自作2月 鬼 「食堂のおばちゃん」 中編
- カテゴリ:自作小説
- 2017/02/28 18:00:38
陛下のありがたい思し召しで王宮一階厨房のパン係になって、二週間すぎた。
日がたつにつれ、俺の疑問はいやますばかりだった。なにせ食堂のおばちゃんは、たしかに食堂のおばちゃんのはずなのに、俺のことをまったくすこしも覚えていないようなのだった。
『おばちゃん?!』
『おまえは……』
はじめてここに彼女がいると知ったとき、おもわずもらした叫び。おばちゃんはそれにぴくりと反応したものの、その注意の矛先は俺の存在そのものではなく、俺の髪に向けられた。
『頭髪ながすぎ!』
すみませんでした! ごめんなさい!
すぐに短く刈って、再度本人に確かめてみても。
『おばちゃん、ですよね?』
『はぁ? なにをいってるんだ。さっさと作業するんだよ、パン係!』
見事に流された。
解せない。わからない。どんなわけなんだ?
もし、あの日俺がいなかったら。
おばちゃんは、一週間分の料理だけ残して、営舎を黙って去るつもりだったんだろう。
なぜにおばちゃんはあのとき、そんなことをしなければならなかったのか。どうして若い男といってしまったのか。
だっておばちゃんちには娘も孫もいる。家族を棄てて若い男とって、道ならぬかけおちじゃなければ、いったいどんな理由でそうなるんだ?
まさか、あの若い男は、変装した大貴族だったとか?
それで王都の館に住むようになって、ジャルデ陛下の目に止まって、大抜擢されたとか?
うう、七十七歳にしては、馬力がありすぎる……って、もう三年たってるから、八十歳じゃん。
「パン係長さん、そろそろ焼きあがるよ」
「あ、アントンさん。了解です」
新調されたパン窯は、炎のように真っ赤なレンガ造り。五台あって、一台で大きな丸パンが三十個焼ける広さ。バターで丹念にしこみ、いろんな形に整形した種を焼くのは、なんと薪ではない。
となりの塔に住んでいるウサギが最近合成した、なんとかっていうガスだ。この方式でパンを焼くのは、生まれてはじめてだった。薪よりはるかに温度調節がしやすくてびっくりだ。
中の温度にムラがないので、焼いている最中に移動させたり、という手間もいらない。
「もう一回焼いたら十分かな」
「ですねえ。たまご乗せ瓶が、まだまだ大好評ですから」
瓶づめの芋たまごは、王宮の定番料理と化している。ジャルデ陛下は昼も夜も、と三食召されるときすらある。おかげで高価なバターの消費量が抑えられて、会計官がほくほくだとかそんなウワサもちらほら……
「なんだこの魚は」「魚、なのか?」
左翼厨房のはるかむこうはじで、どよめきが上がった。魚介を調理する部署あたりからだ。
厨房の食材はそれぞれ専用通路でこの厨房に運ばれてくる。生ものは食料庫に貯めるのではなく、直接業者が運び入れる場合が多い。
「おおー!」「さすが!」
どよめきとともに、魚介係から盛大な拍手があがった。
アントンさんがなんだなんだと、爪先立って様子をうかがう。
「変な魚がとどいて、それをみごとにさばいてる人がいる、みたいだ」
「へええ。それはすごいですね」
厨房にいる料理人って、正確に数えたことがない。中央廊下にずらっと並ぶぐらいいるから、右翼左翼合わせて百人ぐらいだろうか。広い仕事場に散らばるので、他の部署の料理人の顔なんて、あんまり見知っていなかった。料理人たちはここでまかないを食べることが多くて、食堂はあんまり利用しないってことも大きかったかもしれない。
「みんな集合!」
だからおばちゃん――総料理長が集合をかけたとき、俺は息を呑んだ。
「これは鬼カサゴ。大きな湾の岩場で獲れる珍しい魚だ」
真っ赤でグロテスクなガビガビひれだらけの大魚を、おばちゃんは高々とかかえあげた。
「大変美味だが、全身二十三箇所に毒針がある! いまから弟子のゴドフリートに取り方を披露させるから、みな、見て学ぶように!」
さっき拍手を浴びていたのは、魚介類の係長なのであろう、そのゴドフリートだった。
どこかで見覚えがあると思ったら、なんとその人こそ……
「ひれを広げるときは、十分注意してください。ゴム手袋をしても、容易に貫通します」
その人こそ……
「毒張りを露出させ、はさみで切り落とします。危険なのは針だけです」
『食堂のおばちゃん! おむかえにあがりました!』
おばちゃんを騎士団営舎から連れ出した、若い男その人……だった。
「え……うそ……えええ?!」
呆然と口をあける俺のそばで、前菜係やら腸詰係やら、左翼厨房のうん十人といる料理人たちが、ひそひそ。
「さすがメンジェール国王子……」「王家の者はみな一流の料理人っていう……」
「はあ?! 王子ぃ?!」
――「そこ、静かに!」
悲鳴をあげてしまった俺に、おばちゃんの叱咤がとんできた。
うう、かけおち男がこっちをにらんでいる。ちょっと待て。妨害したわけじゃないんだ。
俺は驚いただけなんだ。
この……この、王宮の広さに!
いまさらだが、ほんとにここは広すぎる。営舎の食堂のいったい何倍あるんだ?
二週間、同じ職場で働いてて、ぜんぜん気づかない広さってなんだよ!
「メンジェール人かぁ」
もと貴族にして特別使用人のアントンさんが、なるほどなぁとうなずいている。
見学を終えて窯にもどってくるなり、俺はきいてみた。
「メンジェールって、どこにあるんですか?」
「スメルニアの辺境にあるらしい。街ひとつほどの小さな国だけど、世界中の食材が集まるすごいところで、王様が代々美食家のみならず、おそろしく腕のたつ料理人だって話だ。なんでも王位継承は、生まれた順じゃなくて、料理の腕で決められるとか……」
「そ、そんな国があるんですか…」
「うん。食聖ホーテイが、王族の先祖だって、いわれてるっぽいぞ」
なにその、食聖って。初めて聞いたぞ。そんなのいたのかこの大陸に。
「まあ、あのゴドフリートってのは、王位継承を争うために、料理修行してるんじゃないかな」
おばちゃん、たしか彼のことを弟子って紹介してたよな……。
ってことは、彼女は師匠、っていうわけで……。
「かけおちじゃ、なかったんだ」
「へ?」
「あ、いや……」
でも家族を棄てて異国の王子に協力って、それもなんだか理不尽な気もするし。
超料理人がそろっているのであろう王国の王子に、師と仰がれるおばちゃんって、いったい……。

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- かいじん
- 2017/03/05 20:08
- 何かいろいろありそうですね^^
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- カズマサ
- 2017/03/01 05:35
- 若しかしたら、おばちゃんは王位継承者だったかも知れないですね。
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