7月自作/砥石 『開けるな危険』 (前編)
- カテゴリ:自作小説
- 2015/07/28 20:03:33
シュッ シュッ シュッ シュッ
砥ぐ。砥ぐ。黒はがね。
シュッ シュッ シュッ シュッ
砥ぐ。砥ぐ。銀の床。
「なんか、刃がつかないなぁ」
出刃包丁をしげしげ眺め、青年は首を傾げる。白いエプロン、白い帽子。赤いネッカチーフ姿で、
途方にくれたように空を仰ぐ。
夕闇迫る天は銅(あかがね)色。
緑繁る平地に、白い天幕がずらりと並ぶ。王国陸軍歩兵隊は朝から夕刻までひたすら行軍して、
今宵はここに停まるのだ。青年は料理番なので、これからが忙しくなる。とはいえ幸い、独りではない。
しかも一番の下っ端ではない。数人の部下たちがあくせく動いてくれる。
「食堂のおばちゃん代理、かまどできました」
「食堂のおばちゃん代理、鍋に水入れました」
「食堂のおばちゃん代理、肉どこですか?」
塩漬け肉の樽を積んだ荷車はたしか――
青年はふりむいて後ろを指さしてやり、再び砥石に向かった。
「しっかしなんか調子悪い。金棒を二本も出して買った逸品……のはずなのに」
使っているのは天然砥石。カンブリア紀の微生物が石化したもので、東方の小国タタラクでしか
採れない一級品だ。得意先の出入り商人に「三点セットです」などとうそぶかれ、荒砥、中砥、
仕上げ砥の三種の石をなけなしの俸給をはたいて買った。だのに、使用感がなんだか微妙である。
「しっくりこない」
『研ぎ方悪いんじゃないですかぁ?』
すぐそばの大樽から、のほほんとした声が聞こえてきた。青年はキッと樽の上を睨んだ。
『石の相性ってありますしねえ』
あたかも鼻をほじりながら小馬鹿にするような言い様だが、そこに人の姿はない。
『豚に真珠とかってよく言いますし?』
「うるさい黙れよ」
白エプロンの青年はむっとして樽の上を睨む。折れた広刃の剣がひとふり、大樽の上に
くくりつけてある。鞘のつもりかぼろぼろの毛皮にくるまれているそれこそが、先ほどからの
声の主であった。
『栄光ある銀枝騎士団営舎食堂衛生管理責任者の肩書きが、泣いちゃいますよ。包丁一本
ろくに砥げないなんて』
「だからその肩書きは俺のじゃないってば。うちの食堂のおばちゃんのなんだってば。おばちゃんが
軍に帯同ヤダって色ボケ爺さんと夜逃げしたから、仕方なくバイトの俺が代理でメシ
作ってんだよ」
『そんな喋れもしない包丁より、私を砥ぎなさい。ほかの兵士はみなちゃんと、自分の剣を
手入れしてますよ?』
たしかに。天幕の前にたむろう歩兵たちが、そこここでシュッ、シュッ、と音をたてて
剣を研いでいる。
昨日敵と小競り合いをしたから、切れ味が悪くなっている剣が多いのだろう。
鉄剣が標準装備のこの軍において、砥石は必須携帯品である。ちゃんと兵士手帳の
「じゅんびするもの」という項目に明記されている。
砥ぎ石三枚:剣は支給されます。毎日きれいに砥ぎましょう。
兵籍板:各地域の役所で配布されます。忘れず首にかけておきましょう。
懐紙:剣が血糊でよごれたらこれで拭きましょう。
火口(ほくち)箱:近所の雑貨屋で買いもとめて下さい。
おやつ:一週間三百スーまで……
「三百スーって安すぎ。もとい、そりゃあんたの言う通りだけど。でも違うだろ。おまえ、いつ俺の剣になったんだよ」
『えっ? 私はあなたが主人だと思ってますけど? ほらほら早く、私を砥いで下さいよ』
樽の上の剣が催促する。青年は肩をすくめてさらりと受け流す。
「いや、無駄っしょ。おまえぼっきり折れてるじゃん」
剣からぶうぶう文句が返ってきた。
英雄になりたくないのかとか、臆病者とか、料理人でも騎士団に籍があるんだからおまえは
騎士なんだとかさんざん言われたが、青年はどこ吹く風で包丁を研ぎ続けた。
騎士団営舎の食堂に就職した時、この剣は漬物石として厨房の片隅の樽の上に鎖で
くくりつけられていた。樽の中身は三十年以上は経っていると思われる漬け物らしく、
「開けるな危険」と書かれていた。
今回の遠征において、営舎の料理人たちは、食糧倉庫からありったけの糧食を携えて来た
のだが、だれかが間違って「開けるな危険」も持ってきてしまったのだ。蓋の上に鎮座する、
うるさい漬物石と一緒に。
廃棄したいのはやまやまなれど、他の糧食樽と一緒に仕方なく運んでいるそのわけは。
もし食糧難などの事態に陥ったら、こんなものでも役立つかも、という貧乏性な考えゆえだった。
シュッ シュッ シュッ シュッ
砥ぐ。砥ぐ。黒はがね。
シュッ シュッ シュッ シュッ
砥ぐ。砥ぐ。銀の床。
『雨降りそうですね~』
「はいはい」
『風向き南東、湿度七十パーセント気圧変動あり。明日あたりざんざん降りですね、これ』
「はいはい」
青年は肩を竦めて包丁を砥ぎ続けた。この剣にはなぜか痛く気に入られている。事あるごとに
喋りかけられる。剣の声を聞ける者はめったにいないらしい。波長が合うのだといわれて、
非常になれなれしくされている。
自分は一万一千九百歳だとか、地球という別の天体からやって来たとか、わけのわからない
ことをほざく。刀身だけでなく、柄の宝石に宿っている人工精霊も完全に壊れているのだろう。
なんとか切れ味が戻った包丁で、青年は部下が樽から出してきた肉を切り始めた。
行軍中に弓兵がしとめてくれたホロホロ鳥の肉だ。沼地で大群にでくわしたのはとても幸運であった。
鳥の皮がすうと切れたので、我ながら満足する。いつもなら適当に丸焼きにすればよいのだが、
今宵は、「都から派遣された貴族士官と会食するから」と、騎士団長に特別注文を
出されている。
『業務命令だ、おばちゃん代理。焦げた丸焼きは出すな。絶対出すな。よいな?』
『でも俺は、ただのバイトで』
『黙れ。いいな、ゆめゆめ我が銀枝騎士団の顔を潰すでないぞ』
こわい騎士団長に命令されては、無い腕をなんとか揮うしかない。
『ホロホロ鳥の香草焼き、いいですよねえ』
『開けるな危険』の樽の上の剣が、明るい調子で口を出してくる。
『中にジャガイモと香草を混ぜたのを詰め物すると豪華になりますよ』
「もうこまぎれに切っちゃった」
『チッ』
「なんだよ舌打ちするなよ!」
『よく切れるからって、調子に乗って切りまくってどうするんですか』
「う」
『仕方ないですね、ではから揚げにしなさい』
「油で揚げるのか?」
『衣に木の実を砕いた粉を使いなさい。香りよし、歯ざわりよし。つけ合わせは人参のワインソテーに……』
「ま、まって! 一度に覚えられない。から揚げ出来てから言って!」
『馬鹿ですかおまえは。肉の下味をつけてる間につけ合わせを作っておくのですよ』
青年はなんとか、貴族士官のための食事を整えることができた。
不本意だが、うるさい剣のおかげで。
舌の肥えた貴族士官は、田舎料理だと文句をつける気満々だったらしいが、目を丸くして
美味だ美味だと連呼した。
「おばちゃん代理、よくやった! おかげでわしは王都に招待されたぞ。本当にでかした!」
青年は騎士団長にことのほか褒められ、抱きしめられ、ぐりぐり頭をげんこつで撫でられた。
そういえば。万年辺境の騎士団営舎住まいの団長は、常日頃から王都に行きたがっていたっけ。
喜びあふれる団長の顔を見て、青年もなんだか嬉しくなった。
バイトで食堂のおばちゃんの代理だけれど。
この仕事、まんざらじゃないかも――。
兵隊はおやつが少ないから大変ですね^^
失敗すれば文句言われますし、たまったものでは有りませんね。