自作10月 笛 『草笛』 前編
- カテゴリ:自作小説
- 2016/10/31 21:15:18
ぴーっ。
ぴーっ。
銀髪の小さな子が、しきりに草笛を吹いている。
風吹きぬける谷の上。天突く塔が建つふもとの、緑の草地にぽてんと座って。
ぴーっ。
ぴぴーっ。
ほっぺたをふくらませ、顔を真っ赤にして吹いている。
ぴーっ。
ぴぷっ。
息を入れすぎてつまってしまった、その音に。
「ははっ」
隣でくつろいで座っている金髪の男が、反応して笑った。
「あーっ、わらうのなしっ。なしだよぉー」
紫の瞳輝く顔を向け、銀髪の子がぷううとほっぺたを膨らませる。
「これ難しいんだからね。ほんとだからね」
「そうかな。貸してごらん」
絹のシャツを着た青年は、銀髪の子の手から草笛をとって吹いた。
ぴるるるるるる・ぴぃーー
夜鳴きうぐいすかカナリアか。
華麗な歌い鳥のごとき音色に、銀髪の子は大きな紫の目をさらに丸くした。
薔薇色の頬。あどけなく開かれた、ほんのり桃色の唇。長じればきっと絶世の美女となるであろうその顔は、なんともいえずかわいらしい。
「すごい。すごぉおおい!」
手を打ち叩いて無邪気に喜ぶその美童を、男はうっとり眺めた。
「得意なことは、実はこれだけだ。笛吹き男さ。他は何もできなくてね」
「そうなの? でもすごぉい! もういっかい吹いて。ねえ吹いて。ヴィオにきかせてぇ」
くったくなく膝にすがられねだられるまま、男は草笛を口に当てた。
ぴるるるるるる……
空にかよわくも繊細な音が舞い上がる。
あたかも、魔法使いの歌声のように。
「メニスの子など拾ってきて、どうなることかと思ったが」
かつりと杖を大理石の床に打ちつけ、黒マントの老人が窓枠からわずかに身を出す。
眼下に在る草地の光景を目に入れた老人は、満足げにすうと目を細めた。
「思いのほか、よい結果になっておるな」
「そう……でございましょうか」
老人の背後にかしづく女は、ぎり、と唇を噛んだ。
「メニスの魔性にとらわれているとしか、みえませぬ。あの甘い芳香に」
「それでよいのだ」
あでやかな薄裳をまとう女を振り返り、黒マントの老人は満足げにうなずく。
「いや、あれこそ理想であろう。王弟殿下はことのほか『お悦び』のようだからな」
――「さよう」
同意の言葉を放ちながら、部屋に大神官が入ってくる。
「殿下を夢中にさせるものがあればよいのだ。他のものが目に入らぬぐらいにな」
(それは私の役目だったのに!)
月栄は臍を噛む思いで部屋を辞した。
谷間の中州に倒れていたのは、メニスの子供。さほどな傷は負っておらず、手足を少々すりむいた程度。なぜに倒れていたかときけば、あのかわいらしい声でのほほんと答えたものだ。
『なんかね、穴の中をね、すすんでたらね、おなかすいちゃってぇ。それでねむくなっちゃったのぉ』
メニスの子供はあの谷間の近くに住んでいたらしい。
子供をかいがいしく介抱しながら、王弟殿下がくわしく聞いてみれば。
『はっぴーもふもふランドって知ってる?』
子供は目をきらきら輝かせ、甘い芳香をあたりにぷんぷん放ちながらのたまわった。
『ウサギさんがいーっぱいの国! あのね、ヴィオね、そこで園長さんしてたんだけどね、おともだちのぴぴちゃんがね、すーぱーはっぴーもふもふランドっていうのを作ったから、そっちの園長さんになったの!』
すると話を一緒に聞いていた大神官が、ハッと驚きの色を顔に浮かべて。
なんとも仰々しく子供の前にかしづいたのだ。
『なんとあなたさまは、白の盟主の御子。フラヴィオス様であられましたか』
白の盟主。
その名は、女も聞いた事がある。
永きに渡り大陸同盟を支配したメニスの王であり、密かに人間を滅ぼそうとした悪魔であると。
世はこの悪魔によって文明を奪われ、滅びの道を歩まされていたが、ひと昔まえに英雄たちによって倒され封印された――という話が、まことしやかに大陸全土でうわさとなっている。
『白の盟主というものには、子がいたのか?』
『はい、王弟殿下』
『そうか知らなかった。兄上は私には全然なにも、教えてくださらぬから。政治のことも、民のことも』
『病のご養生にご専念あそばされますようにとの、思いやりからでございましょう。なれど殿下、お耳に入れていただきたいことが』
大神官はそのとき、心優しい王弟殿下に耳打ちした。
月栄にもその言葉がかすかにききとれたが、その内容は実に不穏なものだった。
『このフラヴィオスは白の盟主が人間との間にもうけました子。すなわちまこと人間を滅ぼすための魔王として生み出されましたので、実に恐ろしい力をもっております。ゆえにジャルデ陛下が、人知れずいずこへか幽閉したと聞いております……』
『なんだって? 魔王? こんなかわいい子が?』
『はい。陛下がお抱え技師に、この子供が好きなウサギがいっぱいの檻を作らせまして、そこへ入れたと聞いております』
『そんな……』
ころころと無邪気に笑う、いとけない子供。
その姿を見つめた殿下はうろたえて、にこやかなメニスの子に直接聞いた。
どうしてあの中州にいたのかを。
『えっとねえ、ほら、ウサギさんってねえ、穴をほっておうちつくるでしょ? だからヴィオはねえ、そこにもぐって遊んでたの。そしたらね、お外に出たんだよぉ』
『や、やはりとじこめられていたのか?』
『んー? よくわかんないけど、上には、出口ないかなぁ。ねえ、それよりさぁ、おなかすいたのぉ。なにか、たべたーい』
『なんと……かわいそうなことを……』
あどけなく、甘い香りを放つかわいい子供。
一瞬とてその子から視線を外すことなく、殿下は茫然とつぶやいた。
『信じられぬ。この子が魔王? まさか何かのまちがいでは? 危険なそぶりなどまったくないではないか。兄上はなぜに、この子を幽閉するのだ?』
『メニスだからでございましょうか。とかく他種族をきらう人間というものは、この世に少なくありません。それに……』
ささやく大神官はそこで語気を強め、殿下に吹き込んだのだった。
心優しいこの殿下が見せた、わずかな疑いの気持ちを増長させようと。
『いまのいままで言上するのをためらっておりましたが、もう黙ってはおけませぬ。おそれながら殿下の兄君、ジャルデ陛下は実は大変、冷酷な御方にございます。陛下はお気に入らぬものはなんでも遠ざけ、どこかに閉じ込めてしまわれるのです……』
『そ、それはどういう意味だ? モレー』
『ああ、実においたわしゅうございます、殿下』
『ま、まさか……まさか私も……兄上に遠ざけられている……のか? 何も教えられぬのはそのせいだと?』
大神官はここぞとばかりにうなずいた。
『さようでございます、殿下』
殿下、ご用心ご用心
この先どうなるのですかね。