Nicotto Town



アスパシオンの弟子30 黒い右手(後編)

 それから僕は、本当にしばらくの間、放っておかれました。

 ごんごんうなる飛空船の船室の中で。

 びいびい泣く我が師の前で。

 ずっと、放置されていました。

『そこに這いつくばって、師を眺めていろ』

 そう主人の命令を受けた僕の体は、動かしたくとも全く微動だにしませんでした。

 僕のために泣いてくれたフィリアは、無理やり灰色の導師に引っ張られ、別の船室に

連れて行かれてしまいました。

 我が師を縛る光の戒めの魔力は、僕ではなく常若玉(オチダマ)から出ているもののようです。

戒めを解こうと我が師ががむしゃらに暴れていますが、まったく歯が立ちません。

「むがー! もがー! ふぐー!」

 蒼い瞳から大粒の涙をボロボロ落としながら、我が師はずっともがいていました。

 これは僕が望んだこと。だから泣かないで下さい。暴れないで下さい。

 僕は何度もがぼがぼ黒い水を吐きながら頼んだのですが。

 それは全くの逆効果で、我が師の涙は止まるどころかとめどなく流れるばかり。

 とても見ていられなくて、僕はずっと船窓に視線を向けていました。

 円い船窓から垣間見える空は、吹雪いていてまっ白。

 日が暮れたのか、その色がどんどん暗くなってきました。

 ふと、甘い香りが漂ってきました。 こ、これは……

「ごめんね、ぺぺ。遅くなって」

 鳶色の髪の少女が、足音を忍ばせて船室に入ってきました。

 ああ、メニスの甘露の香り。 

 まさかこの香りだけは、感じられるのでしょうか? 

 甘い香りが我が身に染み入るようにまとわりついてきました。

「お茶に薬を入れたら、お母様、やっと眠ってくれたわ。今のうちに……」

 え? 片手に持っているのは、ナイフ?

 ま、待って! 何をす――!

 叫ぶ間もなく、フィリアは自分の腕にナイフを斬りつけました。

 みるまに真っ白い血がぽたぽた流れて、僕の体に落ちてきました。

 真っ白い、真珠のような甘露が――。




 

 以前、バーリアルがうそぶいていたこと。

『メニスの血で死んだ体がよみがえる』

 あれは、本当のことかもしれません。

「これでだいぶ体がよくなるはずよ」

 驚いたことにフィリアの甘露がかけられたとたん、僕の体から流れていた黒い液体がぴたりと止まり。

みるまに呼吸が楽になり。ガフッと深い息が口から漏れて、胸の中に空気が入り込んできました。

 それからフィリアは僕の肩に腕をまわして支え起こし、ずるずる船室の外へ引っ張っていきました。

「ごめんね。私には、純血種の《魔人の子》を自由にしてやることはできないわ。でもどこか

安全な場所に運ぶことはできる」

――「むがー! もがー!」

 船室から我が師が呻いています。俺を置いていくな、と言っているのでしょう。

「ペペ、お母様は……メニスの純血種は、とても残酷なの。怒っている時は、本当に恐ろしい

ことを平気でやってのけるわ。今だってあなたを溶岩の池の中に投げ込んでやるって言って、

ほんとに火山に向かってる」

 フィリアは僕を運びながら湿った鼻をすすりあげました。

「それでもあなたは死ねない。黒焦げになっても……その体が粉々になっても……時間がたてば、

少しずつ元に戻るのよ。苦しみながら」

――「むがああああ!」

 我が師がいっそう大きく唸るのが聞こえてきます。

「そう……お母様は、何度もあなたを殺すつもりよ。あなたのお師匠さまの目の前で。何度も。何度も」

 フィリアは結晶が突き出した凸凹の坂をくだり、飛行船の船倉へ入りました。

 まるっきり洞窟のそこには、少女が乗ってきた大きな鉄の鳥がありました。

 でもフィリアはこの鳥から窓に飛び移ってきたはず。一体誰がここに置いたのでしょう?

「もう、俺様死にそう。勘弁して」

 あ。兄弟子さま!

 鉄の鳥の背に、ひげぼうぼうの兄弟子さまがぐったり寄りかかっています。

「フィリアちゃん、人使い荒すぎ。アミーケにぶっとばされて監禁されてた俺様を助けてくれる

のはいいんだけどさ。満身創痍の人をアゴでこきつかうって、どういうことなの」

「操縦ありがとう。兄弟子さん、今度は鳥になって、ここから逃げてね」

「ちょ、逃げてね♪ って。乗っけてくんねえの?」

「鉄の鳥の定員は、二人までなの」

――「むがああああああああああ!」

 上の層から我が師のうなり声がびりびり響いてきました。岩を突き抜けてくるほどの、ものすごい低音です。

 フィリアは申し訳なさそうにちらと上を向き、それから僕を鉄の鳥の背中に乗せました。

「兄弟子さんは、ペペのお師匠さまを乗せて飛んで。私が今、あの人を運んでくるから――」  

「うええええ、めんどくせえええ!」

 そのとき。みしみしという恐ろしい音がして、結晶がびっしり生える船倉の天井に一面ひびが……。

「うあああああああああ!」

 めきめきと深く長く走ったひびのむこうから、虹色の光が射しこんできて。

「ああああああああああ!」

 恐ろしい呻き声と共に、砕けた天井の岩と結晶がバラバラ落ちてきました。

「いけない! 鳥がつぶれるわ!」

 フィリアがあわてて鉄の鳥に飛び乗り、何かひとこと韻律を叫ぶと、落ちる岩の雨をかいくぐるように鉄の鳥が動き出しました。

『開け岩の門!』

 続け様に放たれた韻律の命令で、船倉の一方の壁がずごごごと大きく開きました。

 舌打ちしながら兄弟子さまがたちまち瑠璃色の大鳥に変じ、天井から岩と一緒に落ちてきた

虹色の塊を背中に受け止めるのが見えました。

 あの塊は――我が師です。光の戒めに縛られたままですが、虹色の光がまるで炎のように燃え立っています。

「うああああああああ!」

「だまれハヤト! うるせえ! やけどすっから、その人体発火やめろ!」

「兄弟子さん! 私の後について来て!」

 大きな鉄の鳥は雪が吹きすさぶ暗い空に飛び出しました。

 めんどくせえええ! と叫びながら、虹色の塊を乗せた大鳥が後に続いてきます。

「あ……」

 鳥の背にうつぶせに乗せられた僕の眼に、だらりとさがる黒ずんだ腕が映りました。

 さきっぽのない腕……。

「僕の……右手……」

 たしか、ころがったままでした。船室に。

 鉄の鳥の背に乗せられた僕は視線を動かして、ぼうっと宵の空に浮かぶ巨大な鳥の形をした

飛行船を眺めました。ぴくりとも動けぬまま。

 すると飛行船の船首付近がぱあっと一瞬明るく光り、それから猛烈な勢いで僕らを

追いかけてきました。

「あなたのお師匠様のおかげで、お母様が目を覚ましたようね。でも速度はこちらの方が上よ。

私こっそり改造してるから」

 フィリアが韻律を唱えると。鉄の鳥はぎゅん、と旋回しながら天へ舞い上がり、ものすごい

速さでぶ厚い雪雲を突き抜けました。

 星。星。星。

 星の海――。

 雲海の上の満天の星空がうわっと迫り、僕らに覆いかぶさるように迎えてくれました。

 鉄の鳥は雲海の上でぎゅんぎゅん唸りをあげて滑りだしました。

「冬の落ち星だわ。今年は多い……」

 一面に広がる雲と漆黒の空のはざまに、光の筋がいくつも落ちていきました。

 音もなく、静かに。いくつも、いくつも。      

    


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2015/01/07 08:19
かいじんさま

読んでくださってありがとうございます。
安息の地みたいなところに行き着ければよいのですが……
しかしそこも一時の隠れ処にしかならないような気がー・ω・;
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2015/01/03 00:06
どこに向かって行くのでしょうか?
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2014/12/29 01:14
夏生さま

いえいえ、お忙しいのに、読んでくださった上にコメントまで、
本当にありがとうございます><
今回ちょっといれこんだ伏線を上手く回収できるかどうか、
重いテーマを描ききれるかどうかと戦々恐々でありますが、
がんばります!



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2014/12/27 13:53
今日は!!

読後感想が遅れて申し訳ありません。
実に計算しきった文章のテンポで、見事な序破急だと感心しております。
この数週の作品は重い内容ですので、流石だなぁ~と受け止めていますよ。

これからもSianさんの小説からは目が離せませんね。
次号を鶴首してお待ち申し上げます。
m(_ _)m
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2014/12/26 15:43
優(まさる)さま

読んでくださってありがとうございます><
不死になっても自由が無いのでは苦しいですよね><
しかしうまく自由を勝ち取れれば……
ペペの望みはなんなのでしょうね^^?
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2014/12/26 15:41
カラシニコフさま

読んでくださってありがとうございます><
>ルークの右手 ほんとあれどうなったんでしょうねー@@
(お父さんが拾って冷凍保存→ルーク・クローン増産に一票)

ジュブナイルストーリー的には「実は父さんだったー」な宿敵をばばーんと出さなきゃなのですが。
今章のラスボス?は「実は兄弟子のもとだんなだったー」ですね……(どうしてこうなった

右手伏線回収がんばります・ω・>
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2014/12/26 15:33
こんばんは^^

読んでくださってありがとうございます><
メニスの純血種はかなり残虐です><
バーリアルも真っ青の段違いハイレベル魔王と考えてまちがいないかと。

落ち星はふたご座流星群だと思います^^♪
音なき音。
感じてみたいです^^
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2014/12/21 19:55
これからペペさんは、不死に成ってどうするつもりなのでしょうかね・・・。
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2014/12/20 22:01
関係ない話だけれど・・・、ルーク・スカイウォーカーの切り落とされた右腕とビームサーベルはどうなったんでしょうね?
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2014/12/20 21:53
こんばんは♪

うーみゅ。なんたる地獄絵図^^;
娘に危害を加えた者への復讐としては
倍返しどころの騒ぎじゃありませんねぇ。
七たび生まれ変わっても、じゃなかった
七たび生き返らせて七たび苦しませる。永遠に・・・

囚われし魂の
抗う術なく
不死の罰

だが、うまいこと逃げ出した因縁ありまくりの4人。
もう目が離せません^^

冬の落ち星。
こちらの世界では、双子座流星群でしょうか。
人里離れたところで見たときは、満天の星空に
本当に音もなく、静かに、いくつもいくつも流れていました。
でも、すごーく明るいものは音なき音が響きます。
不思議な感覚でした^^




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