銀の狐 金の蛇 8話「啓示」(前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/03/29 18:44:23
ソムニウスはしばらくの間、思考できなかった。
完全に意識が飛んでいたのだろう。
沈んでいたおのれを引きあげてくれたのは、囁くような歌声だった。
『兄はクラミチ走る森
両のかいなをケガミにくわれた』
どこかでだれかが、歌っていた。
『姉はクラミチ眠る石
両のくるぶしケガミにくわれた』
だれかの歌声はじわじわと、足元から這い寄ってきた。
『みにくい狐は首をころがす
沈めよ、白い大狐』
それは老婆の呪いの歌だったが、だれか別の人が唱えている……。
『水底クラミチ光なく
石を爆ぜさす狐の嫁ご
皮の袋に入れりゃんせ
水底クラミチひとつみち……
水底クラミチひとつみち……』
(だれが……歌ってるんだ?)
歌声が遠のいていくと、ずるりと下降感に襲われた。
下へひきずりこまれまいと、ソムニウスは得体の知れない引力に抗って思考した。
(いまのは、現実? いや、老婆は地下に繋がれた。ここにはいない……とすると、夢なのか?)
――『ふん、またそれか。夢見あるあるを何回やれば悟るんだ、チル?』
「足場」がだいぶしっかりしてきたが、まだ視界が昏くらい。
どこからか、少年の笑い声が響いてくる。あのレヴェラトールのものだ……。
『現実にそれが起こった瞬間に、夢で見ていたと思い出す? 的中率うんぬん以前の問題だな』
初めて聞く言葉ではない。これは、かの人がいつも浴びせてくる嘲笑だ。
夢の内容を語るたび、すべてを見通す人は鼻で笑ってくる。
『夢は、脳内で行われる情報分析にすぎぬ。だからただの妄想であることがほとんどだ。分析は、ひとりよがりになりやすい』
(違う。妄想などではない)
『おまえはすぐ思い込む。それでいつも失敗する。僕にごたいそうな歌を歌ったのだって、勝手な思い込みからだろ』
(いや。夢とて、ちゃんと役に立つ)
笑い声が遠のいたとたん。
――『ぬがないからあっ!』
突如。目の前から、子供の泣き声が聞こえてきた。
この声は……。
『いやあっ! もう歩けないっ』
とてもよく知っている子の声だ――。
(これはさっき見た夢の……続きだな?)
靴紐で反省した。今度はささいなことも見逃すまいと、ソムニウスは目を凝らした。
夢とて役に立つことを証明するべく、しっかり神意を探ってやろうではないかと意識を集中する。
黒い霞の中に、そそりたつ岩壁がぼんやり視えてくる。青と黒の衣の人垣も。
おのれのまん前で、真紅の服を着た子がしゃがんで抵抗している。
(記憶の再生だが、どこかに啓示が潜んでいるはずだ)
『今日からこの寺院が、君のおうちだよ』『さあおいで』『みな優しい人ばかりだからね』
抵抗する子は三人の長老に抱きかかえられ、すり鉢のような形の広場に運ばれていく。
後を追いかけたソムニウスは広場に入り、石の座席に座った。
最長老が長老全員を舞台の上に呼び集め、選び取りの儀式を始める口上を述べ立てる。
すべてを見通すレヴェラトールはまだ、今のように若返っていない。普通に老いた老人の姿をしている。
舞台に上がるのを待つ子供たちのしんがりで、真紅の服の子がひっくひっくとしゃくりあげている。 隙あらば逃げ出そうと、ちらちら出口をみやりながら。
薔薇色に紅潮した頬。わななく艶やかな唇。泣き顔なのに、なんともかわいらしい。
子供の列は、ソムニウスの席のすぐそば。夢の中のおのれは、言霊を送ってみない手はないと、こっそり魔法の気配をおろした。
だってあの子は。
『絶対、私の子だ……!』
〈ひと目見たらその子とわかりぬ〉
有名なあの愛の歌のように、ソムニウスはあの子を見た瞬間にわかったのだ。
あの子こそ、「その子」だと。
まだ蒼い衣の見習いだった時から、何度も何度も夢に見てきた。
おのれの心臓を抉り出す、赤い服を着た天使は、きっとあの子だと。
『まちがいない……!』
子供をみつめながら、夢の中のおのれは韻律を囁き、声を言霊ことだまにして飛ばした。
赤毛で肩幅の広い導師がひとり、子供の列のすぐとなりで見張っている。あれは、呪いのディクナトールだ。
相手が彼ならば大丈夫だ。たとえ言霊に気づいても、こうもりの羽をあとでたっぷり買い取ると持ちかければよい。それできっと黙っていてくれる。
<こんにちは、はじめまして>
子どもの顔は上がらない。だが耳がひくひく動いている。ちゃんと聞こえているようだ。
<僕、ウサギ妖精のピピっていうんだ。君、おうちに帰りたくなったんじゃないの? ママが恋しくなったのかな? それなら、ソムニウスって言う人に頼むといいよ>
できるだけ快活に明るい口調で囁く。おとぎ話に出てくるような妖精だと思ってくれるように。
――『ソムニウス? 老いためんどりみたいな声を出して、なにしてるんです?』
隣に座るテスタメノスが、能面のような顔でこちらを見やってくるが、全力で無視。
<ソムニウスは必ず、君の望みどおりにしてくれるよ。だからソムニウスの弟子になりたいって、長老さまたちに言ってくれるかなぁ?>
声が大きすぎたようだ。真っ赤な髪のディクナトールが、目を眇めてこちらを睨んできて。
<聞こえてるぞバーカ>
いかつい声の言霊をこっそり送ってきた。
<無駄骨だ、脳たりんのチル。おまえで言霊送り十二人目。こうもりの羽五十枚ご購入で、長老様方に黙っといてやる。もう送ってくるなよー>
『ううう。同じこと考えてる奴がいっぱいいるっ』
『当然です、あんなに美しいのですから。天上の神々や王の酌取りこそ、あの子にふさわしい仕事でしょうよ』
隣のテスタメノスが、長い指をいらいらと絡みつかせる。いつものごとく呆れているようだ。
『もしかして、君も送ったとか?』
『いいえ。長老たちと張り合うつもりはありません。それに私のミメルの方が、断 然 かわいいです』
『そうか……って、え? ええっ?!』
親友の一番弟子はとても地味な子だ。目はひと重だし肌は白いがそばかすだらけだし、歯並びもよくない。言っては申し訳ないが、まったくぱっとしない。
だが親友は、きっぱり言ってのけた。
『我が卜占で、今年私のものになる子はいないと出たのは、しごく当然のことでしょう。私のミメルより気立てが良くてかわいらしい子など、おりませんからね。あんなにぎゃあぎゃあ泣くような強情な子など、いりません』
『そ、そう……か。なんていうかその。競争相手、減ってうれしい、かも』
『よく言われますでしょう? 初めての子は、特別だと』
『ん? なんだか聞いたことあるな。それってほんとにトクベツ……なのか?』
『ええ。特別で、至高で、まさしく無二のものです。私のミメルこそ、まことの天使。豊かで幸福なるものを絶え間なしに与えてくれる、素晴らしい愛と恵みの使いです』
目を細める親友には、露ほどの迷いもない。ソムニウスはごくりと息を呑んだ。
『な、なんていうかその……君の顔を見ていると、ものすごく大きな魚を逃したって感じがする……』
『ふふん。あの子の師に名乗りをあげればよかったと思ってますね? 大いに後悔なさい、ソムニウス。でもたとえあなたに泣いて頼まれたって、私のミメルは絶対に貸しませんよ』
子供たちが呼ばれて舞台に上がる。横一列に並ばされるや、ひとりひとりの白装束がはがされて床に落とされていく。
だがただひとり、赤い服の子だけは頑強に抵抗した。
『いやっ!!』
淡い色の瞳をかっと燃やし、なんとか宥めすかして衣を脱がそうとする老人たちの手を払いのけ、睨みつける。
『ぬいだらしんじゃう! お母さまがそういってた! ぬいだら、病気になってしんじゃうって!』
未来に向けての、何かが起きる予兆ですかね。