7月自作/砥石 『開けるな危険』 (中編)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/07/28 20:33:53
翌日。天の機嫌は悪くなり、夕刻まで豪雨が降り続いた。
街道をわざと避けて行軍していた軍は、たちまち速度を奪われた。草地は豪雨でぬかるみ、
泥炭層の土は荷車の足を呑みこんだゆえに。
軍隊は日没までには丈高く防壁を築いた砦に入れるはずだったが、道程の半分ほどしか
進めなかった。
司令官は仕方なく、騎士団を含む騎馬部隊を駐屯地に先行させ、歩兵たちを
森の中にある平地に泊めた。
料理番たちは、雨水に当たらぬようにと苦労してかまどを作った。馬持ちの貴族士官も団長も
いなくなって、料理番の青年は内心今日は楽だと思ったが。
『騎馬隊を本隊から切り離すなんて、アホもいいところですね』
樽の上の剣がたちまちぶうぶう言い出したので、閉口した。
「砦に一刻も早く援軍を届けたかったんだろ。最前線で一番狙われてて危ない拠点なんだから」
『しかしこれでは、我が軍は丸腰になったも同然。奇襲されたらお陀仏ですよ』
「縁起でもないこと言うなよ。敵はたぶん一直線に砦に向かってるさ。たった歩兵二千ぐらいの
軍になんか、目もくれないんじゃないの?」
『ええ、たった二千ぽっちですよね』
「雨はざんざん降りだし、きっと見過ごしてくれるよ」
しかしその夜、雨は止み。草木も眠る丑三つ時に、湿った天幕の中で休む軍は敵の奇襲を受けた。
敵の斥候に軍の動きを把握されていたのだろう。青年の予想に反して、敵の司令官はこれから
攻める砦に集まる兵士の数を、少しでも削ごうと思ったらしい。
敵の半数以上は騎馬兵。長い薙刀で天幕ごとなぎ払ってきたので、二千ぽっちの歩兵は
慌てふためいた。
馬持ちである士官級の兵は、ほんの数人しか残っていない。司令の伝達すらおぼつかない
歩兵たちは、騎馬の攻撃に浮き足立ち、倒れちぎれる天幕の間を右往左往した。野営地の外れで
ひとかたまりになり、なんとか陣形を作るや。ひゅんひゅんとするどい弾道音が響き渡った。
「弓兵か!?」
反撃する間もなく、兵の後列がバタバタと倒れる。森の中に潜んでいた弩兵が狙撃してきたのだ。
料理番の青年は途方に暮れた。自分の周りにひしめいているのは糧食樽を積んだ荷車。今は
上手いこと、矢盾になってくれている。だが味方がやられてしまえば、この荷車は――
「この糧食、奪いにくるよな?」
樽の上の剣が呆れ声で答えた。
『奪わないでどうするんですか。ていうか、なんであなた戦ってないんですか。戦いなさいよ』
「いやだって俺、おばちゃん代理でバイトで非戦闘員だし。でもこれ、やばいよね?」
『荷車接収される時に、あっけなく殺されちゃいますね』
「それはいやだ。じゃあ、逃げる」
『ちょっと!』
おまえは英雄になりたくないのか、負け戦なれど華々しく戦って散る男気はないのか、
臆病者すぎる、撃たれてなお四時間がんばったネルソン提督を見習え、最低でもデーン人と戦って
王に返り咲いたアルフレッド大王を見習えなどとわけのわからぬことをたらたら言われたが、
青年は包丁と砥ぎ石三点セットと当座の糧食の包みを入れたリュックを背負った。
しかし逃げ道はすでに断たれていた。野営地はすでに、四面楚歌。
応戦しようとした味方の兵たちは、じわじわ殲滅されて阿鼻叫喚。
「もしかしてこれ、万事休す?」
『だから私を砥いでおけといったでしょう』
「はあ? 土台折れてるだろ。使えないだろ」
『使えますよ。英国紳士は刃がなくとも戦えるのです』
どこが? もといエーコク紳士って? と青年が返そうとした瞬間、ぶんとうなりを上げて
戦斧が飛んできた。
「ひ!」
身をかがめる青年。間一髪のところでかわせたが、荷車の向こうから、あれよあれよと
斧がぶんぶんひっきりなしに飛んできた。騎馬兵が投げ込んでいるらしい。
「死ぬこれ! 死ぬ!」
一瞬も頭を上げていられない状況に蒼ざめる青年の眼の前で。
鈍い音をたてて、斧が荷車の樽に突き刺さる。幾本も。幾本も。空気を裂いて突き刺さる。
「あ」『あ』
「開けるな危険」の樽に斧が深々と突き刺さった時。
青年と剣は同時に声をあげた。びき、と音を立てて樽に亀裂が走る――。
『あああああああああああああああ!!』
とたんに、樽からぶしゅううううううと煙が噴き出し。
「あああああああああああああああ?!」
周囲におそろしい臭気が立ちのぼった。
「なんだこれは!」「くさい!」
荷車に押し寄せてきた敵兵たちがおののくほどに、その臭気は凄まじく臭かった。
なんと表現したらよいのだろうかと、料理人の青年は鼻と口を覆いながら考えた。
これは……酸味がありそうで。目にしみるような気もする。生ゴミを干して堆肥にするときの
匂いもなんだか混じっているようであるし、腐った卵のような悪臭も……
「なんだよこれ! 催涙ガス? なんでこんなひどい兵器がうちの営舎の食料倉庫にあるんだよ!」
『あー、いいえ。ただの魚の塩漬けですけどー?』
「うそだろ! 毒ガスだろこれ!」
『いやほんとに、魚の塩漬けなんですけどねえ。三十年ぐらい放置されてましたかね。あ。破裂しまーす』
「え?」
バン! とおそろしい爆発音を立て。剣が乗っている樽が木っ端微塵に砕けた。剣は一瞬空高く舞い上がり、
うまいこと中身の飛沫を避けて荷車の向こうに落ちていった。
とたん、この世の物とは思えぬ臭気とドロドロの汁気が、眼の前に這いつくばる青年にふりかかった。
青年だけでなく、周囲にも一斉に悲鳴が起こる。敵兵たちが催涙爆弾だと騒ぎ立て、すさまじい
勢いで荷車から退避を始めた。
『ああんもう。吹き飛ばされちゃいました。でも私怒りません。英国紳士は、とても寛大なのです』
「くさ! くさすぎ! 毒だろこれ! 毒!」
『あら、全身まみれちゃいました? でもそれ、ほんとにただの魚の塩漬けですってば。
前の前の前の料理長が北方生まれでしてね。嬉々として仕込んだんですよね。故郷の味だとか
何とか言って。臭みはクサヤやキビヤックの八倍、ホンオフェの一、五倍ありますね』
「なにそれ!」
『料理人のくせに知らないんですか? どれも有名な、くっさーい発酵食品ですよ。地球産の』
「チキュウのなんて知らねえよ! そ、それ全部よりすごいのかよ?! とにかく鼻曲がる!
吐きそう!」
『近くに川があったと思いますが。ちっとやそっとじゃとれませんよ、その匂い』
「どうすりゃいいの!」
『その匂いを消す方法を知ってますけど、ただで教えるわけにはいきませんねえ』
剣はしごく明るい声でうそぶいた。もしこれが人間であったなら、口元をにっこりと引き上げ、
目も山型に細くするとてもわざとらしい表情を見せているに違いないと思われる声音であった。
『青年よ。私も一緒に連れて行きなさい。そうしたら、消臭法を教えてあげましょう。
英国紳士は、とても博識なのです』

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- かいじん
- 2015/07/29 20:49
- 気になる部分がたくさんありますね^^
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- 優(まさる)
- 2015/07/28 22:53
- 剣は何をして繰れるのですかね。
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