Nicotto Town



自作2月 鬼  「食堂のおばちゃん」 中編

陛下のありがたい思し召しで王宮一階厨房のパン係になって、二週間すぎた。
 日がたつにつれ、俺の疑問はいやますばかりだった。なにせ食堂のおばちゃんは、たしかに食堂のおばちゃんのはずなのに、俺のことをまったくすこしも覚えていないようなのだった。

『おばちゃん?!』
『おまえは……』

 はじめてここに彼女がいると知ったとき、おもわずもらした叫び。おばちゃんはそれにぴくりと反応したものの、その注意の矛先は俺の存在そのものではなく、俺の髪に向けられた。

『頭髪ながすぎ!』

 すみませんでした! ごめんなさい!
 すぐに短く刈って、再度本人に確かめてみても。

『おばちゃん、ですよね?』
『はぁ? なにをいってるんだ。さっさと作業するんだよ、パン係!』

 見事に流された。
 解せない。わからない。どんなわけなんだ?
 もし、あの日俺がいなかったら。
 おばちゃんは、一週間分の料理だけ残して、営舎を黙って去るつもりだったんだろう。
 なぜにおばちゃんはあのとき、そんなことをしなければならなかったのか。どうして若い男といってしまったのか。
 だっておばちゃんちには娘も孫もいる。家族を棄てて若い男とって、道ならぬかけおちじゃなければ、いったいどんな理由でそうなるんだ?
 まさか、あの若い男は、変装した大貴族だったとか?
 それで王都の館に住むようになって、ジャルデ陛下の目に止まって、大抜擢されたとか?
 うう、七十七歳にしては、馬力がありすぎる……って、もう三年たってるから、八十歳じゃん。

「パン係長さん、そろそろ焼きあがるよ」
「あ、アントンさん。了解です」

 新調されたパン窯は、炎のように真っ赤なレンガ造り。五台あって、一台で大きな丸パンが三十個焼ける広さ。バターで丹念にしこみ、いろんな形に整形した種を焼くのは、なんと薪ではない。
 となりの塔に住んでいるウサギが最近合成した、なんとかっていうガスだ。この方式でパンを焼くのは、生まれてはじめてだった。薪よりはるかに温度調節がしやすくてびっくりだ。
 中の温度にムラがないので、焼いている最中に移動させたり、という手間もいらない。

「もう一回焼いたら十分かな」
「ですねえ。たまご乗せ瓶が、まだまだ大好評ですから」

 瓶づめの芋たまごは、王宮の定番料理と化している。ジャルデ陛下は昼も夜も、と三食召されるときすらある。おかげで高価なバターの消費量が抑えられて、会計官がほくほくだとかそんなウワサもちらほら……

「なんだこの魚は」「魚、なのか?」

 左翼厨房のはるかむこうはじで、どよめきが上がった。魚介を調理する部署あたりからだ。
 厨房の食材はそれぞれ専用通路でこの厨房に運ばれてくる。生ものは食料庫に貯めるのではなく、直接業者が運び入れる場合が多い。

「おおー!」「さすが!」

 どよめきとともに、魚介係から盛大な拍手があがった。
 アントンさんがなんだなんだと、爪先立って様子をうかがう。

「変な魚がとどいて、それをみごとにさばいてる人がいる、みたいだ」
「へええ。それはすごいですね」

 厨房にいる料理人って、正確に数えたことがない。中央廊下にずらっと並ぶぐらいいるから、右翼左翼合わせて百人ぐらいだろうか。広い仕事場に散らばるので、他の部署の料理人の顔なんて、あんまり見知っていなかった。料理人たちはここでまかないを食べることが多くて、食堂はあんまり利用しないってことも大きかったかもしれない。

「みんな集合!」

 だからおばちゃん――総料理長が集合をかけたとき、俺は息を呑んだ。

「これは鬼カサゴ。大きな湾の岩場で獲れる珍しい魚だ」

 真っ赤でグロテスクなガビガビひれだらけの大魚を、おばちゃんは高々とかかえあげた。

「大変美味だが、全身二十三箇所に毒針がある! いまから弟子のゴドフリートに取り方を披露させるから、みな、見て学ぶように!」

 さっき拍手を浴びていたのは、魚介類の係長なのであろう、そのゴドフリートだった。
 どこかで見覚えがあると思ったら、なんとその人こそ……

「ひれを広げるときは、十分注意してください。ゴム手袋をしても、容易に貫通します」

 その人こそ……

「毒張りを露出させ、はさみで切り落とします。危険なのは針だけです」

『食堂のおばちゃん! おむかえにあがりました!』

 おばちゃんを騎士団営舎から連れ出した、若い男その人……だった。

「え……うそ……えええ?!」

 呆然と口をあける俺のそばで、前菜係やら腸詰係やら、左翼厨房のうん十人といる料理人たちが、ひそひそ。

「さすがメンジェール国王子……」「王家の者はみな一流の料理人っていう……」
「はあ?! 王子ぃ?!」
――「そこ、静かに!」 

 悲鳴をあげてしまった俺に、おばちゃんの叱咤がとんできた。
 うう、かけおち男がこっちをにらんでいる。ちょっと待て。妨害したわけじゃないんだ。
 俺は驚いただけなんだ。
 この……この、王宮の広さに!
 いまさらだが、ほんとにここは広すぎる。営舎の食堂のいったい何倍あるんだ?
 二週間、同じ職場で働いてて、ぜんぜん気づかない広さってなんだよ!

「メンジェール人かぁ」

 もと貴族にして特別使用人のアントンさんが、なるほどなぁとうなずいている。
 見学を終えて窯にもどってくるなり、俺はきいてみた。

「メンジェールって、どこにあるんですか?」
「スメルニアの辺境にあるらしい。街ひとつほどの小さな国だけど、世界中の食材が集まるすごいところで、王様が代々美食家のみならず、おそろしく腕のたつ料理人だって話だ。なんでも王位継承は、生まれた順じゃなくて、料理の腕で決められるとか……」
「そ、そんな国があるんですか…」   
「うん。食聖ホーテイが、王族の先祖だって、いわれてるっぽいぞ」

 なにその、食聖って。初めて聞いたぞ。そんなのいたのかこの大陸に。

「まあ、あのゴドフリートってのは、王位継承を争うために、料理修行してるんじゃないかな」

 おばちゃん、たしか彼のことを弟子って紹介してたよな……。
 ってことは、彼女は師匠、っていうわけで……。

「かけおちじゃ、なかったんだ」
「へ?」
「あ、いや……」

 でも家族を棄てて異国の王子に協力って、それもなんだか理不尽な気もするし。
 超料理人がそろっているのであろう王国の王子に、師と仰がれるおばちゃんって、いったい……。

アバター
2017/03/05 20:08
何かいろいろありそうですね^^
アバター
2017/03/01 05:35
若しかしたら、おばちゃんは王位継承者だったかも知れないですね。




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