自尊と虚栄
- カテゴリ:人生
- 2014/08/05 17:12:43
*ナルシシズムまたは「肉体信仰」がどういうものなのか、もう少し広く説明いただけますか。
それは、今言ったように、虚栄心の表現形態の一つであり、自己の肉体美が望み得る最大の価値を持つものとして傑出するものだ。
自分の体で満足できずに「完全な肉体」を求めることは、脅迫観念へと変わる。これは精神的な病気であり、食べることを止めたり、あらゆる種類の痩身サプ リ・強壮剤・興奮剤などを摂ったり、自分の命を危険にさらすことさえいとわず、様々な人工物をインプラントするといった、常軌を逸脱した行動を取る。
ナルシシズムに感化されてしまった人は、絶対に自分の体で納得しない。時間とエネルギー、意志とお金の全てを、肉体の改善へと費やしてしまう。肉体自体が自分自身だと思い込んでいるのだが、実際には、物質界で動くために使用する衣服に過ぎない。
いつかは理想的な肉体を手にして幸せになれるのだ、という偽りの幻想を抱いている。そして幻想を利用して儲けている、エステ産業や化粧業界や消費主義に よって、その信念が益々強まっていく。だが、その幻想は我欲が仕掛けた罠に過ぎず、それでは幸福にはなれない。幸福は、愛を育むことでしか獲得できないの だ。そのため、不満はどんどん膨張する。
そして、体内時計が老年へと向かって情け容赦なく進んで行くにつれて、あんなにも一生懸命になって得られた成果が、老化という自然現象に台なしにされて いくように思える。人生はこうして過ぎていき、かつては美しかった肉体を完全に去る時が来て、非情にも自然の腐敗プロセスが宣告される。
魂は霊界に戻ると、今や墓の中で朽ちた自分自身ではなかった肉体を美しくしようと無駄に時間と努力を費やしたことに気づき、魂という永続する本当の自分を改善することにはほとんど努力しなかったことに気づく。
しかし、手遅れなことなどない。魂の命は存続するので、再び生まれ変わって、着ている肉体を自分だと思い込んで無駄にしてしまった人生でやらなかった事を、もう一度やり直せるのだ。
*こういう見方をすると、肉体美は魂の進歩にとっては障害だと言ってもいいですね。
私の話から、美しさはそれ自体がネガティブな特性なのだと思わないで欲しい。その反対に、魂が進化していくにつれて内面の美に呼応して、魂が宿る肉体はより完全により美しくなるのだ。そして実際に、君たちよりも霊的に進化している物質界では、そうなっているのだ。
しかし、進化の乏しい魂たちが支配する後進的な世界では、確かに諸刃の剣となる。虚栄の段階から抜け出せない進化の乏しい魂にとっては、肉体的な魅力は 虚栄心の奔放を許す武器となり、そのために使用される。気紛れ・下品・不躾・横柄に振舞っても、自分の肉体美が欲しいものを与えてくれると知っているの だ。それは、称賛してくれる者やちやほやしてくれる人達だ。目も眩む体の美しさで欲しいものが手に入るのなら、なぜ善い人になる努力をする必要があろう か?
…こうしていつしか老年になり、自分の唯一の魅力を失い、独り取り残されて、自分のモラルの貧しさに失望する。美しく魅力的な外見を維持することばかりにかまけていて、内面を改善しようと努めたことが一度もなかったからだ。
*ナルシシズムはどう克服しますか。
自分は肉体ではないので、肉体にそれほど煩わされるべきではないと認識するのだ。人が幸せになるためには、自分自身を、つまり自分の内面を耕さねばならないのだ。
肉体美という罠に陥った多くの魂がそのことを知っている。そのため、自分の体ばかりを眺めて人生をそれ以上浪費したくないので、直ぐ後の転生ではありが たみの少ない肉体を選ぶのである。我欲を克服して人間として改善したいので、美しい肉体を持つことが誘惑の原因となるのであれば、現状では持たない方を選 ぶのだ。
*それでは自尊心の強い者は「肉体信仰」に陥らない、つまり、自分の体に不満を覚えたり、魅力的で美しくなりたい、と熱烈に願いはしないのですか。
もちろん願いはするが、見栄っ張りな者とは違う要因でそうするのだ。
気位の高い者は、称賛の的となるよりも、愛されることを求めているのだが、もっと美しくなればもっと愛してもらえる、と間違って信じ込んでしまうのだ。
自尊心の強い者がハンサムな場合は、周りの人達は自分を好きでそばにいるのではなく肉体やその他の魅力に惹かれているからで、飽きたりもっと素敵な人に出会えば簡単に捨てられてしまう、と知ってしまうと失望する。
*僕たちは、本当は魂であって肉体ではないのに、どうして自分の魂を意識せず、身体ばかりを自分と同一視するのでしょうか。
それが君たちの世界が教えることだからだ。 魂は存在せず、人とはその体であると教えている。君たちの快楽主義の世の中では、評価される資質とは物的なもの(肉体美・富・権力)で、内的な資質(感受性・慈悲深さ・謙虚さ・慎み深さ)は軽視されるのだ。
霊界では、それと全く逆だ。全ての霊的な資質が評価される。中でも謙虚さは最も評価される資質の一つだが、外的な資質は、魂個有のものではないので、何 の価値もない。外的な資質は、劇の作品が変われば俳優の衣装替えがされるように、ある人生から他の人生で変化するので、状況的な付随物だと考えられてい る。人は、今生では外見的に美しくても、次の転生では醜いかもしれないし、今回は金持ちでも、次回は貧しいかもしれないのだ。
魂は、肉体から離れている間は、その違いが明確に分かっていて、霊性の改善のためにこの世にやって来ると知っている。しかし肉体に宿ると、身体との一体 感や過去の忘却や、転生先の文化の影響などで、霊的に改善する目的意識の低い魂は、自分を完全に肉体と同一視してしまう。そして、魂が顕現するということ には、個人的に経験したことも他者の経験も、頭から否定するのだ。
*魂の顕現とは何を意味するのですか。
魂の存在とその能力を示す全てのものだ。
それらは例えば、肉体を持たない存在たちとの交信、幽体離脱、自他の気持ちを直感すること、五感以外での超感知 などだ。このような体験をした多くの人が、頭がおかしいと見なされる。
だから、自分の霊感に自信のあるかなり進歩した魂でなければ、自分が気が狂っていて 精神療法が必要だと信じ込むに至るだろう。
投稿者 飄平 魂の法則