは)
(ん? もしかして)
弟子に初めてしるしをつけてやったあの日あのとき。
(もしかしてこのとき、私はこの子にとって、大正解なことをしたのか?)
(この子が喉から手が出るほどほしがっていたものを、与えてやれたのか?)
(本当の事情をまったく知らないままに?)
(勝利したのか?)
(私はこのとき、勝利した?)
夢の中のソムニウスは一所懸命、目に見える愛の証をたくさんつけてやった。
たくさん。たくさん。
幼い弟子の白い手首に、花をつけてやった。
そして最後にもう一度、その薔薇色の唇に口づけた。
『大好きだよ』
えもいわれぬ甘美な感触と。
ひそやかな勝利を、味わうために。
お読みくださりありがとうございます><
おっしゃるとおり、親に勝つには恋人になるしかないという;
細手の人の入れ知恵でしたが、たぶんに寺院伝統の考え方なのかもしれません。
アスパではまったくスルーしていましたが、
保護者のままじゃだめとか夜伽させるなどなど、
寺院の裏面はいろいろと妖めかしいようです・・;
お読みくださりありがとうございます><
たぐられた記憶からかいま見れる寺院の慣習は、
外とは隔絶されているという閉鎖性の中から生まれたものなのでしょうか。
妖しい雰囲気を感じ取ってくださりうれしいです^^
お読みくださりありがとうございます><
はい、そうなのです。
お母さんの愛に勝つには、恋人にならないといけないのです・ω・
母の慈愛より強い愛でなければ勝ち目のない心の戦。
となると、保護者であってはならないのですねぇ^^;
千の花・・・
母の愛は糸と針で・・
強き愛は「口づけ」で・・・
切なさと妖しさと愛しさがいっぺんにやってきました^^