Nicotto Town


よしないごと かな


リンドバーグの記憶 5th.

その背に翼を抱く者呪われて在れ


リンドバーグの記憶 5th.

 


 

 「覚えているよ。自分が何者でもないと気付いた日のことを。」

 己が愚かしい自意識故に苦笑混じりにしか話せないけれど、と。
 自分には何が可能で何が不可能か、今とはまるで違う眼で見ていた。それは不可能を知らないということでは決して無く――
 何処か知らない遠くに視点を泳がせ、何か分からない物を根拠の一つも持たずに信じる。それが未来を有するが故の力とも気付かずに。
 可能性に意識 を留めた時点で本来の可能性には限界を感じているという矛盾とジレンマ。足掻くことの価値を知らぬわけではないし、そのみっともなさと同時に格好良さも十 分に理解している。当たり前の日々は怠惰から生まれ、埋没の中に安楽と不満を見いだす。愚かな濁色の毎日。

 「誰かと、出会って、特別な心で繋がると信じていた。」

 赤い糸なんて言葉ではなく、決して番う相手という意味でもなく、それでも欠きがたい誰がどこかに居るのだと、随分少女趣味に信じていた。
 今はまだその時ではないのだと。
 人と関わるときに限らず、総ては相互に作用する。誰かが、『誰か』でないとき自分もまた『誰か』になれない程度の存在であるということ。手に入らない原因は大概の場合、自分自身にあるのだと。
 それはたぶん間違いではない。しかし、それだけの価値にいたっていないから得られずにいるのではなく、そうした誰かを見いだせるということの絶対性が誤解であるのだ。
 獣は生まれて間もなくおのが足で立ち、一人であることの確認を始める。人ばかりが誤解し気付かずに在り様を歪める。

 「歪んでいるのは自分だけかも知れないけど。」

 苦笑と、自嘲と。

 「格好付けるつもりは全然無いけど、同じ立つなら誰かを守って立ちたかった。」

 けれど、それすら今となっては自分の身勝手な自己満足故の希望だったと知っている。子供じみた夢でしかなく、それを夢でしかないと言うように なった自分が確かに此処にいる。広げる両手はその両手の幅しか無く、それ以上には手が届かない。背伸びをして手が届くならばむろんジャンプさえしようけれ ど。それでも何処までも伸び翔け抜ける翼ではないのだと。

 だが、稀にその背に翼を持つ者がいる。
  翼を持つしか無く、そのことに疑問も持たず、ただ飛ぶために在る者達。存在だけで地を這う者に絶望と憧れを抱かせ、その柔らかな白い羽根はずたずたなまでに飛びたがる心を切り刻むのだ。

 「夢など見なければ、痛みなど感じないのに。」

 明け方の夢の中で甘く囁くような天使達の声。
 確かに。
 彼等を、彼女らを、そしてその位置を願いさえしなければ心穏やかにいられるだろう。地には地の喜びがあると、身の丈に合った願いを生きればいい。だが……
 目の前には天使がいる。力強い翼持ちて羽ばたき、風切る音を此処へと届かせる者がいる。どうして、それでどうしてあの高い青い空間を希まずにいられるのか。
 何者でもない己、地さえ満足に這えず空望むだけの己。翼ある者を恋い呪うばかりの俺。
 過去と他人は変えられない、けれど。

 青く高い空。
 君は飛び続ける。





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2012/11/15 17:30
たーたんさん

厨二病、一般用語でも、品の良い言葉でもないので、
覚えないで下さいね^^

夢なんて口幅ったいのですが、足掻いた者勝ちなのかもしれませんよね。
仮に、特別な才をもっている人だって、もがかないわけではないと思うし。

夢想に走って、勘違いしている人にはなりたくないなー、と思ったり、思わなかったりです。
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2012/11/14 23:14
こんばんは。

僕は、みなさんのように気のきいたことは言えませんが、
くもいさんの文章を今の自分に置き換えて、自問自答するように読んでいます。

厨二病という言葉も初めて知りました。
いい大人ですけど、いい大人なりの夢の行き場所について思いをハセテマス。

答えは風の中にあるのかな。
僕も、厨二病かもしれません~
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2012/11/13 14:13
Luciaさん

私、昔から本当に疎いんです。
浪花節、と言う表現は妥当ではなかったかも。
切々と、身に詰まされることを語りかける歌詞が多いですよね。
彼の歌。メロディーラインも綺麗だし。

さだまさしさんの歌詞は好きです。
私の知っている、岡野さんと仰る短歌人も、さだまさしさんの歌詞は絶賛していました。
谷村さんの大人の、大人でなくては歌えない歌、というのが、ちょっとしんどいのかもしれませんね。

あからさまに美しい事に、着いていくには、少し照れます。
それを歌いきり、呟ききるには、自分の経験地が足りないのでしょうね。

年代はきっと変わらないと思います。
人としての厚みが、全然敵わないと思っていますが。
近くても、一緒でも、遠くても、これからも、よろしくです。

サークルのハイネ拝見します。
ハイネは好きです。
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2012/11/13 00:23
「陽はまた昇る」を初聴き、というのは意外でした 
もしかして、一回りくらい違うのかなぁ.... (^_^;)
カセットテープとかセイヤング、とかのあたりで
数年くらいの違いかなぁ.... と思っていたのだけれど。。。。。

あの歌詞、浪花節?
私はドイツリート(歌曲)系統の歌詞だと思っていたのだけれど。。。
ハイネ(詩人の恋Dichterliebe)のような..... 
(もしよければ、サークルメンバーの歌曲の方のブログへの私のコメント、見てみてね)

あ、ナポリ民謡は、そのまま浪花節ね
ナポリはイタリアの大阪、吐比喩されるくらいだし (^_^)


私は日本の歌謡曲の中でも
アリス(谷村新司)やさだまさしの詞には
独特な世界観、日本語の美しさを感じるのだけれど....


*************
私は基本的に
来る者拒ます、去る者追わず
でも、来る者に瞬時に踵を返されないような
受け入れ態勢だけは、常に整えておきたいと思う。。。。
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2012/11/12 20:36
手の届かない場所を知ってるんだね
ジャンプしても届かない場所
翼がないと行けない場所
どれほどの人がそこで絶望してきたんだろう・・
知らなければ 良かったのにってね
底辺で闇雲に生きてくしかないんよ 大概の人はさ
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2012/11/12 18:27
たーたんさん

ダメですよ。煙に撒かれちゃ。
これは厨二病の文ですw 自分で言っていて情けないですが。
昔の記憶語りです。
リンドバーグと題して、いくつか、これからも上げていくと思いますが、
昔語りです。記憶をずるずると書いてあるだけなので、あんまりじっくり読まないで下さい。
恥ずかしいからw
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2012/11/12 18:24
Luciaさん

谷村さんの曲初めて聴きました。
うーん、なんというか、浪花節?
いや、反省。
浪花節でしたか、私の文。……古い文だしなあ…(苦笑)
もう少し、すっきりと鋭い物を書けるようになりたいです。

でも、出会いや別れって、過ぎてからでないと、それをそれと理解できなくて、
あとから思い出して、意味を見つけたり、そのまま忘れてしまったり。

必要なものを間違って落とさないように、少し慎重になりたいです。
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2012/11/12 18:20
いちいさん

厨二病文でしかありませんからww
一度目を通していただけで、十分です。ありがとう^^
いちいさんはご自分で曲を作る方ですもの
忙しいんだから!
それより、新しい歌、まってますね。
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2012/11/12 09:17
言葉が素敵だなぁ、
それでいて何かに撃たれたような感覚を持ちました。

よく噛みしめたくて、何度も何度も読み直したいです。
ココロがざわめいていて、何かうまく言えないけど……

とりあえずですけど、それだけ伝えたくて。
またコメントしますね♪


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2012/11/12 08:50
♪ 夢を削りながら 年老いてゆくことに気が付いた時 はじめて気付く空の青さに ♪
谷村新司の「陽はまた昇る」を思い出しました。。。。


出会いも、別れも
ポジティブな過去も、ネガティブな過去も
その中の1つでも欠ければ、自分は今現在の自分とは違う


必要でないことは自然と淘汰される

人との出会いも、別れも
そうなんだなぁと思う。。。。。。
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2012/11/12 00:53
私はあまり本を読まないから、こうして色んな人の文章に出会う度、
不思議な世界に辿りついた感覚になります。
くもいさんの文章も今まで知らなかった不思議な世界です。(笑)
じっくり時間をとってお邪魔したいです。
1日24時間じゃ足りないなあ。
また来ます。^^




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