自作【誕生日には向日葵を】/(ひまわり)8月
- カテゴリ:自作小説
- 2014/08/25 15:22:49
大川大吾(おおかわだいご)は、シャッターを切った。その向こう側には無数の向日葵が咲き乱れている。
夏の終わりを告げるかのように、あたりにはツクツクボウシの鳴き声が響いている。蒸し暑く、じっとりと背中を一筋の汗が流れ落ちた。大吾はカメラを下ろし、空を見上げた。青色が一面に広がっている。いい天気だ。あの日も、こんな景色だった。大吾は小さくため息を吐いた。
カメラマンが飯を食っていくのはなかなか難しい。妻の美雪(みゆき)は、そんな大吾に嫌気が差していた。二人は些細な事で言い争となり、喧嘩を繰り返す日々だった。真剣に離婚を考えていた矢先、美雪は身ごもっていることに気が付いた。
生まれてきたのは女の子で、眼差しが美雪に良く似ていて口元が大吾にそっくりだった。『馨』と名付けたのは大吾だった。今まで生半可な仕事をしていたことを後悔した大吾は、命がけで仕事をし始めた。「子供のパワーはすごいよね」と、美雪は穏やかに過ごせるようになった。
やがて彼女は三歳になり、ちょっと遠出をして、その誕生日を祝うため家族は向日葵畑に出かけた。一面の向日葵畑を駆ける、馨。それを夫婦で見守る幸せを噛み締めた。
「パパ、写真撮って。」
馨に急かされ、大吾はシャッターを切る。向こう側で、娘は笑う。
思うように写真が売れず、大吾は酒に溺れていった。美雪は必死にそれを支えようとしたが、二人の仲を修復することはとても難しかった。毎年誕生日には向日葵畑に行く約束をしていたのに、一年、二年、と遠ざかって、約束は果たされなくなった。大吾は美雪に手を上げるようになり、やむなく離婚したのは、馨が十歳になる年だった。
大吾は手のひらで汗を拭った。努力が実ってそこそこに暮らしていけるようになったのは、離婚してから十年後だった。今ではそれなりに、仕事がある。けれど毎年、この日にはここを訪れる。もう、馨には会うことが出来ないが、彼女の成長を一年一年想像してみる。今はどんな風に暮らしているのだろう。もう一度、この手に抱きしめることができたらどれだけ幸せだろう……。
遠くから、三歳ぐらいの女の子が走ってきた。母親と一緒でとても楽しそうだ。
「ちょっと、写真撮らせてもらっていいかな。」
一瞬不思議そうにしていたがすぐに笑顔になり、無邪気にポーズを撮る。そしてすぐに、向こうへ走って行った。
大吾はカメラの紐を肩から掛け、歩き出した。
「あの……。」
声に振り向くと、女の子の母親だった。立ち止まって、こちらを見ている。
「なんでしょう。」
大吾の質問には答えず、何か言い出したそうな彼女の瞳は、とても見覚えがあった。
(ああ、そうか。今日は、誕生日だったな。)
「お父さん、ですよね。」
大吾は、目頭に溢れるものを堪えながら、優しく微笑むのだった。
end
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外部サイト「小説家になろう」にて
『向日葵描きのセレナーデ』という物語を連載しています。
良かったら読んでみてください。
そんな錯覚を覚えさせる、素敵なハッピーエンドですね^^
05 ピコ 著 向日葵 『誕生日には向日葵を』70/40目標アクセス
かなりのご健闘ですよ
世界です(^^)
すーっとイメージできる 一枚の絵葉書を思わせる
素敵な物語だと思います
E.Greyさん
ありがとうございます。
母親の気持ちを汲むのは、子供にとって第一でしょうね。お母さんが一番。
けれど娘はやっぱり、心のどこかで父親を想うのだろうなと思います。
紅之蘭さん
一途な気持ちは、どこかで報われるものですね。
ミコさん
男と女って、複雑ですよね。
お互いに分かり合う努力がなければ
うまくいくはずありません。
スイーツマンさん
ざーっと頭に浮かんだものを書き上げたショートストーリーです。
ちゃんと物語になっていたでしょうか・・・。
離婚した母親は子供に父親のことを悪くいいがちなので、
子供がこのように受け取ってくれるだろうか
などとも考え読んでいました
しかしこういう展開もありですよね
自分が子供の立場だったらどうだろうという目線で
いろいろ考えさせられました、ありがとうございます
最後に救いがあってよかったです
男の人は名声を得た後に虚しさを覚える
娘さんが振り向いてくれたのが救いです
以前、E.Greyさんが翻訳なされたゾナ・ゲイルの『ミナの旅立ち』という作品を思いだしました
http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=1233804&aid=50751242
父娘の絆が残っていたことが救いとなりますね