Nicotto Town



自作2月 鬼  「食堂のおばちゃん」 前編

 忘れもしない。あれは五年前のこと。
 短い夏のおわりに、両親をなくした。
 父はかなりな晩婚で、俺が生まれたときには、すでに五十を越えていたらしい。心臓は丈夫だったが、脳の血管が弱っていたようだ。雪がしんしん降る夜、洗い場でたおれたままいってしまった。
 母はうさぎのように、さびしくなると死んでしまう生き物だった。かなりな病弱で、俺を生んでからはずっと臥せっていたこともあって、父の死にまったく耐えられなかった。
 そんなわけで父の死後、一週間もたたぬうちに、母もいってしまった。
 俺が生まれたのは、人口百人の小さな寒村。村全体の農地は、あわせてもネコの額ほど。一年のほとんどは雪と氷にうもれて、育つ作物は数種類。氷をきって泉の小魚を釣るのと、トナカイ狩りでなんとかほそぼそやっている。
 そんな厳しい土地柄だから、村の人口はきっかり百人からなかなかふえないでいた。そして両親がなくなり、村の人口はいっとき九十八人になった。
 ところがふしぎなことに、母の葬儀の数日後に、近所に男女のふたごがうまれた。
 両親が生まれ変わってこの村にもどってきたんじゃないかと、ものすごく期待したのを覚えている。 百人ぽっきりの集落なので、周りはほぼほぼ、親族。母親の看病から解放された俺は、これからは身を粉にして、村の役に立とうと意気込んでいたんだが。

『ああ、百人村からきたんだねえ』

 俺は村長さんから、紹介状をもたされて村を送り出された。
 ついた先は北の町の、大通りに並ぶ小さな長屋だった。

『ふうん。あんたがうちの姪っこの息子ねえ。たしかに髪は赤いけど』

 そこはなんと、母の実家。その家の主は、ずんぐりむっくりしたおばちゃんだった。
 おばちゃんは、俺の母方のおじいちゃんのお姉さんであるという。
 母方のおじいちゃんも、おばちゃんのだんなさんもすでに他界して久しく、おばちゃんが家を継いで家長になっていた。といっても、たいした家じゃあなかったけど。
 家には、おばちゃんの娘と孫のリサちゃんがいた。

『親を亡くしたから面倒見てくださいって、書いてあるけど。あんたいくつだい?』
『十八』
『あらまあ、もう大人じゃないか』

 どうやら村長さんは、村の食糧事情が厳しいので、俺を追い出したかったらしい。ようするに、口減らしというやつだ。

『若い男なんて、村にとっちゃあ、いい働き手なのにねえ。その赤い髪がだめだったのかね』

 容姿のせいっていうか。
 父方は、あの村で何代も村人やってきた、由緒ただしい狩猟採集民。
 かたや母方は代々町に住む、あかぬけた町人。
 きびしい自然の中でくらす狩猟採集民からすれば、城壁に囲まれてくらしてる町人というものは、ひ弱で甘っちょろい生き物。いい人間だとは、あまり思われてない。
 まあ、ひ弱っていう点は反論できない。母親が病弱なだけあって、俺も幼いころはよく寝込んだ。親に似て、生命力なしと認定されていたふしはある。さらには母親の看病のために、ずっとひきこもり同然だった。だから今まで、狩りにも農作業にも貢献できてなかった。それが致命的な理由だったんだろう。
 俺は「これから」と思ってたが、あっちは「もうこれまで」だったんだ。

『でも俺、いたって健康です』
『じゃあ、さっそく明日から働いてもらおうかね』

 ずんぐりむっくりおばちゃんは、にっこり。そうして俺を連れていったのだった。
 おばちゃんの職場、銀枝騎士団営舎の食堂に。




『とりあえず食堂の給仕係ってことで、入れといたから。よろしくたのむよ』

 職場の第一印象は、「どでかい宮殿にきちまった」だった。
 これは俺が全くの田舎者だったせいだ。
 騎士団営舎は、幅は家一軒分そこそこ、長さは家五軒分ぐらい。実にこぢんまりとした、箱型の建物にすぎない。お茶をいれに王都にいったとき、俺はその規模のささやかさを思い知ることになったんだが、それまでは、「まごうことなく大宮殿だ!」と思っていた。
 おばちゃんに案内され入った食堂の広さに、俺は唖然呆然。
 たっぷり一刻は、目を丸くして職場を見てまわってた。
 高い天井。たくさんの卓と椅子。でかくて長いカウンター。
 奥の厨房には、いったい鍋がいくつ並んでるんだ……
 いったいおたまがいくつさがってるんだ……
 なんだよあの籠、野菜たっぷり山づみじゃん。あんなに大量の食料、みたことない……

『百人収容できる食堂だよ』

 おばちゃんにいわれて、俺、目を白黒。
 故郷の村人全員が、ここでいっせいに食事できるとか、なにそれ! めっちゃすげえって驚いた。
 食堂・厨房・食料庫・貯蔵庫を見学し、給仕の仕方を教えられ、厨房で野菜洗い……と、第一日目から仕事がもりだくさん。昼のまかないでチーズ粥をだされて有頂天になったのもつかのま、午後はひたすら包丁の特訓をされた。
 下ごしらえを手伝ってもらうといわれたけれど、そこで気がつくべきだった。
 俺が包丁を持たされた意味に――。
 おばちゃんは厨房内をめまぐるしく動いて、いくつもの鍋とフライパンに、いくつもの料理を作っていった。すさまじい勢いで、大量にだ。両手で囲えないような、どでかいフライパンで焼かれるたまごスフレをみて、俺は怯んだ。
 騎士様って、いったいどんだけいるんだと。緊張がぞわっとわいてきた。

『ほら、リズムよく! 左手は握って! 指を切るよ!』

 おばちゃんは、魔法のように料理を仕上げていくかたわらで、まな板の上のにんじんと格闘する俺を叱咤。叱咤。叱咤。

『よしよし、なれてきたね』

 三時休憩のころには、厨房にはごちそうがずらり。置ききれなくて、裏の食料庫にもどどんと置かれた。
 これが、今日の夕飯一回分なのか、俺がこれを次々運ばにゃならんのかと、戦々恐々としていたら。

『とりあえず、一週間分は作ったからね』
『へっ?!』 
『じゃあ、あとはたのんだよ』 
『はい?!』

 ア ト ハ タ ノ ン ダ ヨ ?!

――『食堂のおばちゃん!』

 何が起こったか理解できない俺の背後。食堂から、快活な若い男の声が炸裂した。

『お迎えにあがりました!』
『ああ、まってたよ』

 おばちゃん?! な、なんで顔赤くしてんの? なんでリュック背負ってんの? 
 なにこの、若い男。いかにも街の商人っていでたちだけど、いったいだれ?!

『ってことで、しっかりおやり』
『は? はあああああ?!』
『ああ、もし困ったら、そこの樽に話しかけるといい』

 おばちゃんは武士の情けで、俺に救いの一手を授けていった。
 開けるな危険、という樽を指し示したのだ。

『はあ?! なんで樽?! 樽にぐちれ?! ちょ! なんで?! なんで!?』

 おばちゃんは、樽じゃなくて樽の上にある折れた剣のことを、教えてくれたんだろう。
 今となっては、それだけはよくわかる。あの剣はなんだかんだいって、俺の料理の腕を格段にあげてくれた気がする。まあ、聞いただけでほいほいできる俺にも、ある程度の才能があったんだろうけど、ずいぶん助かった。
 けれど。その他のことは、今もさっぱり、わからない。
 俺に突然、すべてを丸投げしていったおばちゃんが。なぜに……。

「こら! にんじんの太さが均一じゃないよ!」

 なぜに……。

「ひいーっ」
「泣くんじゃないよ、前菜係!」
「こ、これは玉ねぎのせいでありますうー!」
「いいわけしてる間に切る!」
「はいいい!」

 なぜに……

「なんだい、パン係?」
「い、いえ!」
「種がそろそろふくらんだころだ、窯に入れな! 新しい窯の調子をよくみるんだよ!」
「はいっ!」

 なぜに今、エティア王宮の厨房の料理長なんて、やってるのか。
 まったくもって、わけがわからない……。



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2017/03/04 11:44
悲しい生い立ちから始まるのに最後に吹き出してしまいました。
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2017/03/01 05:30
初日からおばちゃんは何をやっていたのですかね。
アバター
2017/03/01 00:06
初日に消えてたんですね^^




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