まじめに、考える。
- カテゴリ:日記
- 2012/03/11 15:47:24
今日ゎ震災からちょうど1年だよね。
あの日の事、今でも覚えてるよ( ´・ω・`)
被災された方々のことを思うと胸が痛む。
こっち関東でゎ、東北のほうと比べたらだいぶ被害ゎ少なかったんだと思う。
震災当日、私ゎ学校にいた。
絵の具で絵を描きながらみんなでワイワイやっていた。
そしてそれゎ、突然やってきた。
最初ゎただのゆれだとおもってた。
ところが、時間がたつにつれてどんどんゆれが激しくなってくる。
私もみんなも、「・・・え?」の一言だった。
そしてゆれが最高潮にたっしたときにゎ、みんなパニックにおちいっていた。
先生たちゎ、ただひたすら「机の下にかくれろ」「あわてるな」と叫んでいた。
泣き出す友達もいた。
そしてようやくゆれがおさまったら、すぐさま校庭に集められた。
先生たちゎそれぞれの方角に生徒たちをつれてすぐさま下校させた。
私も先生につれられて、すぐさま家にもどった。
家に戻ると、地域のひとたちがみんな外にでて、ソワソワしていた。
私のマンションでも、頻繁に人が出入りしていた。
私ゎそこで、お姉ちゃんに会った。
家族に会えて、すごく安心した。
お姉ちゃんゎ、外に様子をみにきてたそうだ。
私ゎ家に戻りなさいと言われて、すぐ家に戻った。
家に帰ってすぐさまテレビをつけると、震災情報のことをやっていた。
どのテレビもどのテレビも、みんな震災のことをやっていた。
その日一番つらかったのゎ、家族と連絡がとれないことだった。
お母さんにもお父さんにも、何回も電話をかけたけどつながらなかった。
私ゎ、不安感を覚えた。
もし家族に何かあったら━。そう考えることしかできなかった。
けっきょく親と連絡がとれたのゎ、お母さんが家にかえってきてからだった。
職場から歩いて帰ってきたらしい。
道路なんて車でいっぱいで、またく動いていなかったらしい。
電車も完全にとまっていた。
お父さんゎ、その日のうちの帰ってこなかった。
そしてもうひとつ大変だったのが、食料だった。
コンビニからゎものが消え、
食べるものなんてなかった。
奇跡的に家に食べるものがあったので、それでしのいでいた。
福井にすんでいるおばあちゃんから、保存できる食べ物がドッサリ送られてきた。
遠くにいても人と人ゎつながってるんだな、って思った。
大変だったこととえば、計画停電もある。
私たちの住んでいる地域ゎ特に何があるわけでもないので、
ゴールデンタイムに停電が行われた。
冷蔵庫やテレビゎもちろん、ほとんどのものがつかえなくなってしまった。
懐中電灯一本で、時間がたつのをすごしていた。
━いろいろ考えることゎあるけど、まだ自分の家にすめているだけ幸せだなと思う。
家をなくし、仮設住宅ですごしているひとだってたくさんいるのだから。
そしてなにより、命があることが幸せだって思った。
被災された方々のうちに、家族や大切な人をなくした方々がたくさんいると思う。
そんな中でも、特にけがもなく家族全員無事に生きていられたことゎ、かなり幸福なことなんだなと感じます。
人々のつながりを、何よりも命の大切さを知る一年となりました。
3階で揺れも大きく、隣のクラス(資料室)のガラスがわれ、私のクラスは外にでれませんでした。
とても怖い思いをしました・・・。
お母さんが迎えに来てくれて、お母さんの顔が見れて、ホッとして泣きそうになりました。
家に帰りテレビをつけたら、見た事のない光景がひろがっており、泣きそうになりました。
私も命の大切さがわかりました。