Nicotto Town


木漏れ日の下


気狂いピエロ【17】

 差し伸べられた手に、コールは書類を載せなかった。その代わり、暫し躊躇した後、遠慮がちに少し近づいて、ベルカの手を取ると軽く握った。
「え……コール?」
 突如感じる人の温もりに、当然の反応をしてコールに視線を向けると、まだ若い苦笑が帰ってきた。表情で分かる、青年は、またも気を利かせて、何かを伝えようとしていると。すぐに、理解できた。渋々腰を上げ、ダイニングテーブルに手を引かれて座ると、コールは満足げな笑みに表情を変えて、テーブルにチーズとワインを置いて、グラスを取りに向かった。
本当にこの青年は人の心をよく読む。
「コール……何で分かったの」
「何をですか?」
 グラスを二つ持って戻ってくる相手にそう声を掛けると、大袈裟な反応で誤魔化す様な言葉が返ってきた。渋々椅子に座り、居心地の悪そうな顔をしてそれを見据える自身を、青年はどう思っているのだろう。考えようとして、止めた。馬鹿らしい。この歳になって一人の男も愛せぬ女が、男の心など読めるはずがないのだ。現に――ジェシーの心すら読めなかった。
 七年共にいて、一切気づかなかったジェシーの気持ち。ピエロの手紙で全てを知る事になって、自身の心に一番痛手になった事だ。隠れて泣いていた事もあるかもしれない、自身の我儘に嫌とも言わずに一緒にいてくれた、最高の相棒。思えば、相棒と思い始めてからかもしれない。
ジェシーを、一人の男として見れなくなったのは。恋心は確かに抱いていた。だが、心のどこかでは一緒にいる事が当たり前になっていて、踏み出せないでいる自分がいた。そしてこの結果だ。失ってから気づくとよく言うが、まさか、ここまで本当だとは。思い出して、椅子に右膝を立てて、乱暴に髪を掻き上げ溜息を吐いた。もう忘れなくては、ジェシーへの気持ちは。今は、狂ったピエロに集中しなくてはならない。敵を討たねばならないのだ。

「ベルカさん。あまり、一人で悩まないでください」
 その様子を見ていたコールが、心配そうに言いながらワイングラスに白ワインを注いでいる。ワインの仄かな甘い香りと、チーズ独特の香りが鼻孔に入ってきて、ふと、緊張が解れた様な気がした。久しぶりだ、こうして酒を飲むのは。
「私が悩んでる様に見える?」
 一口ワインを口に含み、ゆっくりと喉に流し込んでから、おどける様に言ってみる。想像した通りの反応がくると考えて。
「見えますよ、その目の下の隈。眠れてないんじゃないですか?」
 きた。
「コール。素直に聞くのは直した方がいいわよ」
「え?」
「取り調べの時に相手に呑まれるから」
 コールの表情が困惑した様に凍りつく。それを見て不敵な笑みを浮かべると、またしても苦笑が帰ってきた。二口目を口に含んで飲み干し、軽く頷いて見せると、相手も頷いた。
「ごめん、話しの腰を折って」
「いえ」
「私は大丈夫だから。心配しないで」
「心配するなと言われると、逆に心配しますよ」
「……」
 言葉に詰まった。いつもなら「じゃあ、心配して」と、ふざけて返す余裕があったのだが。今は、その余裕が無かったのだ。無言でワインを口に含み、暫く思考を巡らせて
「大丈夫。私は本当に大丈夫」
 そう繰り返すしかなかった。

 コールは、ベルカの言葉を聞いて、渋々納得した様にワインを一口飲んで、苦笑しながらも頷いた。これ以上言っても、変わらないと思ったのだろう。
一瞬、重い空気が流れた。肩が凝る。耐えきれなくなって先に口を開いたのは、ベルカだった。話題を変えなければ、息ができない。
「コール、私、明日ちょっと出てくるから」
「え、でも。一人歩きは危険ですよ。もしまたあんな事があったら。それに……外出は禁止されてますよ」
「コールが黙って入れば良い。それに、今度こそ自分の身は自分で守るから」
「でも、駄目です」
「良いから。ほっといて」
「駄目です」

「これを逃したら、もう会う機会なんてないのよ。だからほっといて!」
 思わず、声を張ってしまった。
ベルカには、隠している事が一つある。ジェシーですら知らなかった、大きな秘密が。明日、土曜日だけ会う事が許される人物が、ベルカにはいる。この世で一番守らないいけない存在が。コールはベルカの大声に驚いて、目を見据えていた。そして、必然的に浮かぶ疑問を口に出す。
「会えないって、どういう事ですか」

#日記広場:自作小説

アバター
2010/05/29 18:57
続きを楽しみにしてます。
あ、私は変化という自作小説を書いています。
・・・よければ、読んでみて下さいね。
この小説よりつまらないとは思いますが・・・
アバター
2010/05/26 14:42
やっと第二章まで読みました。そのままドラマにもできそうなほどスリリングな展開でどきどきしてしまいます。愛する人を失っても気丈に殺人鬼を追いかける女性捜査官ベルカ、格好いいですね。


ではここで、『自作小説倶楽部』よりお知らせです。
いち さんが入会されました。よろしくお願いします。



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