誹謗中傷を】エゴイスト【楽しむ人たち
- カテゴリ:恋愛
- 2015/06/16 15:37:42
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エゴイストは、他人のことはおかまいなしに自分自身のことしか考えないし、だから常に自分の存在を脅かされてはならないと、自分を守ろうとして身構える。
元来、人間は愛の主体であり、他との関係なしには自分の存在はありえない。
しかし、エゴイストは、他人を思いのままに支配しようとして権力を求めると同時に、常に他人が自分をどう評価するかを気にし、いつも誰からかほめられていないと気が落ち着かないようになる。
また、自分の実力とは無関係に、実力以上に人に見せかけようとする自己顕示欲が強く、故意に自分を立派に見せようとして自分に都合の悪いところは無視し、他から指摘されても一切それを認めようとはしない。
そして人の立場などは一切考えずに、自分に都合のよいように人を動かそうとする。
他の人に対しては、その人の欠点だけを探してそれをクローズアップし、長所は決して認めようとしない。
それだけでなく、自分自身を誇張し想像して、他の人がどんなにすばらしくてもその人を悪い人、欠点の多い人であるかのように勝手に想像する。
そしてその想像をつづけているうちに、本当にそうだと信じ込み、その人を心の中で軽蔑することによって誤った優越感を楽しむようになる。
慈悲・愛を口にしながら非常識な言動をし、人を中傷して陥れようとする人達は、ヌミノーゼ心理にプラスするエゴイズムの人達で、そういう人達の集ま りでは、人の悪口をいい合い、人を中傷して楽しむということになり、お互いに長所を認めて褒め合い、愛し合うということは一切なくなる。
エゴイストは、他人の中傷を、事実を確かめることもせず、簡単に信じ込む。
その人がエゴイストであるかどうかは、その人が他人の中傷を喜んで聞くか、人の欠点のみを情報として集めていないかをみればわかる。
また、他人が自分をどう見ているかを常に気にしているから、
人目を引くような服装をし、
自分に追従する人のみを喜び、
少しでも意見をいう者は遠ざけるようになり、
人を人として思わない傲慢な態度をとるようになる。
真の自己の確立は、どこの集団に所属していなくても得られるものであるが、多くの人の場合、現実には、必ずなんらかの集団に所属していて、その中で安心感を得ようとしている。
この心理は、宗教団体においては、他の宗教団体を無視するか、低く見るか、敵対視するかという心理状態を生み出し、ヌミノーゼ心理とダブって「宗教我」を生み出す。
この宗教我が強くなると、他の宗教団体の信者や会員と親しく話し合うということは全くなくなり、相手を蔑視することによって、自分の宗教が立派であると考えるようになる。
人間は宗教に限らず、有力な集団に帰属していることは、それだけその人の社会的信用を高めることになる。
たとえば、トヨタとかソニーとかナショナルの社員であるというと、中小企業の社員であるというよりは立派であると見るのが、日本の社会の風潮というか現実でもあろう。
しかし、このような見方をするのは日本だけで、外国では必ずしもこのような見方はしない。
どちらを選ぶかというのでも、たとえば宗教の場合でも、どちらが信者や会員が多いか、どちらが神殿が大きいか、どちらが立教が早いか、ということで選んで、どのような教義内容であるかということはあまり問題にしない傾向があります。
エゴイストとヌミノーゼ心理は、自分が信仰している宗教団体の長所とか美点を不当に拡大し、ありもしないことまでデッチ上げて信じ込み、また信じ込ませようとして、他の宗教団体のことは、その欠点をないものまでつくり上げ、数え立てて悪くいう。
これらの考え方は全く正しい法則に反することであって釈尊が説かれた「正見」(正しく見る)に反するものである。