月明り、屋根の上(短編小説)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/08/13 23:56:41
ある日。七つ上の姉が見知らぬ男の子を抱いて現れた。
歳は三歳。癖の強い猫っ毛の髪がくるくると自由に動き、目つきの悪い瞳は無邪気に輝きつつ、怯えていた。着せられている服は色褪せ、いかにも古着屋で買った様な古めかしい車のデザインが描かれ、取ってつけた様な赤い大きなボタンが、胸の前でしっかりと縫い付けられていた。男の子は、何故子供を抱いているのか理解できずに口を魚の様にしている弟の自身を見て、姉の首にしがみ付き、目を反らした。これを見て、まさかとは思ったが。
玄関で立ち話もなんだと思い。中に招き入れ、2LDKの侘しい我が家で、堂々と場所を陣取っている白皮の一人掛けソファーに、男の子を膝に乗せた状態で姉を座らせた。自身は姉を前に、硝子板のローテーブルを間にはさむ形でカーペットの上に胡坐をかいて、少し下から見上げる形で座り、とうとう。やる事、話す事の糸口、完全に失った。
重い時間が過ぎる。どうやら、姉も言葉が見つからないのか、何とも閥の悪そうな表情で癖である髪をいじる仕草をしきりにやり始めた。
――やはり……俺から聞くしかないか。
そう覚悟を決めて声を出そうとすると、その覚悟は、少年の何とも気の抜けた声で、打ち壊された。
「ママお腹すいた」
「こら郁人」
――ん、ママ?
確定した。思った通り、玄関を開けた時に思った事が現実になった。間違いなくこの子は姉の息子だ。
「姉ちゃん……いつ子供なんて生んだんだよ」
渋々、姉は重い口を開いた。あたふたと息子の口を押さえたのが嘘の様に、真剣で、不安を隠しきれない女の顔をして。
「正孝……私ね、どうして良いか分からないのよ」
「どうしたんだよ」
困惑しつつ、厳しい物言いにならない様に意識しながら言葉を選んだ。なんせ、子供が見ているのだ。頭ごなしに問い詰めて、驚かせでもしたら大変だ。
「私が水商売をしてるのは知ってるでしょ。それで……どうしても断りきれないお客がいて」
目を伏せながら話す姉の言葉は、とても荒んでいた。最近の生活が上手くいってないのだろう。身も心もボロボロだと口には出さないが、身体全体から漂う雰囲気は、疲れ切った人そのものだった。
「それで……一度の枕で子供ができてしまった。てわけだな、姉ちゃんが言いたいのは」
「うん……ねぇ正孝。私、これからどうしたら良いの。子供抱えて生活していくお金なんて私、ない」
七つ上の姉は、22歳から夜の蝶として働いている。
母子家庭で育った自身と姉は、それは金に苦労して生きてきた。学校に通うのにも、母親が汗水流して働き、過労で胃を悪くするまで、必死で育ててくれたのだ。自身が中学に入る時などは姉のバイト代を足しに通学し、学費も殆ど姉の給料を足しにしていた。そのおかげで自身は大学にも行け。今では、大学を卒業して一般的な平凡な小さい会社で働いている。思えばこれが初めてかもしれない。自身に助けを求めてくる、姉の姿を見たのは。
金がないと助けを求める姉の言い分は、妙に納得できるものだった。
――水商売は、売れてようやく金になる商売。姉には、そんなにずば抜けた魅力は無く。決して突出した美貌を持っているわけでもない。つまりは……店での人気は全く高くない。
その状態で子供ができ、何かと金のかかる生活を強いられてしまった。しかも、父親は妻子持ちで、面倒は見れないと姿を消してしまったという。もう、行く場所が無くなってしまったのだろう。もう母親には迷惑を掛けたくない気持ちと、助けを求めたい甘さが心の中で入交。そして、ここに来た。同じ苦労を味わった、弟の元へ。
「姉ちゃん。お袋は俺達二人を、女で一つで育ててくれたんだ。自分のバイト代を俺の為に使わせてくれた姉ちゃんが、お袋と同じ事をできないわけがないよ」
「でも、正孝。この子の父親はお金をくれないし……私、水商売から抜け出すのに時間が」
姉の言葉が、何故か無性に悲しかった。自身姉だからという理由だけではない。人の欲望というものに深いを絶望を感じたのだ。人間とはこんなに簡単にも子供を捨てられるものなのか。自身の無力感を、感じた。
俺は何もできないのか?
そう。自身を問い詰めた時。決心がついた。自身は男だ、姉に甘えていた分、今は自身が助けなくては。そう、心が叫んだ。
「姉ちゃん。俺の所にいろよ、ちゃんと稼げる仕事がみつかって、その子と生活していける自信がつくまで」
「え、でも」
「良いんだよ。俺だって散々姉ちゃんに世話になったし。それに、子供の事も心配だしさ」
「正孝……ごめんね」
「謝んな。あと、お袋にはちゃんと言うおうな。孫なんだから、どんな理由でも」
「うん」
姉は深く頷いた。心の棘が一つ抜けたのだろう。いつもの明るい表情が、少しだけ戻った様に見えた。
「よし。じゃあ決まり。でさ、子供の名前、なんて言うの」
名前を確認し。そして。
「宜しくな、郁人。俺は正孝。お腹空いたろ、飯にするか」
これから新しい日々が始まる。決して平たんではないだろうが。充実した日々を送れたら、それでいい。
ってとこが、印象的でした。
「どうしてもここまで書きたいんだーっ」と、以前私も奮闘しました。
長い期間か短い期間かはまだわかりませんが
三人が静かな幸福の中で過ごせたらいいなぁと思います。
全部書いたやつをよんでみたい・・・。
いや。うん。もしかしたらこういう話がこの世のどこかにあるかもしれないなって思った・・・。