一話完結小説【1】:大好きな人
- カテゴリ:自作小説
- 2010/05/21 16:39:16
幼き日に、その人の膝はとても温かかった。
その人の背中は、とても大きくて、憧れだった。大きな手が頭に触れる度、嬉しくて、何度も大声で笑った。ふざけて抱き締められると、鬱陶しかったけど、何故かとても安心できて、好きだった。
今、その人は真っ白な病室のベッドの上にいる。
凛々しく、笑うといつもくしゃくしゃになる顔が、青白く苦しそうに歪んでいる。鼻からチューブを通され、今か今かと消えてしまいそうな命の灯を必死で保って、懸命に生きていた。
「今日がやまばでしょう」
医者の口からすんなりと出たその言葉を、理解するのに数分掛った。幾多もその光景を見てきた医者達は、簡単にその言葉を告げられるのだろうか。もうすぐ消えてしまう、逝ってしまう命の最後を、その言葉だけで、片付けられるのだろうか。
悲しみにくれる家族を見て、「ご愁傷さまです」や、「心中、お察しします」と言う医者もまれにいる。何が分かるのだ。目の前で消えてしまう命を、家族を、家族がどれほど辛い思いで見ているか。医者は、全てを知っている。患者を支え、懸命に生かそうとするのが医者、その者達が、知らないはずがない。人の死を、軽く考えているはずはない。必ず訪れるものだからこそ、医者はいるのだ。亡くす者達の心中を、悟れないはずがない、その時、私はそう信じた。
「お爺ちゃん」
そう声をかければ、温かい笑顔で迎えてくれたあの頃。まさかこんな最後が来るとは露知らず、私はいつも我儘を言って困らせた。共働きの両親が、毎晩夜遅いのを心配して、寝るまで傍にいてくれた祖父と祖母。祖母の作る田舎料理が、大好きだった。そんな祖母が逝ったのは二年前の事。心筋梗塞で、あっけなく、去ってしまった。最後に声を聞く事も、お礼を言う事もできずに。泣く事しかできなかった。冷たくなった手を、泣きながら握っていた祖父の小さな背中を、只見据える事しかできなかった。
――それから二年。
その頃になると、祖父の背中はより一層小さくなり。元気もなくなった。訪ねて行けばいつも笑っていた祖父が、笑わなくなり、「生きているのが辛い……」と、言うようになった。
私は、思春期で道を外れ、自信の無力感に絶望し、自信の事で頭がいっぱいになっていて、その祖父の変わり様に一切気づいていなかった。後悔してもしきれない程の、無駄な時間を過ごし、祖父の悲しみに気付けなかった自身を悔いた。
静寂の中、苦しそうな息使いだけが聞こえていた病室内に。その時を告げる音が響き渡る。まるで死神が呼んでいる様に聞こえ、自分以外の家族が、慌てて医者を呼んでいた。自身の周りだけが時が止まったようになり、頭の中で、走馬灯の様に祖父との思い出が流れていく。消えてしまう、声も聞けなくなる、その温もりにも触れられなくなる。
途端に、涙腺が緩んだ。
「爺ちゃん!」
――逝ってしまった。
隣で声を枯らして泣く父が、あの時の祖父と同じように、とても小さく見えた。その後ろで背中に手を置いて、同じく涙を流している母が、必死で折れそうな心を支えている様に見えて、私は、嗚咽を漏らして泣いた。泣く事しかできなかった。
大好きだった祖父と祖母。もっと、話しておけばよかった。もっと、一緒に何処かに行って、思い出を残せば良かった。後悔が頭の中で巡り、弾けて、涙になり溢れ出る。
――もう、あの笑い声は聞こえない。
――温かくて大きかった手に、触れられない。
――笑顔も、見る事ができない。
「お爺ちゃん……。お爺ちゃん……」
声にならなくて。
悲しくて。
―2ヶ月後
祖父の墓の前で、私は手を合わせて、言った「爺ちゃん。子供の時、本当にありがとう。我儘言って、殴られた時もあったけど、爺ちゃんの優しさ。嬉しかったよ。17の時、言う事聞かなくて、ごめん。婆ちゃんがいなくなって、辛かったのに、心配してくれて。なのに……それに気づかなくて……」
整理したはずなのに。頬を、涙が伝い落ちた。
「本当に、ごめん。大好きだった、爺ちゃんと婆ちゃん。できる事なら、また会いたいよ……」
風がふく。静かに時が流れ、荒れている心を落ち着かせていく。
人は嫌でもいつか死んでしまう。だからこそ懸命に生き。悲しむ心を持っている。簡単に死んでしまう程弱いからこそ、人は、理解できるのだ。死という、最大の悲しみを。
すごく感動しました。
お爺ちゃんへの愛など、たくさん伝わってきました。
またサークルでも、小説書いてくださいね☆
まってます♪
確かに、文字数の限界を考えて、描写を抜いてる部分があるので。薄いかもしれないですね;。今後、意識します。
タイトルから察するに、それが死をテーマとすると連想させるわけではないからね。
加えて、
「―――それから二年」は無くしたほうがいいと思う。
祖母が死んだのは二年前、で、それから、二年後に爺さんが「生きているのがつらい」と言っていてたとすると、今はいつだ?
時制が混乱してしまう可能性が大きい。
あと、
―――逝ってしまった。
というと、せっかくここまで積み上げたものをぶち壊しにしてしまう気がする。
ああ、死んじゃった。みたいな感じで。
死に顔とか、その瞬間の描写を与えてから、本当に逝ってしまったんだな。と再確認するような表現にした方がより深みが出るんじゃないかな。
どうだろうか?
祖父が亡くなる時に急に霊感が強くなり。その後祖母が亡くなっても衰えず、私は夢の中でみんなが言う三途の川のような処まで(私の場合は草原に走る一本の真っ直ぐな道でした。)祖母を送りに行った経験があります。
あの時、以前に亡くなった親戚が祖母を迎えに来てくれなかったらきっと私は・・・今此処でコメントを書いていることは無かったと思います。
以前このような事を聞きました。
『人は死ぬ事に関しては何も感じない。では何故悲しくもあり怖くもあるのか。それは生きていたという存在を忘れられるからだ』
妙に納得して心にずっと残っています。
長いコメントで申し訳ないです^^;
わばい;;;
まぢで泣いたぁ;;;
実は1週間ほど前にとてもお世話になったお爺さんが亡くなってしまいました;
なんだかその事を思い出して今、号泣中です(TロT)
とても読みやすい文で文章読むのが苦手な私でもスッと読めました+。・
始まりから終わりまでとても素敵です+。・
この才能に嫉妬((ぉいおい
毎日を大切にしないとね♪
感動の文章でした^^
心にしみるお話を拝読しました。有難うございました。
“私”が抱いた悲しみ・哀切・後悔を
おじいちゃんもおばあちゃんも 若い頃に経験したかもしれないなぁ と思いました。
人が人を想う事、それが次の世代へつながる事も。
本当に大切で、大好きな人が
どこか遠くに行ってしまったら…って思うと、
涙がとまりませんでした^^
言葉になりません・・・。
人はいつかなくなってしまいますね。
でも、それを恐れていては、本当の幸せはつかむことができないと思います。
かといって、いのちを粗末にする人は
とても残念ですね。
とにかく、
感動しました^^
すごいですね
心にグッときました