Nicotto Town



議論について思うこと

ちょっと真面目?な内容でつまらんので面倒な人はスルーしてくらはい(╹∀╹)ノ



「議論」は広辞苑さんによると、

「互いに自分の説を述べあい、論じあうこと。意見を戦わせること。また、その内容。」
だそうです。

しかしふと、日本で議論と呼ばれているものって、本当にこの意味での議論なの?と思ってしまったわけです。

・述べているのは本当に自分の意見?
・そもそも自分の意見、ちゃんと持ってる?
・持ってるならそれをだして論じ合ってる?
・立場がある人の一方的な演説になってない?
・ちゃんと意見を戦わせてる?
・「それもアリだな~」なんて簡単に付和雷同していない?
・論じ合いのはずがいつの間にか貶(けな)し合いになったりしてない?
・というか、議論、つまりは論じ合うことによって論理的に結論をだそうと思ってる?
・討論(勝ち負け)ではないのだよv
・実は最初から結果は決まってたり(分かってたり)するんじゃない…?
・etc…

とまぁ、こんなことを思うわけです。

「うんうん、あるかも、そういうこと~」とか「いや、ねぇよwww」とか、
ちょっと意見を聞かせて欲しいです。

無理に自分にあてはめなくても、身の回りでこういう傾向があるとかないとか…

それについて今ちょっと考えているので参考までに(╹∀╹)ノ”

#日記広場:その他

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2011/01/06 00:36
年が明ける前に目は通していたのだけど返す時間が…
いつもニコタにいるときって頭がぼや~っとしてるんですよね^^;

とりあえず
>あとは、高度なシュミレーションで問題点を洗い出し、アイデアを洗練させていくだけ。
>そうしたら、アイデアを実行する意見を出し合い、アイデア実現のシステムを創っていくだけ。

これは盲点…
言われてみれば確かにそんな感じですねぇ。

私自身、あらゆる面でシュミレーション不足、洗練不足なところがあって、
これには気付かされました(*´ω`)
熟達者の意見はホントためになるなぁw

またこんな感じの疑問が出たら是非とも意見を聞かせて下さいませませ~(*´∀`)
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2010/12/29 08:34
あまり読む時間がなくて読めなかったのだけど、のんびり読みにきました^^
よく研究してるなぁと関心(*´∀`)
わっちは、ぐれさんの年齢の時は、ぼけーーとしとった><

処方箋は見つけた様に思うけど、言葉が長くなるのでニコタは無理・・・。

でも、ちょと自分の考えの片鱗を露出してみるので、興味あれば読んでみてちょ^^
反論、押し付けではないのだけれど、うざかったら読まないで^^;

で、西洋が生み出したかもしれない議論は、ほとんど役にたっていないという側面もあると思う。
そういう意味では、議論など完全に捨ててしまったほうが良いのではなんて思ったりもするのだ(´ ▽`)

議論が意見を出し合うのみなら良いけど、今の議論の概念でいうと「意見で戦って勝たなければならない」になっているから。
例えば、国連など、西洋の生み出した議論を中心に物事を決めているから話がまとまらず言い争いばかり。
結局は最大の目的である世界平和の為の紛争解決はほとんど実現出来ていない。

実は、世界を平和にする最高のアイデアはもう沢山出尽くしている。
あとは、高度なシュミレーションで問題点を洗い出し、アイデアを洗練させていくだけ。
そうしたら、アイデアを実行する意見を出し合い、アイデア実現のシステムを創っていくだけ。

所が世界のシステムは、議論を中心に構成されていて、自分の所属している団体の利益の為に意見で戦う。
言葉や意見も押し通せば、ある意味暴力なのだと理解していないモノが多い為でもあるかも・・・。
人は剣を持たなくても、言葉でさえ争っている。(剣を言葉に変えただけだよね^^;)

しかし、世界中にはその事を知っている人も多い。
日本人の一部の人は良く知っている。
ぐれさんが言う様に、それは宗教観による所が非常に多きいのだろうね^^

議論の中に議論を持って参入すれば、相手の議論は力を増す。
そんな側面もある様に思います。

残念ながら、今の意識の高さでは争いに争いで参入しなければならない時もあるのだけれど。
しかし、インドをイギリスから独立させたガンジーさんの様な非暴力的な態度も時には必要だったり。

ぐれさんの言うように体外的には、議論は必要だけれど、心の中では必要ないと思っていたほうが良い気がいたします^^

力を持って行くと、相手の力が増大して力に負ける。
受け流すのが大事だったり^^
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2010/11/27 10:46
根本的(性格的)原因というとそれこそ膨大にあるのですが、原因自体を取り除くことは困難なように思いますし、取り除く必要もないと思います。
しかし、ある枠内での正しい方法や常識が、外に向けても成立するかといえばそうではありません。
そんな時の処方箋を、ちょっと考えていたのです。

通常の“私たち”の内ではこれでいいかもしれないけど、外と少しでも関わりを持つなら、その差を理解しておかなければいけない。
悪いことは口に出すのもいけない、とか
上の者の意見に口出ししてはいけない、とか
その場の流れや雰囲気を壊してはいけない、とか…
共通の認識を持つ人々の間ではその方が良い場合もあります。
しかし、そういったタブーを恐れていてはダメな場合もあるのです。

うーん…頭がうまく働いていませんね…
なかなかまとまった時間がなかったので徹夜明けに書いていますが、文章がまとまりません;;
考え自体がまとまっていないのと、書ける字数が限られているのがなんとも…

こんな体たらくにお付き合いくださり、ご意見くださった方々には感謝感謝です><
また時間のある時にご意見や助言などをくだされば幸い……
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2010/11/27 10:23
このような記事を書いたきっかけですが、
日本の議論が議論の体を成しきれていない原因を考えていました。

日本人が議論が苦手な理由には、西洋的な意味での個が確立されていないということもありますし(これは必ずしも悪いことではありません)、儒教的年功序列の思想が色濃く残っているということや、共調主義的性格から無意識に周囲に同調してしまうこと、“心を読む”といった感情的思考には長けていても論理的思考は苦手なことなどがあります。

西洋的「個人」は、絶対者としての神を支点として形成されています。しかし、絶対者としての神の思想を持たない日本人にとって、絶対者とはすなわち自己が所属する共同体です。これは神との契約で成り立っている西洋的個人とは根本的に異なり、個人は確立したものではなく流動的です。そもそも真の意味での個人は日本にはない思想です。
年功序列の思想は、上の者に歯向かうことを倫理的に善しとしません。たとえ議論の場であっても立場や地位が下の者がでしゃばれば上の者はいい思いはしませんし、下の者も躊躇ってしまいます。
感情的思考には昔から変化の少ない共同体の中で協調し合って生きてきた民族的歴史に加え、おそらく日本語の特性も影響しています。通常の言語はそれを扱うときに左脳を使用しますが、日本語は右脳と左脳の両方を使用しており、それだけ右脳的、つまり直観的に物事を考える癖がついているのです。(漢字は表意文字ですし、日本語には同音異義語が膨大にあり、音声処理だけでは不十分で、多言語よりもイメージする力を多く使います)

積極的に議論することの是非はここでは触れませんが、現代社会、特に現代国際社会においてはどうしても言葉を用いた議論というのは必要となってきます。空気を読んで…とか、まぁそのうちどうにかなるでしょう…なんていうのは日本人にしか通用しません。
そんな時に、ちゃんとした議論ができなければ少々問題が起きてきます…。

で、このようにちゃんとした議論ができない日本の議論における現象・傾向を総合して、私は議論の儀式化と捉えてみました。周囲に満ちた見えない気としての神に対する儀式です。このため日本では議論が議論の体を成せない…

字数が限られているので詳しいことは気が向いたらまた別の記事で書きますが、だいたい趣旨はこういうことでした^^;
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2010/11/23 11:58
ここは、最低限の起承転結の文章しか入れられない><
たとえ話や逸脱した話を入れると、足りなくなっていつも書いたあと、部分的に削ってます^^
逸れた話のほうが良かったりするのだろうけどね^^

そう若造なのだと自分を卑下する必要もないでしょう^^
どちらかといえば、社会の邪魔者にされてるのは、お年寄りのほうだし。

お年寄りは、経験と知識と知恵を持っているから、大事にしたほうが良いよね。
若者には、確かに経験と知恵が不足している。
しかし、それは仕方のない事。
その分はお年寄りの知識と知恵で補足すれば良い事。
年配者は言葉に出来ない思考を、言葉や絵にしてくれる事がある。
それで、若者はスッキリする事がある。
そういう意味では、教育や議論というよりは、コミュニケーションをとったほうが良いのだろうね。

確かに若者の方が意識が高くなっていて、お年寄りは頑固で意識が低い人も多い。
そこで、誤解されて排除される方向にあるけど。
お年寄りの中には、柔軟な知恵者もいる^^
わたしはそういう人から貴重な意見を聞くコミュニケーションは大好きです(´ ▽`)

国を変えたくて、地方の政治から行う者もいた。
でも、変えられないと辞めて国政に向かう者も居たが、やっぱり何も出来ないと失望する者も居る><

国を変えてきたのは、いつも国政に携わっていない外部の団体による事が多い。
それは過去の歴史では、争いで行われて来たけど。
今は意識が高くなってきているから、争いは必要はない。
外の意識集団が国を変化させて行くかもしれない。
まあ要は、政治家に頼ってばっかいては何も変わらないよってことですよね^^
意識の臨界点はそれほど高くないと言う人も居ます。
5%もないのだそうです。(ほんとうかな!?)
好きな環境で自分が変わると、意識は波及して世の中も変わるのかもしれませんね^^
思考は案外周りの人に植えつけられた物で構築されております。
だから思考に頼る行為は、自分を信用していないとも言えます。
自分を否定するのは、沢山の人にそういう思考を押し付けられたせいでもあります。
人生を楽しくするアイデアを考えるのは楽しい!
本当は結論なんてどうでも良い!
考えるプロセスが面白い。
言葉は線形的な時という概念に束縛されてます。
世の中は、線ではない!
感性も時には必要
感性は言葉に言い表せない^^
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2010/11/23 01:22
長々と書いた割に論旨がまとまっていませんね^^;
天上の藍さんが言わんとしていた内容ともずれてしまっているかもしれません;;
所詮私も若造の一人…
まだまだ知識も思慮も感動も経験も足りていません…orz

明日、もう一度読み直して再考えさせて頂きますm(_ _*)m
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2010/11/23 01:17
天上の藍さん>

「もし集団意識を変えたいのなら、変えたい集団意識に飛び込んではダメ。」

それ!!それですよ!!!
多少のズレはあるかもしれませんが、私も結局はそこが結論ではないかと思ったのです。
もし真剣な議論(話し合い、と言った方が良いでしょうか)をしようと思えば、既成の集団意識のある集団の内にあってはだめなのです。自分で話し合いのルールをある程度操作できる(というと聞こえは悪いですが、要は話し合いの土壌が作れる)集団にしなければならない。または、その土壌がきちんとできている集団に入らねばならない。

ずっと、何かを変えようと思えば、その変えるべき対象の懐に入るべきだと思っていました。
しかしいざ懐に入ってみると、思うように動き、思うように口にすることがなかなかできない。
変えたい集団の内部には既にその集団の暗黙のルールが出来上がってしまっている。
発言力の強い誰かの意思が根付いてしまっている。
そんな人々の中で、ルール(常識)自体を変えることは、それはそれは困難なことです。

今の世の中、マスコミや教育の影響を受けていない人間なんてそうはいません。
ほとんどの人が、権力のある者が作った大きな大きな既成集団の内にあるとも言えるのです。
特に集団指向性の強い日本人はその傾向が顕著です。
マスコミや権威ある人、年配の人の意見を鵜呑みにし、それを振りかざしていては真の話し合いはできません。かといって、知識もなく思慮も足りない若造のままでは碌な根拠もない「自分は正しい」を振りかざすことになってしまいますが…

そこで、どうしても議論が必要な場合には、
一度、自己を白紙化する必要性があるのではないかと思うのです。

自分が正しいと思っていること、正しいとされていることが、本当に正しいのかどうか。
まずはそれを疑ってみて、一度白紙に戻すことが大切なことなのではないか…

もちろん、これはこれで付和雷同を生む原因にもなります^^;
しかし自分に自信がない、というのはある意味正しい感情で…
自分の意見はもしかすると正しくはないかもしれないけれど、という前提を持った上で、真実ではないかと思ったことを正直に述べ、人の意見も受け止めて、結論を導き出そうとしていけば、問題点も減るのではないかと…
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2010/11/23 00:12
人は、本質とは対極の概念の別の人格を持っていて、この源は人と離れて別の人だという事を促す。
この人格は、人を攻撃するのが大好き><

攻撃する事で、別の人格が相手を判断しはじめて、自分とは違う事を認識し、自らの人格は存在確定に歓喜する。
だから議論にならない。

議論したい人ほど、エゴむき出しで相手を攻撃したくてウズウズしているので、私は議論などしないです><

攻撃するのが好きな人は、論点をすぐずらす。
概念が一致してないから話が通じない。

この2点により、意見が平行線を辿る。
まあ無駄な話しが永遠と繰り広げられ、やがてお互い怒りあい、別の人格の思う壺という人達は多いヘ( ̄ー ̄)ノ

人は自分の考えを押し付けるのが大好き。
その考えも大概は、新聞記者やニュースキャスターの考えである事が多い。
もしくは親や教師から教わった事。
聞いていてすぐに解る。

そんな話を聞いても、議論する気にもなりません><

大概の人は、為になる本も読まない。
芸術にも触れない。
文章も書かない。
音楽も聞かない。
自然にも触れない。
世の中の為になるインスピレーションを得るモノにはまったく見向きもしない。

世の中の人は、新聞とテレビの内容だけは妙に詳しいのだけれど。
新聞とテレビが世の中の為になったのかは疑問。
まったく貢献していない訳ではなけれども、社会を混乱させてるほうが多いのではなんて思ってしまったり。
少なくとも、彼らは社会に為になる意見は提案しない。
批判ばかり。

教育も、過去の事実や経験を率直に教えて子供に考えさせるという事はしない。
おとなの意見を押し付けて、記憶重視の授業。

そんな環境で、議論なんてしても無駄^^
イライラするだけ!^^

夢や大志を抱いて、政治家になる人が、集団意識に飲み込まれ議論に疲れる。
そして、夢や大志は実現出来ず><
もし集団意識を変えたいのなら、変えたい集団意識に飛び込んではダメ。
外にいて、自分中心に集団意識を形成するか、自分にあった集団意識に飛び込まないと。
王様とか社長とかになった人は、辺境の地で力をつけていった人も多いのだ。

論点がちょとズレてもうたが(。・ε・`。) ぷ

議論は理解ある仲間としたほうが実りがあるかも^^
批判でなく客観的な観察事項を述べましたとさ・・・どうでしょう!?^^
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2010/11/21 15:16
コークさん>
貴重なご意見ありがとうございます!!!><
なるほど、コークさんはきちんとした「議論」を学ばれ、実践されているようですね(`・ω・´ )
中学で学ばれたという、
・自分が何を主張すべきかの軸をぶれさせないこと
・相手を自分の意見で押し潰すのではなく、受け止めてこちらの意見を添えて投げ返すこと
というのは本当に大切なことだと思います。

私も色んな場面で議論(もちろん討論もですが)をしてきまして、
ちょっと疑問に思った上記の傾向について、その原因を考えてみようと思ったのです^^

我々の身近で行われている議論はどうにも「議論」の前提として必要となっている
・相手の身分や立場をいったん除いた上で話し合う
 (年下のくせに、とか所詮○○のくせに、という偏見を除いたうえで始める)
・話し合うべき議論の軸、即ち問題の認識の一致と結論を出そうという意思が定まっている
 (なあなあでだらだらと長時間話し、結果、何も結論がでなかった、ということが私の身近では多々ありました。最初から問題の認識が一致しておらず、だいぶ時間が経過してから「あれ?そういう話だったの?」なんてことも…)
・正しいと“されている”ことではなく、正しいと“思う”ことを述べる
 (そうでなければ正しい問題点と解決法は見えてきません)
・場の空気(正当性ではなく)に流されないようにする
などなど、がどうにもできていないように思うのです…

それがきちんと固まっていないから貶し合いに発展してしまったり、言葉遊びの応酬をしてしまったり、ズレた結論だと分かっているのにそのまま決定してしまったり…

コークさんのご意見、かなり参考になりました!
議論する上で必要な姿勢や、付和雷同してしまう原因なんかには盲点だったところも…

もう少し自分の中でも考えてみようと思います!!(`・ω・´)
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2010/11/21 14:25
議論ですか…。
的を得たことが書けるか分かりませんが、一応意見を書きますね。

私は大人になるまで、何回かの議論ステップを踏んできました。
子どもの頃は、浅い知識ながら自分の意見は大人に負けない正当性があると思って
むやみに発言し、押し通そうとしていました。

中学校でディベートの授業があって、そこで議論の本質に触れました。
そして学んだことは・・・
自分が何を主張すべきかの軸をぶれさせないこと。
相手の意見を自分の意見で押し潰すのではなく、
受け止めて、こちらの意見を添えて投げ返すこと。
相手に話が通らない時に湧いてくる不快さや怒りなどをきちんとコントロールして論じること。

私が一番嫌いなのは、論じ合いのはずが貶し合いになってしまうことなのですが
先生に与えられた議論の場でも、やっていると熱くなって
何人かは意見重視ではなくプライド重視な状態になり
勝つか負けるかの討論戦争へと発展したりしましたね・・・。
そうやって熱くなって周りが見えなくなる人には、水をぶっかけたくなりましたが。
兎に角、私は冷静さを保てる議論でないと聞いていられません。
熱くなって、声を荒げたり、人間性を否定するような攻撃的な議論は大嫌いです。
かといって冷めた状態でただ事務的に議論するのも嫌ですけどね^^;

でも、人って自分の意見に100%で自信を持てなかったりするし
どこかで自分が気づいてない点もあるのでは?って不安を持っていたりするから
議論の場で付和雷同になってしまうこともあると思います。
間違っていたり、浅はかな状態のまま「この意見正しい!」って押し通すのは
恥ずかしいって気持ちもありますしね。

私は相手に柔軟性がないと分かると、議論する気も無くなっちゃいます。
頑なで一方的に意見を押し付けるタイプには、何を言ってもケンカに
なっちゃうだけだから・・・。

まぁ、そんな感じでしょうか。
参考にはならないと思いますが^^;
私の考えでした~。



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