地震だ~ァ
- カテゴリ:日記
- 2011/03/15 22:53:13
今回の大地震、ある目的を達成し、午後2:30頃学校に到着、図書館に入る前に先輩と2人で6階の講師の部屋に行こうとしてその部屋の前に来たとき。
「地震だ!」とどこからともなく声がすると同時に各部屋のドアが開き、研究室にいた人たちが廊下に飛び出してきた。
研究室の中では、本や備品が落下してスゴイ音を立てている。
最後に出てきた人は、這って廊下に脱出。白衣の背中はコーヒーと思われるもので汚れている。その後ろでテーブルの上の物が大きく揺さぶられ落下していく。
初めから廊下にいる私達も立っていられないから、膝をついて両手を広げて四つん這いになって、それでも体が大きく左右に揺さぶられる。
窓が大きく撓んでいく。今にも割れそう。その方向に体が動いていく。「窓に近付くな!」そう言われても勝手に動いていくョ。
何とか反対側の壁に寄ったと思ったら。また揺れが大きくなって、今度は壁に体がぶつかって、そうしているうち「もうだめだァ。」と誰かが叫ぶ。誰もそれにはこたえない。
脳裏に浮かぶのは、天井が落ちてきて下敷きになる、あるいは、床が落ちて落下していく、それとも、窓際の壁が破壊され、がれきと一緒に落下していく。「こわいよ~ォ。しにたくないよ~。」
長い、2分以上、生きた心地がしなかった。
揺れがようやく収まりかけたとき、誰かが「今のうちに外に出るぞ。」叫んだ。
みんな階段を夢中で駆け下りる。「焦るな、落ち着け。」叫ぶ超えも震えている。まだ揺れているけど、みんな夢中で外に出た。
建物から少しでも離れてといっても囲まれた中庭の中心にみんなで固まって、また揺れる。建物が動いているのが見える。でも、「助かった。」この時点でそう感じた。
それから、余震の中を自分の住んでるマンションへ。歩いて15分のところを車で20分かかったけど到着。電気が止まっているので階段を上って8階の我が家へ。
思ったほどの被害でも無かった。一安心といったとこだけど。暗くなると電気が点かない、真っ暗だ。
実は、私の父は賢明なので、仙台では避けて通れない事態を想定して用意していたのが、『パーフェクション石油ストーブ』充分な熱量があり大きな特徴は石油ランプと同様明るくなる事。冬場は部屋に置いてもアクセサリーになる。
直ぐに近くのガソリンスタンドで灯油を1缶買った。その直後、購入は不可能になった事を後で知ったんだけど。
おかげで、真っ暗な中でも私の居る所は結構な明るさナンダ。乾電池も、ミネラルウォーター、食糧も何故か充分なストックなので、電気、ガス、水道ストップでも周りの人よりはかなり恵まれているんだけど、一晩中何度も揺れて、殆ど寝てない。ストーブの明るさと、ラジオをつけっぱなしで寝ていたせいもあるけど、予想された地震より遥かに大きな規模だった事を知った。
2日間は揺れ続けていたので、立ち上がるといつも揺れていたような気がする。
そうこうしているうち、3日で電気は復活、水道も4日目の夜に復活。市内全部ではないけれど、中心部に近いとこういう時は有利かも。
ネットもようやく繋がったので、何とか生活は戻ったと思いきや、買い物大変で、食品が買えない、ガソリンの入手がたいへんで、2時間並んで10L、それも対応できるスタンドが少なくなってきている。走っている車の数が少なくなっている。
友達や、その家族の方で連絡のつかない人もいます。電話は今日辺りからようやく繋がるようになって来たけど、まだ繋がらない地域もあります。
この状態がいつまで続くのでしょうか。
そして犠牲者の数はどれだけになるのでしょうか。
今は困っている人への支援活動を行っています。
大変な目にあったと思いましたが、
私はその中では幸運でした。
ですから
今、本当に大変な思いをしている方々の
少しでもお役にたてればと動き回ってます。
無事でよかったです!!!
地震が毎日あるので、地震酔いの状態で大変ですよね。
地震は1カ月ほどで落ち着くそうですが、今度は原発;
大変ですけど、なんとか乗り越えましょうね。
地元が近かったみたいですね。
お父さんも宮城県沖地震の体験者なのかな?。
怖かったですね。
これから復興に向けて頑張りましょう。
私も。
本当に、ご無事で何よりです。
こちらは被災地から離れているので直接お手伝いすることはできませんが、
募金をしたり節電をしたり・・・今自分に出来ることをしています。
これからも大変な状況は続くでしょうけど、1日も早く、良くなるといいですね。
本当にうれしいです。
食糧確保は何とかなりました。
ガソリンが手に入れば、何か行動しようと思ってます。
もう私は被災者ではありませんから。
直ぐ近くで頑張っている人達に
お手伝いしたいと考えてます。
これからもよシンがあると思うけど頑張って耐えてね。
シンのところもさっき2回来たよ。
私も実習で福島に行っている最中での地震だったので帰る手段もなく途方に暮れました;食料も。
福島についた際に、「近くに来られたのですね」とコメントいただいていたので、
れいさんもご無事で何よりです^^
私のところは計画停電だけでも、ちょっと不便を感じたのに
これが続くとなると大変なことだったでしょう。
復興という言葉はまだ早いのかもしれませんが、早い回復
そして一人でも多くの皆さんが助かりますよう、ずっと願っています。
私の実家は兵庫なので大変さは少しはわかっているつもりです。
私にできることは節電と募金だけですが、私なりにやっていこうと思います。
ニュースでみると本当に大変な状態ですね。倒壊した学校もある中、無事に生還出来たことは本当に何よりです。
私の友人が宮城の海側に去年養子に行ったのですが、連絡が取れませんね。携帯のコール音はするんですが返信がこない。
最近の携帯は防水だからまさか海に・・・怖いです。
まだまだ不便なことがたくさんあるかと思いますががんばってください。何も力に慣れませんがせめて言葉だけでも。
僕も中越地震の時は震度5強を経験し壁につかまり立っているのがやっとでした。
今回はそのレベルをはるかに超えてますね。
とにかく無事でよかったです。
しばらくの間不自由な生活になると思いますが頑張ってください
暖かいコメありがとうございます。
多くの方々にご心配戴きまして、感謝に堪えません。
現在は電気、水道が回復しておりますので、
生活には殆ど支障無くなりました。
食品とガソリンが入手困難です。
でも、私はかなりマシに暮らしていると思います。
海岸近くの被災地は目を覆うばかりです。
1時間もかからずに避難所数か所に行けます。
おにぎりと水、わずかの人数分でも届けたいのですが
ガソリンもありません。
原発事故のため、そちらに目が行きがちですが、
多くの被災者は、何も解決されないまま途方に暮れています。
直ぐ近くに居るのにもどかしいです。
東京の両親も心配してましたが
震災直後は携帯電話も繋がりましたので、何度か会話は出来ました。
東京に行く手段も現状ではバスが走ってますが
切符が入手できません。
大学は4月22日まで休講となりましたので、
そのうち東京に行こうとは思ってます。
今は食糧確保に専念して、
何か出来る事がないか模索中です。
そんな状況ですから
私にはこの環境の中では余力が出来てます。
ありがとうございました。
心配したヨー
まだまだ大変な状況
だと思いますが、
一日も早い復興を祈っています。
れい
よく耐えたね
これからも続くだろうけれど
ここは、繋がれるよ
そして本当に無事でよかった…。
あまり大きな被害は出なかったので、覚えている人も少ないのですが、
うちは鳥取県西部地震を経験しています。
我が家も家具が何点かひっくり返り、近くの道路は割れ、ずっと余震が続き怖い時期がありました。
今回はそれをはるかに上回る被害…。
れいさんも無事に逃げられてよかったです。
ご実家が関東ではなかったですか?
一時的に戻られませんか?
いざ、という時に家族がそばにいること、それだけで心強いことがあります。
ガソリン不足、交通機関のマヒ、帰る手段もないのかもしれませんが、
検討をおすすめします。
まだしばらく混乱は続くでしょう。
がんばって!
そう言う話があるだけでも少し安らぎます。
今はまだ物資の輸送と言う点で不自由な生活をいられているようですね。
一日も早く輸送路が確立出きるといいけど、この国の政府ってそこまで考えてるのかな!?
あんまり好きな言葉じゃないけど、こんな時はこれしか言えない
がんばれ!!
無事でなによりです。
(過去の遍歴からみて並みのことではへこたれないと思ってましたが、、、)
しかし、地震後の手際の良さには
若いのに立派ですな。
本当に大変でしたね。
まだまだ、不自由な生活かと思いますが、必ず復旧します。
それまで、もう少しだけ頑張ってください。
犠牲者の数が少しでも少なくなるように。。
本当にご無事でよかったです。
津波の被害はなかったんや!
ホント無事で良かった。
ニュースであの光景を見てると無理なんかもって気がしてて><
もう1度、無事で良かったよ^^
まだまだ、たくさんの不自由されている方達とか犠牲になられた方が
いらっしゃるのは承知なのですが
れいさん、ご無事で何よりです
本当にこうしてブログでお目にかかれて(?)嬉しいです
おかえりなさい、今はこの言葉しか浮かびません